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電気を着けたあっくんの部屋は、当たり前だが昨日と何の様子も変わらなかった。
一昨日片付けた電気ヒーターのことを思い出し、引っ張り出してコンセントを差した。そう言えば、電気は通っているのだから、電子レンジも使えるのだと言うことに今更ながら気が付いた。
毛布はダニだらけかもしれない。そうも言ってられないかもしれない。考えた結果、棚からバスタオルを拝借して野良へ渡した。濡れた服を脱いで、体を拭くように指示をする。
「…………あー……あの、気を悪くしたら、申し訳ないん……だけど、あの、一応訊くけど、…………おとこ、だよね?」
「…………」
体を拭くように指示をした後で、思い出したように尋ねた。野良はこくりと首を縦に振る。ほっとした。けど、念の為に背中を向けておくことにして、収納ケースから着れそうな服を探した。
(家捜しみたいでごめんね、あっくん)
心の中で謝罪したが、きっとあっくんは怒らない。「おうおう、着せたれ。俺が持ってても仕方ねぇからな。早く野良に着せてやって」きっと、そんなことを言うだろう。
向こうで、濡れて重たくなった衣類が落ちる音がする。
ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
どうして、こんな気持ちになるのかわからない。
疚しいことなんて何もないし、野良は男だと確証を得たのに。なんだか気まずく、そちらを見ることが出来ない。
歳の差があるからだろうか。『児童ポルノ』と言う文字が頭に浮かぶ。ドキドキと言うよりも、ヒヤヒヤとした。疚しいことなんてないのに、疚しいことをしているような気持ちになるのは多分、男の子でも男の性の対象になることを知っているからだろうか。
野良の、存外に整っていた顔立ちが脳裏に浮かぶ。前髪が貼り付いて、露になった瞳は雨に濡れて潤んで見えた。くっきりとした鎖骨。貼り付いた服。透ける肌色。――――妙に、艶っぽかった……。
(アホ! バカ! ゲス野郎かっ、俺は!)
脳裏の記憶を掻き消し、適当に手にした服を後ろ手で野良へ渡す。
「拭けた? ノーパンは抵抗あると思うけど、流石に下着はアレだろ。取り敢えず、上と下と適当に選んだから、着ときな」
言葉は聞こえないが、差し出したものが受け取られた気配があった。手を離し、意味も用事もないのに台所へ向かう。向かってから、親子丼とカツ丼を温めたらいいことに気が付いて、レンジにかけながら時間を潰して気を紛らわせた。
すっかり着替えた野良と、晩飯を食べた。
野良は相変わらず親子丼を選び、スプーンで掻き込んだ。
適当に選んだあっくんの服は相変わらずハデなデザインで、野良には全く似合ってない。けど、そのちぐはぐさがなんだか好きだなと思った。元々、あっくんの服のセンスは好きだった。見る専門だけど。臆さずに着こなしていたあっくんが凄いのだ。
野良は一日で記憶が初期化されるのか、一緒に飯をするのは三度目だと言うのに、まるで俺に慣れた様子がない。初日の方がまだ、一緒に掃除をする時に会話をした。
平日はいつも来ているのだろうか? それとも、今日はたまたま?
何かがあって飛び出して来たのは、一目瞭然だった。傘も持たずに走って来たのだから。そう言えば、靴はちゃんと履いていた。玄関が狭いので、脱いだ靴は収納するように言い付けられていたことを、律儀に守っているようだった。
「……あのさ、」
何を言うべきか。何を訊くべきか。俺は、なんと言おうとしているのか。口を開いたわりに、続く言葉を決めていなかった。
「…………」
続く言葉を待っているような気配がする。
「……お茶、買い忘れたから買って来る。他になんか、いる?」
結局、核心を突くようなことは訊けなかった。それが懸命な判断だったのか逃げだったのかは、考えないようにした。
「…………プリン……」
「オッケー。いってきます」
返答があったことが嬉しくて、色々と考えるのはプリンを食べながらにしようと決めた。
プリンとミルクティー、お茶を買った。ミルクティーは、流石に野良が好きそうだなと思って独断で買ってみたが、どうだろう。
「ただいまー」
すっかり慣れ親しんでしまったあっくんの家に着くと、自然と「ただいま」と言ってしまった。この家に自分を待つ人間がいると言うのも不思議な感じだ。
「……あ、」
野良はそんな俺を見て戸惑っているようだった。
「お、おかえり……」
それでもおずおずと応えてくれて、本日の嬉しさが倍増した。
「帰宅を待ってる人がいるって、いいな」
素直な感想だった。
「……なぁ、えっと……、」
野良のことを呼びがけて、そう言えばまだ名前を訊いていなかったことに気が付いた。
「ごめん。名前、訊いてもいい……?」
「…………」
「いや、ニックネームとかでもいいんだ。ハンドルネームとか? あっくん……敦士には、なんて呼ばれてた?」
俺は君のことをなんて呼んだらいい? 折角、ほんの少し柔らかくなった空気が、また少し緊張感を取り戻してしまったのを感じて慌てた。まだまだ警戒されていることに、少し悲しさも覚えた。
あっくんは彼を、一体何日くらいで懐かせたのだろう。
いつまで経っても留守のあっくんの家に入り浸るなんて、余程心の拠り所に思っているとみえる。三日で築けるわけがないか。どうだろう。彼はいつから、どうやってあっくんと知り合ったんだろう。
あっくんと酒を飲みながら交わした会話の中に、彼の話題は出ていなかっただろうか。なんにも覚えていない。きっと、その日話したことも次の日には忘れていただろう。そんな、本当に取り留めもない会話ばかりを楽しんだ。
「…………田中太郎………」
「えっ」
「田中太郎。……呼び名が必要なら、そう呼んで」
「……本名……?」
太郎は首を振る。俺は苦笑いした。
「じゃあ、『野良』って呼ぶわ。お前が少しでも俺に安心できたら、本当の名前を教えてくれ」
それで、と言葉を続ける。
「野良さ、俺ん家に来ない?」
本題を切り出した。
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