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四
「良い若武者ぶりよ」
畠山駿河守は、藤四郎の名乗りを訊いた後で目を細めた。
「念道どのは息災か?」
はい、と藤四郎は答えた。
「この前会うたは、師の三回忌法要のときであった。早いものですでに二年が過ぎたか」
駿河守は、遠くを見るような目で言った。
念大慈恩の入寂は、応永三十年四月八日(陰暦)のことである。享年七十二歳であった。
「鎌倉の寿福寺の奥に小さな庵を結んでおりまする」
「はは。師譲りよな」
念大慈恩と寿福寺の縁は深い。その流れで、念道も寿福寺の世話になっている。
藤四郎の剣の師は念道である。念大慈恩は大師匠、畠山駿河守は師伯にあたる。
藤四郎も鎌倉に居るときは、念道と同じ寿福寺の庵で寝泊まりして剣の修行に励んだ。
まだ、二か月も経っていないが、ずいぶん遠いことのように思えた。師匠は、一人で不自由にしていないだろうか、とも思う。
畠山駿河守は六十歳。痩せて頬から顎にかけての線が細い。髪も真っ白であった。
かつては足利義満、義持に仕えた奉公衆であったが、すでに引退しているという。奉公衆とは、近習、旗本の類と思えば良い。
「在俗だが、今は出家して古泉と名乗っている」
そのことは念道も知らなかったのだろう。藤四郎は初めて聞くことだった。
「奉公衆を辞したのは、師の三回忌法要のすぐ後であった。念道どのもご存じあるまい」
藤四郎の意を察したのか、駿河守が付け足すように言った。
「古泉どのでよろしいですか」
駿河守改め古泉は肯いて、
「千里が迷惑をかけたようだな。すまなかった」
「迷惑などとは、そのようなことはありませぬ」
藤四郎は否定したが、隣で千里がつんと横を向いた。
「はは。たった一人の孫娘ゆえ甘やかし過ぎたようだ」
古泉は、困ったような顔をして下を向いたが、すぐに顔を上げて、
「まさか、五条東洞院で出会ったわけではあるまいの」
と言った。心配げな顔つきである。
「とんでもありませぬ。一人で兵法の稽古をしていたら、突然ならず者に囲まれて、そのとき藤四郎さまが、偶然に通りかかって助けてくれたの」
藤四郎が正直に言おうか言うまいか迷っているすきに、千里がさっさと答えてしまった。
古泉の視線を感じて、藤四郎は目を伏せた。
「また、そんなことがあったら大変。藤四郎さまに兵法の指南をお願いしてよろしいかしら」
「これ。高垣どのの都合も考慮せず」
さすがに古泉は、孫娘の我が儘をたしなめたが、このとき藤四郎は迷っていた。
自分が上京した目的は剣の修行で、師伯に兵法を学ぶことだった。
だが、古泉の屋敷に来たということは、指南しなければ千里が納得しまい。
藤四郎があれこれ思案していると、
「もう、よろしいわ。坂東の鄙びた兵法など」
千里が興味を失ったように言った。移り気な性格らしい。
古泉は千里の言葉に顔をしかめたが、逆にそのことによって、藤四郎の気持ちが固まった。
「それがしが千里どのを指南するというよりも、古泉どのにそれがしと千里どのをご指南いただけませぬか」
「いや。それは困る」
畠山古泉は、即座に否定した。
「何故でござりましょう」
「女子が兵法など……」
藤四郎の問いに、古泉の歯切れが悪くなった。
「お祖父さまは、母上の二の舞を恐れているの」
「母上の二の舞?」
藤四郎が呟くように繰り返したが、二人には無視された。
「そのようなことはない。こなたもそろそろ嫁入りのことを考えねば」
「わたしは母上の仇を討つまでは、嫁になど参りませぬ」
千里はまたも、ぷいと横を向いてしまった。確か、東洞院でも、母の仇を出せ、と騒いでいたような気がする。
「お待ちください。千里どのの母上の仇討ちとは、穏やかではありませぬ。差し支えなければ、理由をお聞かせ願えないでしょうか」
「こなたには縁のない話ぞ」
古泉はぴしゃりと拒否したが、千里が抗った。
「あら。では、わたしがお話しして助太刀を頼みまする」
「何を言う」
千里の言葉に古泉が動揺している。
「お祖父さまは、母上やわたしのことなどどうでもよろしいのよ」
古泉は怒ったような悲しいような顔をして否定した。
「いいえ。しょせんは女子の意地の張り合いだと思っておられるのでしょう」
「これ。客人の前だぞ」
他人を前に家内のことを晒すのは恥ずかしい。藤四郎は古泉の気持ちが理解できた。
ややあって、横を向いたままの千里を見ながら、
「やむを得ぬか。念道どのの弟子が、訪ねてきたのも何かの縁であろう」
古泉は覚悟を決めたようだ。
「これから二人に話すことは、決して他言無用。そして、この話を聞いたら、千里も二度と母の仇を討つなどと困らせてはなるまいぞ」
ということは、千里も母の本当の死の理由は知らないということだろう。
古泉は千里に念を押したが、千里は返事をしなかった。
