第三話 落としたんじゃなくて、無くしてたのかもしれない。

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第三話 落としたんじゃなくて、無くしてたのかもしれない。

 秋刀魚の匂いがした。  気を付けなければならないのは、隣の家の換気扇からかも知れないということ。先走って心を踊らせてはいけない。  逸る気持ちを抑え、平常心を保ちつつ玄関のドアを開ける。 「ただいま」 「おかえりー!」  声をかけるなり、大きな声と共にリビングから駆けて来る足音が聞こえた。蒼志の姿が見えたかと思うと、そのまま俺の首に飛び付いてくる。  ふわりと、その身体から香ばしいサンマの匂いがする。 「今日は、サンマ?」 「せいかーい!」 「あと、豚汁だ」 「サラダとだし巻きもあるよ!」  幸せな風景。  幸せな家庭。  幸せな食卓。―――なんて、幸せな会話なんだろう。  そういうものを胸の奥に感じて、心が暖かくなる。それと同時に、それよりももっと深いところで蓋をしている事実があることを、いつも意識してしまう。  蒼志の親は、蒼志を探していないのだろうか。  蒼志を放っておける親なんて糞食らえ。  蒼志を探さないで欲しい。  二つの矛盾した感情でいつも、首が絞まっていくような気持ちになる。  蒼志が辛い想いをするのは嫌だ。  俺のこの行動は、間違っているのだろうか。  じゃあ、『正しい』ってなんだ?『正しい』選択は、蒼志を傷付けないのだろうか。  この事について考えると、あっくんの遺骨のことが浮かぶ。  無縁仏にしてしまったあっくん。  俺がもう少し早く、この問題から目を背けることを辞めていたら、『引き取り手のない遺骨は赤の他人でも引き取ることが出来る』という事実に、もっと早く辿り着いていた。  あっくんの遺骨は、今、この家の中にあっただろう。 「炊き込みご飯も美味しいかと思ったけど、サンマは白米で食べた方が美味しいかなと思って」  蒼志からの言葉に、思考が中断する。  直ぐに、晩御飯のことに―――幸せな会話に思考を切り替える。 「違いない。炊き込みご飯も確かに美味しいけど、白米も最高に美味しいし、おかずの美味しさを引き立てるよなぁ~」  スーツをスウェットに着替え、手を洗う。鏡で自分の顔を確認した。変に深刻な顔になっていないか。蒼志が安心出来る顔になっているかどうか。  仕上げに顔を洗い、両手で頬を叩く。パァン、といい音を立てて、切り替える。 「今日も旨そうだな。いつもありがとう、蒼志」 「たかあづもお仕事お疲れ様!」  食卓に着き、ほかほかのご飯を前に蒼志の頭を撫でてやる。蒼志はくすぐったそうに笑う。  子供って言うのは、真っ白なキャンバスのようだな、と思う。純粋無垢。上から親―――大人に描かれる絵の具の色や絵で、性格が決まる。価値観になる。その子の根本を、作ってしまう。  野良は―――蒼志は、きっと何も描いて貰えなかった。  そのまま色褪せて埃を被ってしまったキャンバスを、俺が拭いた。丁度、今、そんなタイミングなんだと思う。  蒼志は同じ年頃の男の子に比べると、きっと恐ろしい程に純粋だった。それに、とても甘えてくる。幼少期に満たされなかった子供心を解放しているように思う。きっと、そうなのだろう。  それがこんなにも、可愛くて仕方がない。  自分にもこんな感情が眠っていたことに、何度だって驚く。それから、有り難く思う。 「いただきます」 「いただきます!」  思考を中断し、二人で手を合わせる。  それからは料理に舌鼓を打ちながら、今日のことについての会話をする。どんな勉強をしたのか、どんなテレビを観たのか、どんな本を読んだのか。  今、蒼志がどんなことに興味があって物事に対してどんなことを考えるのか、知りたかった。保護者として知るべきだとも思う。  蒼志はこの時間が好きらしく、いつも目を輝かせて色んな話を聞かせてくれる。  勉強はもう、中三の内容まで進んでいた。実年齢とどうなのだろうか。未だに、蒼志の年齢を知る術はないし、本人も知らないのではないかと思う。  日中観るテレビは、お笑いよりも勉学・雑学系のものが好きだった。トマトに含まれるリコピンは免疫機能の低下を予防・改善する効果があって、朝に接種するのが一番いいとか、肉じゃがは明治時代、海軍だった東郷平八郎と言う人が『ビーフシチュー』を食べたいからと作らせたのが起源だと言われているものの、当時には既にビーフシチューがあったという説もあるのだとか。  蒼志はオーパーツと言う言葉にも興味を持っていて、歴史の話や、UFOの話になったりもする。  