第二話 あの日、落としたもの。

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 スマホを買い与えた。  退勤後、疲れきっていたはずの身体は軽く、野良を迎えに行ってからまた、ケータイショップまで出向いた。この時の為に今日の仕事を頑張ったと言っても過言ではない。  昔ほど高い買い物と言うわけではないし、家電を置く代わりだと思えば、抵抗のある買い物でもない。  野良がどんどん、ウチの子になっていく。  ケータイショップで、野良はおっかなびっくりと言った感じでキョロキョロとしていたが、この日購入したものがまさか自分のスマホだなんて夢にも思っていなかったらしく、「お前の」と言って渡した時には、きょとんとし、次には目を輝かせ、しかし次の瞬間には複雑そうに眉毛を下げた。 「…………なんで?」 「連絡が取れた方が、俺が、便利だから」 「…………でも、これ、高いんでしょ?」 「俺が。欲しかったんだよ。気にするなってば」  野良に何かを買い与える時、「俺が」を強調するようにしていた。  野良の好きそうなお菓子を買っても、「俺が、食べたかったから」と言うし、野良の喜びそうな物を見付けて買っても、「俺が、家に置きたかったから」と言う。  野良は俺が野良にお金を使うことに罪悪感を感じている節がある。  俺のエゴだから気にするな、と言っても、きっと野良には『エゴ』と言う言葉がわからない。  寝室の隣の部屋は、すっかり野良の部屋になった。  背の高い本棚二つはそのままに、向かいの壁には勉強机を置いた。簡単な教材も買って、平日に時間が取れる日と、休日と、勉強を教えてやった。  野良が寝る場所を自分で決められるように、机の上にベッドがあるタイプのものを購入した。未だに野良は俺の隣で寝たがるが、少し先の未来もそうだとも言えない。今はまだしたことがないが、ケンカをする日も来るのかもしれない。  俺が留守中に寂しい想いをしなくてもいいように、ぬいぐるみも買った。  でかいテディベア。気休めだけど、抱き心地が良いようなやつがいいかなと思って。基本的にはベッドの上に座っている。  そして、今回はスマホ。  どんどん、野良のものがウチに増える度に嬉しくなる。  人間は、自分の為にお金を使うよりも誰かの為にお金を使った方が幸福感がより得られるのだと言う話を聞いたことがある。その通りだな、と思う。 (……あっくんもひょっとして、そうだった?)  相変わらず、ふとした瞬間に、思い出したようにあっくんのことを想う。  俺にとって自由の象徴で、無敵に見えたあっくんは、実のところはどんな人間だったんだろうか。  野良とどうやって出会い、仲を深め、野良に対してどんな気持ちを抱き、接して来たのだろうか。  何度だって、想う。  あっくんのこと。  あっくんの傍にいた、野良のこと。  考えても答えなんて知り得ないから、また、考えてしまう。 (孤高じゃなくて、孤独だったの? 実は。ねぇ、あっくん)  少しだけ顎をあげ、空を見上げる。  流石にもう暗くなった空には、沢山の星が瞬いている。目を閉じてみる。別に、あっくんと会話なんて出来ないのに。その星の中に、あっくんは居ないのに。 「あ、」  突然、野良が声を上げて立ち止まる。 「どうした?」  一歩遅れて、俺も足を止めた。  野良は能面のような顔で一点を見つめている。その目線を追ってみた。街灯の明かりの麓じゃなくて、その少し影になっているところ。ブロック塀の欠けた穴の中に、何かいる。目を凝らす。小鳥が転がっていた。  多分、死んでる。  もう一度、野良を振り返る。  野良は相変わらず能面のような表情で、一切の感情を見せない。けれど、瞬きもせずにその小鳥の死骸を見ている。  俺は近寄って、その小鳥の亡骸を掬い上げた。  夏場だと言うのに、嘘みたいに綺麗な死骸だった。ふっくらとまるっこくて、まるで寝ているだけみたいだ。  それでも、目の辺りは落ち窪んでいる。包み込む手のひらから、生き物の体温を感じない。  死、か。  先程あっくんのことを考えたからか、またあっくんのことを考えてしまう。  小鳥に外傷は見当たらない。まるで、死期を悟ってこっそりと隠れて最期を迎えたかのようだった。 (あっくんも、そんな人だった。全然、弱みとか見せなくて……)  末期ガン。  