第二話 あの日、落としたもの。

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 野良を保護していると言う交番に向かうと、膝の上で拳を固く握り俯いている野良と、困り果ててその様子を見守る警察官二人の姿が、直ぐに視界に映った。  件の成人男性の姿はない。 「っすみ、ま、せんっ、」  走って来た為、言葉が喉をつっかえる。  汗が目に入りそうになったのを拭うと、気が付いた警察官に「濱崎千里さんですか?」と尋ねられた。心無しか、警察の方々の方がほっとした表情を浮かべている。 「いえ。濱崎は私です。彼は先程お伝えした、この子の親戚です」  同じ距離を走って来たはずなのに、少し遅れて交番を訪れた千里は、それほど呼吸を乱していなかった。年齢を感じて、嫌になる。  千里が返答してくれた間に、深呼吸を数回して、呼吸を少しでも整える。 「鷹島と申します。この度は甥が大変ご迷惑をお掛け致しました」  勢いよく頭を下げると、「ああ、いえいえ」と思いの外、柔らかい声音が返って来た。 「ご足労頂いてありがとうございます。ずっと、何も話してくれなくて……。やっと教えてくれた電話番号をかけてみると、濱崎さんの番号だったってわけです。ご一緒だったんですね。良かったです」 「大変申し訳ありませんでした」 「いえいえ、叔父様、大丈夫ですよ。彼もこういったことは初めてだったようで。こちらからも注意しておきましたので。すみませんが、身分証の提示と書類の署名だけ、宜しいですか?」 「はい」  止まらない汗をもう一度拭う。  野良を引き取る為に、警察に身分証を提示する。  これが、後々どのような影響を俺達に与えてしまうのか。見当がつかない。ただ、その関係性は疑われていないようなので、これっきりかもしれない。きっと、調べられたりしないだろう。多分。きっと……。  それでも、身分を明かす手が震えてしまわないよう、注意した。警察が頷いたのを確認して、何食わぬ顔で免許証をスマホケースにしまう。  野良に対する、「どうして」とか「なんで」とかは、無事に交番を後にしてからだ。  自分の家の住所と名前を記入して、野良の名前を書く欄でペンを止めた。 「どうかしましたか?」  目敏く、しかし、本当に親切心の声音で、警察官が声をかける。 「……あの、今回が初めてということで……名前の記入は勘弁して頂けないでしょうか……」  俺は此処に書くべき名前を知らない。  懇願するような視線を送ると、若い警察官は眉をしかめた。俺は必死に懇願する。 「勿論、私からもきつく注意しておきます。今後このようなことでご迷惑をお掛けすることは、二度とありません。……どうか」 「ま。いいでしょう。こちらとしては、迎えに来てくれた方の身元さえハッキリしていたらいいんです」  野良の正面から、少し歳を召した警察官が柔らかい声で頷いた。 「そうですね。その欄には、『田中太郎』とでも書いておいて下さい」 「ありがとうございます」  聞いたことのある名前にドキリとしてしまったが、表情に出さないように深々と頭を下げた。
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