生活に役に立つとか立たないとかは度外視に、色んなことに興味を持って、吸収していっていた。まさに、白いキャンバス。もしくは、水を得た魚。水を得たスポンジ、かもしれない。  知識欲はどんどんと肥えていく。けれど、二の腕の細さは相変わらずだった。  長袖から覗く手首を盗み見て、少しだけ、落胆する。  満足に食べさせて貰えられずに生きて来たことを物語る。その全てを早く、上書き保存したい。 (秋だからと思って、魚ばっかり買って来ちゃったな。鶏肉も沢山買い貯めておこうか)  蒼志が一人で外出することはNGにしていた。  買い物は専ら、俺がしている。 「明日は唐揚げが山程食べたいな」 「うん! わかった!」 「ありがとう。定時で上がるから、待ってて」  手を伸ばし、頬を撫でる。そうすると蒼志はまるで猫にでもなったように、その手のひらに擦りついてくる。 (……ああ。うちの子、めっちゃ可愛いな……)  こういうスキンシップは『親』としての普通の距離感ではないのかもしれない。  でもどうしても可愛くて、蒼志をこねぐり回したくなるのだ。  二人で手を合わせて「御馳走様」した後は、蒼志が先に風呂に入り、俺が洗い物をする。我が家は作らなかった方が洗い物をする決まりだ。 「退屈な時でいいから」と言ったものの、[[rb:あの日>・・・]]から、蒼志は一緒にキッチンに並び、料理を覚え、それから殆んどの夜、俺の為に御飯を作ってくれた。  強要してしまっただろうか。  蒼志に買い与えた沢山のものを思い出す。  それから、ひっそりと反省する。  一方的に与え続けることは、確かに相手に気まずい気持ちを与えてしまう。「ありがとう!」と手離しに喜んでしまっていいものかと考えさせてしまう。 「唐揚げ、明日、一緒に作ろうか?」  風呂を終えた蒼志に、さも今思い立ったように声をかけた。  ソファーに座るように促して、その髪の毛をタオルドライしてやる。ドアイヤーのコンセントを挿す。 「いいね! あ。でも、そうしたら、帰宅して直ぐ晩御飯出来ないじゃん」 「別にいいよ。一緒に作った方が楽しいだろ?」 「疲れてるでしょ? いいよ、日中つけおきしておくし、そうしたら後は揚げるだけだから」  わりと煩いドライヤーの音に負けじと、蒼志は声を張り上げる。 「んー…。じゃあ、今度の土曜日は何か食べに行こうか。焼肉とか」  骨ばったうなじに髪の毛が貼り付く。  それを優しく掬い上げてドライヤーを当てる。その繰り返し。ドライヤーをかけてやることも、代わりに俺の風呂上がりにドライヤーしてくれることも、すっかり我が家の定番になった。  「嬉しいけど、急にどうしたの?」 「たまにはいいかなって」 「…………」 「家の方がいい?」 「ううん。楽しみ!」  弾むような声にホッとした。  外食なんてあまりしない。費用を気にしてのことじゃない。もし、蒼志を知る誰かに見られた時、食事中っていうのは行動が制限されるからだ。あっちこっち連れ回すのも、なるべく遠い場所へ行くようにしている。  何かを行動する時、そんなことを考えなきゃいけないんだなと思う一つ一つが、俺と蒼志が普通の親子ではない証明のようだった。  蒼志が俺の本当の子供だったらいいのに。  そんなことを最近、よく思う。  学校に通わせてやるのに。  自由に外出させてやるのに。  美味い店に散々連れていってやるのに。………色んな、『こうしてやりたい』が沸いてくる。  堪らない気持ちになって、骨ばったうなじにキスを落とす。それにさえ、下心なんて無い。素直に愛おしい、という気持ちがそうさせる。  蒼志はくすぐったそうに身を捩る。 「おやすみなさい、たかあづ」 「おやすみ、蒼志」  ベッドの中の蒼志とお互いの頬っぺにキスをしあうのは、日本の習慣にそぐわない。けれど、蒼志が名前を教えてくれたあの日から、これもまた、俺達の新しい習慣になった。 『キスは好きって言う証だから、これから“おやすみ”と❩おはよう”のキスをしてよ』  あの日、蒼志が布団に入るなり、そう言った。 『ほっぺたに。沢山、オレのこと好きだよって、わかるように伝えて欲しい。……ダメかな?』  少し不安そうに、けれど期待を込めた瞳を向けられて、断れる人間なんているだろうか? 『わかった』  俺は勿論、頷いた。  それでなくても、蒼志の寝顔を覗き込んでは愛しさに溢れて、額にキスしてしまうことは何度かあった。合意になっただけ。起きている時、ほっぺたにすることに変わっただけだった。  純粋無垢。  蒼志の心はまさにそれ。   ******
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