身寄りのない彼は、それを病院から聞かされていたのだろうか。多分、聞いただろう。でも、俺の前では気丈に振る舞っていたのだ。  野良の心配をして、俺にアパートの鍵を預けた。  最期まで、他人の心配なのだ。彼は。  それなのに、引き取り手のいない亡骸は無縁仏になった。無縁仏だって、親戚でなくても遺骨を引き取れると知ったのは、大分後だった。もう、あっくんの骨は他の無縁仏と一緒に混ざって埋葬されてしまった。  急に寂しさが込み上げる。  埋めてやらなくちゃ、と思った。 「ちょっと公園に寄ろうか」  もう少し歩けば、近所の公園だ。      見渡せば隅々まで見えるような小さな公園に辿り着いた。その、なるべく誰も掘り返さないような場所。それで、踏まれることも少なそうな木の根っこに小鳥を埋めてやった。  スコップも何も持っていなかったので、尖った石で穴を掘り、その石を墓石に見立てて土に刺す。  手を合わせ、目を閉じた。 (……安らかに。生まれ変わったら、寿命をまっとうしろよ)  鳥のことはよく知らないから、もうおじいちゃんかおばあちゃんで、老衰で死んだのかもしれないけど。  手を合わせながら、それにしても、エゴだよな。と思う。  俺は、死後の世界を信じてない。  それなのに、誰かの手で土に埋めてやった方がいいと思う。  矛盾しているような気がする。 「……どうして、埋めたの?」 「うん?」  目を開くと、横で屈んでいる野良は手を合わせてはいなかった。  さっきからずっと、貼り付けたような表情のままだ。暗がりで、よく見えないが。それでもその目が、俺の土だらけの手に向けられていることはわかった。 「土に還して上げた方がいいと思ったから。あんなところでひっそりと死んでるより、いいだろ?」  またあっくんの姿が浮かぶ。  背中に虎の刺繍が施された、いかついジャケットを着ている背中。横顔は笑っている。あっくんは、いつだって陽気に笑っていた。金とか無さそうだったけど。親族も友人も居ない感じだったけど。  無縁仏になっちゃった。  きちんと弔ってあげることが出来なかった。  今も孤独だったらどうしよう、あっくん。  野良の目にはまるで光が灯らない。ひょっとして、と思う。  野良も今、あっくんのことを考えているのだとしたら、どうしよう。  あっくんが亡くなっていることを、まだ伝えていない。  それでも。伝えなくても、野良はもう、察しているかもしれない。そうも思う。  察していても、一縷の希望を抱いて、「生きているのだ」と思い続けているのかもしれない。 「誰かが手を合わせてやった方が、死んだ命も救われるだろ? だからまた、今度は木の実でも供えてやろう」 「死んだ後の事なんて、本人にはわからないのに。どうして、たかあづはそんなに土だらけになって、手を合わせるの? 木の実を供えようなんて思うの?」  まるで幼い子供のように、野良は訊く。  純粋な疑問なのだろう。  俺は野良の頭を撫でたくなって、でも汚れた手で触るのは良くないから、その手を引っ込めた。 「エゴだよ」  正直に告白して、笑う。  死後の世界なんて信じてないのに。人の手で埋めてやった方がいいと思ったり、墓の前で手を合わせる。木の実を供えてやろうと思う。偽善的な行いだと思う。自分がそうしたいと思っただけ。エゴイスト。利己主義者。自己満足を、満たしているだけ。 「俺、人間って苦手なんだ。なんて言うか……何考えてるかわかんない。けど、動物は何考えてるかわかんなくて当たり前だと思うから、人間以外の動物は、わりと好きなんだよな」  鳥の死骸は細菌だらけ、なんて知ってる。  でもほっとけないのは、可愛いから。可哀想だから。見てしまったから、見なかったことには出来なかった。 「……エゴって、何?」  やっぱり野良は「エゴ」を知らない。ちょっと困って、曖昧に笑った。 「調べて。これから、お前のスマホでなんだって調べてみろ。色んな事が詰まってる。でもまぁ、怪しいサイトと誤情報には注意しろよ」  野良がスマホをしまったポケットを指差して、立ち上がる。手を洗って、帰ろう。 「たかあづ、」  下から野良が声をかける。 「どうした?」 「…………。なんでもない」  野良も立ち上がる。  公園の便所で手を洗い、今度こそ帰路についた。
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