ロマンチックなちっぽけなわたし

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 ペアーリフトに乗った。  隣には、和文がいる。わたしは、前をまっすぐみた。 「ラブシートみたいやなあ」  と和文がいって、 「ほんと、これ、理想的、理想的だよ」  と笑った。  雪がふるなかを、ふたりっきりで進んでいく。これが和文の理想的なことだそうだ。わたしも、そうだな、って想った。 「雪ってさあ、手袋におちると、雪の結晶のかたちで、わたし感動しちゃった」  とつげると、 「そそそそそ。自然のものの方が綺麗だよねぇ。ぼくなんかが、ああでもないこうでもない、って考えて、考えてつくっても、足元にもおよばない。綺麗だし、幻想的だし、そうしてちゃんと権威の象徴のシンメトリーなんだ、これが、あはははは」  と笑った。和文は、ふだん、建築科の学生で、吾、哀しきドラフトマン、といって、眉間に皺を寄せている。先生の指示通りにまっすぐに線を引き、色鉛筆をつかって、幻想的な雰囲気の絵を描く。  建築業界は、子弟関係が厳しいらしくて、いま、ついている先生のところも、始発で帰ったり、寝袋をもちこんだりしている。和文のともだちのおんなのは、よく、和文の隣にいて、胸がうすくって、ふふふふふ、と暗くて低い声で笑う。そのひとがつくった、建築が、なんていうか、部屋の中に小径があるのだ。こないだ賞をいただいていた。  すごく、男性的にみえるのに、つくった作品は、はあ、なるほどな、って想う。家の中に、外と同じような小径があって、自転車を置いたりできるようにもなっていて、ベンチに座るように、和室がおかれている。  確かに、室内だと、雨でべしょべしょにならないし、ちょうど、晴れの日の自転車をおりて、寝そべってみたい草原みたいなかんじで和室をつかってる。  わたしには思いもよらない。祖父は大工で、尺にうるさい。わたしも、やっぱり半間、っいう広さにこだわってしまう。それだけれどもいまは、もう、むかしの四畳半みたいなものがある家で育った人が稀で、和室を、小路脇の、草原にみたてるなんて、いけてるなあ、っておもう。  そういう感想をいっても、鼻でせせら笑われて、所詮、ふわふわとした憧れのようなもので和文とつきあっている感じは思想が浅いと切り捨てる。  わたしは寂しく想う。  おんなじ女性同士で、家のことについて、話し合いたいのに、わたしの考えは思想が浅く、モダンな、かの女は、賢い。  わたしも、本当は、そこの学部にいってみたかったけれども、先におにいちゃんがとうきょうへいっていたから、学費も高く、建築科だったら3DKのアパートかりなきゃなんないわよ、おくさん、と近くのひとにママがいわれたりして、東京の隅っこの英語で有名な大学の数学科にいっている。  和文とは、数学を愛する会で知り合った。  和文は、点の距離感についての、ものが好きだそうだ。  わたしは、瓶のかたちの水の量についてしることができるので好きだといった。  わたしも和文に理想の家をかいて、っていわれるけれども、大草原の小さな家の姉妹が暮らしていた家が理想の家で、そのログハウスをかく。  姉妹が目をきらきらさせて、夜、話し合っていたのが好きだ。  いつか、そんな家をつくってあげるよ、って和文はいう。和文とせっかく仲良くなれたのに、和文は、人って、双曲線のようにちかづいて、離れていくものだって寂しいことをいう。  そういわれると、わたしは、人って、列車をのりかえるようなものだ、ってかならず答える。それは地元の須磨駅のことをいつも想っていう。わたしがむかし住んでいた家が、須磨駅でかならず乗り換えていて、もう、ホームにつくと、水色の普通列車が、どあを開いてまっててくれていた。  春色の汽車にのって、海へ連れて行ってよ。  その歌のつづきみたいな感じで、わたしは、和文にそっとよりそって、ときおり神経質になって、階段の踊り場でまっすぐすすんで、頭をがんがんがんがんって壁にぶつける。  どうして、ここに壁があるんだ、っていう。  きっと、頭が良すぎるんだって想う。  和文の字はすごく小さくて細かい。神経質な感じが字にでてる。夏の長いお休みに、あなたのわたしのことを愛しているのか、という質問にたいして以下のようにご回答いたします。僕には、高校時代、憧れていた女生徒がいて、そのひととむかいあって、みつめあうじかんが好きで、そのひとのことはまっすぐに愛しているといいきることができます。  それにたいして、あなたがのぞんでいるように、愛しているというのは簡単そうにおもえるけれども、それは、わたしのこころの奥のほんとうのきもちに嘘をつくことになります。  わたしはここまで読んで、ぽかん、とした。  和文が、井の頭公園で逢いましょう。数学を愛する会の今後の運営について話し合いましょう、といい、そうして、帰り際に、虚数iは、二乗すると。i2 = −1。二人で、沸点ー1℃の恋愛をいたしましょう、といったのであった。  それなのに、それから数か月たつと、わたしが和文のことを一方的に愛していて、それにたいして、閉口しているようにもとれるのだ。  わたしの胸は暗雲で覆われた。  その手紙を読み進むと、わたしにたいする想いは、ねじれん坊みたいにからまっていて、愛してるっていえないってかいてある。  鏡をみると、ほんとうはこの丸っこい鼻で、田舎っぽい顔立ちのわたしが、もさっとしていて、建築家が好む、派手な赤いルージュが似合う女性じゃないからじゃないのかしらと想った。  ちょっと違うな感が、つきあって数か月ででてきたのだ。  