第三話 落としたんじゃなくて、無くしてたのかもしれない。

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 お腹をすかせて辛いと思ったことがない。  欲しいものを買って貰えず、地面に寝そべって泣き喚いたことがない。  そもそも、親に怒られたことがない。  否定されたことがない。  それは、きっと、幸せなことなのだろう。 『衣食住以外に悩みがあるなら、幸せなんじゃないですか』  いつかの、千里の言葉を思い出す。  そうなのだろう。きっと、そうだ。  だから、冬の寒さや夏の暑さに堪え忍んだり、腹をすかせて耐え難いと思ったり、雨風に晒されながら寝れない晩を過ごしたことの無い俺が、それ以上のことを求めるのは贅沢なのかもしれない。  だけど。  褒められたこともない。  家族で旅行へ行ったこともない。  そもそも親が家に居ない。リビングに置かれたお金を使って買いに行く、一人の晩餐。独りの時間。  それは確かに、孤独で空虚で、俺の心を鈍くさせた。  興味がないのなら、何故生んだのだろう。そう思った。  これまでの人生で何人かと付き合ったことがあるが、いつだって上手く行かなかった。それを、親のせいにした。 「好き」と言われるのが、怖い。  目に見えないものをどう信じたらいいのかわからない。そんな言葉を信じられない。  テンションの上がった人間が、その場の気分で言っているだけに過ぎない言葉だと、鼻で笑ってしまう。  いつしか、そういう人間になっていた。 「今は好き」なのかもしれないけど、いつかそうじゃなくなる日が必ず来るのだと信じて疑わなかった。それに、そんな日が来るのは、彼女に同じだけの「好き」を返せない自分に原因がある。  空虚な人間になっていた。  怖かった。  何処にも居場所がないのに、それを悲しいとすら思えなくなっている自分が、怖かった。  人間のふりをして生きているようだと思った。  存在価値なんて無いのだと思いながら、そう言い当てられてしまうのが怖かった。  だから、ひたすらに勉強をした。  友人も恋人も、俺の人生に必要ない。  俺が俺を認めてあげられることが、俺の人生の全てだった。  そんな俺なのに、いつかは結婚する日が来るだろうと思っていたことが笑える。  そういえば俺は、誰も愛せず、誰からも愛されず、それでも幸せな未来があるのだろうと呑気な勘違いをしている、残念な人間だった。 『愛されたいって思うのって、そんなに悪いこと?』  無精髭の生えた、誰からも相手にされていないような小汚ない男が笑った。歯も抜け抜けだ。笑わせた唇も紫色をしている。恐らく、かなり煙草を吸うのだろう。 『オレは誰からも愛されたいし、誰をも愛したいね』 『…………』 『けど、誰からも愛されなくても問題はない。何故だかわかるか、青年』 『…………』 『オレが、それでもアンタらを愛しているから。アンタらがオレを愛してるかどうかなんてのは、なんの関係もない』 『…………なんだそれ』  なんだそれ、と思ったけど、なんでだか涙が出た。  飲み過ぎたのだろう。そう思った。だから、軽率に涙が出る。  愛されたいと叫んでいた本心を、自分からも隠し続けて来た。愛されたいと思ってるくせ、自分は誰かを愛せない。だから、仕方がないのだ。愛されなくても。  そんな風に思っていたところで、あっくんに出会った。  こんな俺でも、愛されたいと思ってもいいのか。……なんて。  軽率に、それでも確かに、赦された気がしたのだ。 ******
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