「千里の母は、兵法の勝負に敗れて亡くなったのだ」
観念したように古泉は話しだした。
「相手は吉祥女と呼ばれる国阿派の遣い手であった」
またも吉祥女の名が出た。藤四郎は内心の動揺を隠すのに苦労した。
「今から十年ほど前のことだ……」
千里の母は、富樫御前といって、加賀国守護富樫氏の一族だったという。古泉の嫡子源太兵衛の妻でもあった。
畠山源太兵衛は、父とともに奉公衆として将軍足利義持に仕えていた。
当時、同じく奉公衆の中で、特に義持の寵愛が深かったのが、富樫満成という人物であった。
その富樫満成が、将軍の寵を頼んで増上漫な振る舞いに及ぶ事が度々あった。そのため、大名の指弾を受けるに至ったのである。
義持は怒ったが、さる人物が満成の悪行を暴くにおよんでかばいきれなくなった。
悪行とは、満成がさる高貴な方の愛妾と密通したというものだった。満成は失脚したが、富樫御前は、一族の満成が讒訴されたのではないかと、その悪行を暴いたという人物を密かに探ったという。
(はて。似たような事が……)
藤四郎は不審に思ったが、口には出さず、古泉の話に耳を傾けた。
「その人物こそ高橋どのであった」
やはりそうだったか。藤四郎は胸の内で肯いた。
富樫御前は、女ながらも古泉に兵法を学び、夫に劣らぬ遣い手であったという。そのため、密かに高橋どのの屋敷に忍び込んで、義満の寵を頼む高橋どのを懲らしめようとしたのだという。
高橋どのは、東洞院の遊君から足利義満の側室となった人物である。
「だが、相手が上であった。高橋どのは、吉祥女というもう一つの顔を持っていたのだ」
女とはいえ二人は兵法人である。太刀をとっての勝負となった。そして破れた富樫御前は、そのときの傷がもとで亡くなってしまったのである。
「正々堂々と兵法の勝負をし、そして破れたのだ。決して吉祥女を仇呼ばわりしてはならぬ」
古泉は力を込めて言った。千里を諭すつもりであったのだろう。
だが、と藤四郎は思った。綾絹は二代目の吉祥女である。千里が仇として狙うなら、綾絹ではなく高橋どのではないかと。
千里はそのことを知らないのだろう、と思われた。言うべきか言わざるべきか、藤四郎は悩んだ。
富樫御前を亡くした源太兵衛は、気落ちしたのか、ほどなく後を追うように病没したという。二人は互いに強く愛し合っていたのだろう。
「本来なら千里に婿を取り、我が畠山の家を継いで欲しいのだが……」
古泉はそこで言葉を切った。最後の方は無念の思いが溢れていた。千里が家を継ごうとしないのだろうと思われた。
畠山の惣領家は、室町幕府の管領を勤める家柄でもある。古泉の気持ちは、藤四郎にも分かる気がした。
「お祖父さま。わたしは母上の仇を討つまでは嫁ぎませぬ」
千里はきっぱりと言った。相当に気の強い姫でもあるようだ。
「高橋どのは、足利義満さまの側妾でもあったお方。その上、国阿派の遣い手。さらには東洞院の遊女を統べる長者でもある。こなたの適う相手ではない」
最後の方は哀願するような言い方だった。藤四郎は老いた古泉に同情する気持ちが動いている。
口振りからすると古泉は、千里が五条東洞院へ行っているのは承知しているようだ。おそらく密かに心利いた家臣を尾行につけているのだろうと思われた。とすると、あのとき藤四郎が助けたのは、余計なことだったかもしれない。
「お、そうだ。やはり高垣どのに千里の兵法指南を頼もうかの」
「真に、お祖父さま」
千里は嬉しそうに古泉の方を向いた。
「高垣どの。引き受けてくれるか」
千里に兵法を教えるといっても藤四郎の技前を知らぬはずである。もしかしたら古泉には隠された意図があるのかもしれない。ならば、
「古泉どのよりそれがしも学びたきことがござります。それを承知ならば」
藤四郎は条件を出した。
「こいつめ。やむを得ぬ、承知しよう。とはいえ、儂はこの歳じゃ。それは心得ておいてくれ」
「承知しました」
藤四郎はからりと言った。
「ならばどうであろう。こなたもここに住まぬか」
「それは良い考え」
古泉の提案に千里が真っ先に賛成した。
「こなたは、いまどこに住まいしておる?」
古泉に問われて藤四郎は、はたと答えに窮してしまった。まさか、千里の仇である祇園の長者に世話になっているとは答えられない。
「祇園社の近くに」
「旅籠か?」
「いえ。存知寄りの者のところに」
「はて? 我が門の者があの辺りにいたか……」
古泉が考えるような素振りをしたので、
「いえ。念流に縁のある者ではござりませぬ。日を見てこちらにご厄介にならせていただきまする」
藤四郎はそう答えるのが精一杯だった。
「待っておるぞ」
「早くしてね、藤四郎さま」
二人の笑顔を見ながら、やや気の重い藤四郎であった。
(続く)
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