たしかに、わたしは手放しで、和文がわたしのことを好きだと思い込んで、手放しで喜んでいたようなところがあったけれども、もっと恋は用心深くしなきゃならないんだ。  そういわれても、わたしは、そういうのが苦手だ。策略を練って、作戦をたてて、人を掌中におとすとか、そういうことは考えたこともない。なんだか、そういうことがすごくすごく苦手なのは、そういう女子がいて、わたしの位はいつも低く、その二重人格ぶりに高校時代、辟易したからのもあるし、わたしは、ソーダー水を飲んだときのような気持ちで恋をしたい。  和文は、ほんとうはいつもおとこともだちみたいに連れ立っているとか、ボーイッシュなわたしのことを、あほのかたまり、みたいな顔でみるあのひと、石川さんみたいな人が好きなんじゃないかなあ、って想ってきた。和文のともだち、もいれて、よく四人でご飯を食べたりする。  和文は、ああいう、悩み事に対して、ずばっと解答をくれる女の人の方が好きなような気持ちもする。なんか、そうだ。わたしも電車の中ではす向かいになってみていた、おんなのこ、みたいなときは、好きだったけれども、もう、好きじゃないんだ。でもそうすると、わたしも、いつも4人でご飯を食べるときに、石川さんの隣にいる目瀬くんのことの方が、大人っぽくて好きだ。  それはもう夏休みのことで、9月に東京駅でちゃんとまっていてくれて、そういう考えはわたしの想いすごしかしら、と想って、秋の美術館めぐりをしたりして、唇を重ねたりもした。  そのときは、和文ってちょっと、こどもぽいなあ、って感じたのだった。だから、お互いさまかもしれない。それだけれども、ペアーリフトに乗っていると、雪の日に大学の寮の前で跳ねていた白い子猫たちが、わたしたちだって想う。  幻想的な風景だった。恋も、この幻想的な雪の中だと、わたしたちも、幻想的な白い恋人たち、にみえる。愛してる。愛してない。愛してる。そんなことばなんて、いらない。口をはーとすると白い息がでて、和文も、たのしそう。  そんなんでいいや、ってラブシート、って和文がいう、シート、短いペアーリフトの時間を、わたしは、楽しんだ。わたしたちは、まわりからみると、若いカップルでわたしたちもその時間を楽しんだ。  雪は幻想的で、すべてを白く包み、わたしたちも、白い子猫みたいにじゃれあった。だけど、和文は、わたしが、和文に抱かれたいっていうと、ばっかじゃねえの、って鼻でせせらわらったその夜。  わたしは、眉間に皺をよせた。だけど、なんにもいわなかった。暗闇で和文のおでこは青白かった。この人は、芥川龍之介に似てる。だから、きっと、わたしには理解できないのだ。このひとのことは、わたしには理解できない。そうして、わたしの少女っぽい夢をこのひとで実現するのは不可能なんだわ。  夜はしんしんしんしんと更けていった。  わたしと和文の泊まっている宿にも雪はしんしんしん。  わたしはいつまでも、和文の芥川龍之介のような青白い額を、ぼんやりと、見続けた。そうして芥川龍之介の古典の作者の幸福なる所以は兎とに角かく彼等の死んでゐることであるをおもいかえしていた。いきているかぎり、しあわせになることなんぞできないんだわ。そうしてわたしはわたしと生きてしまうんだわ。それがきっと和文がわたしのことを愛せない理由、大きな理由となるんだわ。  和文は建築家の卵だもの。一流のものをみて、うつくしいものを、純粋にうつくしいものを、つくりつづける。うつくしいもののなかにいないとしっくりといかなくなる。そうしてあるときせっかくつくったうつくしいものをすべて滅茶苦茶にしてしまって、わたしの心も土足でずかずかはいってきて、去っていくんだわ。わたしがすごく大切にしていた、小さな、かわいらしいものも、ちゃんばらごっこが好きな男の子が知らずに踏んづけるのと同じで、踏んづけて、そうして、わたしはいつかその後ろ姿を永遠に、その去っていく後ろ姿を永遠に、おぼえることになるんだわ。  ああ。  どうして、どうして、いっつもわたしったら、和文のひとったらしのことばににこにこ笑って、そうして、僕は高みのばしょにいるふうにそっぽをむかれ、まっすぐに愛しているということばはきみにはいえない、って手紙にかかれて、そうしていつかわたしのとなりからいなくなるんだわ。  或一群の芸術家は幻滅の世界に住してゐる。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のやうに無何有むかうの砂漠を家としてゐる。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅してゐない。いや、芸術と云ひさへすれば、常人の知らない金色の夢は忽たちまち空中に出現するのである。彼等も実は思ひの外、幸福な瞬間を持たぬ訳ではない。  その幸福な瞬間は、和文にとっては、5ふんのペアーリフトの時間だったんだわ。わたしは、わたしは、馬鹿だわ。いっつもいっつも、こんな調子で、和文に心を乱されて、わたしったら、ほんとうに馬鹿だわ。もっとお利口にならなくてはいけないわ。そのためには、和文が目を覚ましたら、わたしがいなくなるのがいちばんいいのではなくて?手紙を、机のうえにおいて。  そう想ったものの、なんだか、そうすることも、寒そうで大変そうで、明日、一緒に予約した深夜バスでかえろうかな、ともう、和文の方をみるのはやめて、わたしは、くるっと、からだを逆にして、瞼を閉じた。
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