第一話 雨の日の、拾いもの。

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 電気を着けたあっくんの部屋は、当たり前だが昨日と何の様子も変わらなかった。  一昨日片付けた電気ヒーターのことを思い出し、引っ張り出してコンセントを差した。そう言えば、電気は通っているのだから、電子レンジも使えるのだと言うことに今更ながら気が付いた。  毛布はダニだらけかもしれない。そうも言ってられないかもしれない。考えた結果、棚からバスタオルを拝借して野良へ渡した。濡れた服を脱いで、体を拭くように指示をする。 「…………あー……あの、気を悪くしたら、申し訳ないん……だけど、あの、一応訊くけど、…………おとこ、だよね?」 「…………」  体を拭くように指示をした後で、思い出したように尋ねた。野良はこくりと首を縦に振る。ほっとした。けど、念の為に背中を向けておくことにして、収納ケースから着れそうな服を探した。 (家捜しみたいでごめんね、あっくん)  心の中で謝罪したが、きっとあっくんは怒らない。「おうおう、着せたれ。俺が持ってても仕方ねぇからな。早く野良に着せてやって」きっと、そんなことを言うだろう。  向こうで、濡れて重たくなった衣類が落ちる音がする。  ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。  どうして、こんな気持ちになるのかわからない。  疚しいことなんて何もないし、野良は男だと確証を得たのに。なんだか気まずく、そちらを見ることが出来ない。  歳の差があるからだろうか。『児童ポルノ』と言う文字が頭に浮かぶ。ドキドキと言うよりも、ヒヤヒヤとした。疚しいことなんてないのに、疚しいことをしているような気持ちになるのは多分、男の子でも男の性の対象になることを知っているからだろうか。  野良の、存外に整っていた顔立ちが脳裏に浮かぶ。前髪が貼り付いて、露になった瞳は雨に濡れて潤んで見えた。くっきりとした鎖骨。貼り付いた服。透ける肌色。――――妙に、艶っぽかった……。 (アホ! バカ! ゲス野郎かっ、俺は!)  脳裏の記憶を掻き消し、適当に手にした服を後ろ手で野良へ渡す。 「拭けた? ノーパンは抵抗あると思うけど、流石に下着はアレだろ。取り敢えず、上と下と適当に選んだから、着ときな」  言葉は聞こえないが、差し出したものが受け取られた気配があった。手を離し、意味も用事もないのに台所へ向かう。向かってから、親子丼とカツ丼を温めたらいいことに気が付いて、レンジにかけながら時間を潰して気を紛らわせた。  すっかり着替えた野良と、晩飯を食べた。  野良は相変わらず親子丼を選び、スプーンで掻き込んだ。  適当に選んだあっくんの服は相変わらずハデなデザインで、野良には全く似合ってない。けど、そのちぐはぐさがなんだか好きだなと思った。元々、あっくんの服のセンスは好きだった。見る専門だけど。臆さずに着こなしていたあっくんが凄いのだ。  野良は一日で記憶が初期化されるのか、一緒に飯をするのは三度目だと言うのに、まるで俺に慣れた様子がない。初日の方がまだ、一緒に掃除をする時に会話をした。  平日はいつも来ているのだろうか? それとも、今日はたまたま?  何かがあって飛び出して来たのは、一目瞭然だった。傘も持たずに走って来たのだから。そう言えば、靴はちゃんと履いていた。玄関が狭いので、脱いだ靴は収納するように言い付けられていたことを、律儀に守っているようだった。 「……あのさ、」  何を言うべきか。何を訊くべきか。俺は、なんと言おうとしているのか。口を開いたわりに、続く言葉を決めていなかった。 「…………」  続く言葉を待っているような気配がする。 「……お茶、買い忘れたから買って来る。他になんか、いる?」  結局、核心を突くようなことは訊けなかった。それが懸命な判断だったのか逃げだったのかは、考えないようにした。 「…………プリン……」 「オッケー。いってきます」  返答があったことが嬉しくて、色々と考えるのはプリンを食べながらにしようと決めた。  プリンとミルクティー、お茶を買った。ミルクティーは、流石に野良が好きそうだなと思って独断で買ってみたが、どうだろう。 「ただいまー」  すっかり慣れ親しんでしまったあっくんの家に着くと、自然と「ただいま」と言ってしまった。この家に自分を待つ人間がいると言うのも不思議な感じだ。 「……あ、」  野良はそんな俺を見て戸惑っているようだった。 「お、おかえり……」  それでもおずおずと応えてくれて、本日の嬉しさが倍増した。 「帰宅を待ってる人がいるって、いいな」  素直な感想だった。 「……なぁ、えっと……、」  野良のことを呼びがけて、そう言えばまだ名前を訊いていなかったことに気が付いた。 「ごめん。名前、訊いてもいい……?」 「…………」 「いや、ニックネームとかでもいいんだ。ハンドルネームとか? あっくん……敦士には、なんて呼ばれてた?」  俺は君のことをなんて呼んだらいい? 折角、ほんの少し柔らかくなった空気が、また少し緊張感を取り戻してしまったのを感じて慌てた。まだまだ警戒されていることに、少し悲しさも覚えた。  あっくんは彼を、一体何日くらいで懐かせたのだろう。  いつまで経っても留守のあっくんの家に入り浸るなんて、余程心の拠り所に思っているとみえる。三日で築けるわけがないか。どうだろう。彼はいつから、どうやってあっくんと知り合ったんだろう。  あっくんと酒を飲みながら交わした会話の中に、彼の話題は出ていなかっただろうか。なんにも覚えていない。きっと、その日話したことも次の日には忘れていただろう。そんな、本当に取り留めもない会話ばかりを楽しんだ。 「…………田中太郎………」 「えっ」 「田中太郎。……呼び名が必要なら、そう呼んで」 「……本名……?」  太郎は首を振る。俺は苦笑いした。 「じゃあ、『野良』って呼ぶわ。お前が少しでも俺に安心できたら、本当の名前を教えてくれ」  それで、と言葉を続ける。 「野良さ、俺ん家に来ない?」  本題を切り出した。
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