姉が止まりません

1/1
前へ
/18ページ
次へ

姉が止まりません

 俺は残りのおかずを瞬く間に食べ終えてしまった。おかわりが来るまで手持ち無沙汰だ。 ぼんやりと姉の方を見た。そうだ。姉も大学生だった。 「姉ちゃん。大学生ってどんなカッコしてるの?」 「ん?普通だよ」と姉は言い、眉を動かした。「あっさては!大学デビュー、狙ってるな?」 「いや。どんなカッコで行けばいいかな、と」と俺は答えた。つい、語尾が弱くなってしまう。 「悪い事は言わないから、今ある服は全部やめておきな。アレ、お母さんがスーパーの隅っこで買った服でしょう?控えめに言ってダサい。オジサンの着る服だよ」 「ご忠告、ありがとう」と俺は言った。あの中には気に入っている服もあったが、何も言わないでおく事にした。 「よしよし。いいコだ」と姉は言い、何度も頷いた。「アンタが服装に気を使うようになるなんて、私は嬉しいよ。ようやく人間じみてきたね」 「今度、アウトレットに行くけど」と俺が言いかけると姉は手で制した。 「それは良い行いだ。後で、どこのショップが良いか教えよう。その前に!アンタ、何が良いか、何が流行ってるかとか分かってる?」と姉は腕組みをして言った。食事の途中にも関わらず、箸は置かれていた。そして目が光っていた。明らかに面白がっている。 「いや、分からないけど」と俺は正直に答えた。 「うん。うん。そうだろうねぇ。お姉様に何でも聞きたまえ」と姉は胸を張り芝居がかった口調で言った。「服装は全体のバランスなの!幾らお洒落なシャツでもボトムと合ってなかったら、ダサいの?分かる?で!アンタ、合うとか合わないとか分からないでしょう?だから、最初はマネキンの着てる服、全部買いなさい。さらに店員さんに買い足すべきアイテムを聞きなさい。これが一番間違いが無い」  姉は食べるのを止め、服装とコーディネートについて語り出した。 「もう。服なんて、ジーパンとTシャツで充分でしょ?男の子なんだし」と盛大に湯気を立てる大皿を持った母が降臨した。 「待ってました!」と俺は言い、箸を伸ばした。 「服なんて今あるので充分でしょ?」と母は言った。 「ダメよ。大学生なんだから、それなりの服装ってモンがあるのよ」と姉は母に鋭い視線を向けた。「優斗、食べる前に私の話を聞いておきなさい!」  俺は湯気を立てる生姜焼きを目の前にしながら、箸を置いた。腹が抗議をすべく間の抜けた音をたてた。 「優斗、アンタ、大学生活は短いのよ。これが終わったら社会人よ。お父さんと同じなのよ」と姉は言い、空いている父の席を指差した。 「どういうコトか、わかってる?」  俺は首を横に振った。 「もう!無駄な事が思い切りできるのは大学生まで!後は長い長い社会人よ。そりゃ社会人になっても楽しい事はあるよ、きっと。でもね?学生の時にしか出来ない事はたくさんあるの! 遊べる最後の機会よ!若い頃に遊んでおかないと歪むって色んな本に書いてあるわ。だから!まずは身だしなみ。ファッションよ。このハードルを超えないと惨めで孤独な大学生活よ!」と姉は腕を振り回しながら熱弁を振るった。 「俺、新井や三木とか友達いるよ」とささやかに囁いた。 「新井くんと三木くん?ああ、あの二人ね。優斗、あの二人はいつまでもアンタと遊んでくれないわよ。三木くんは口が巧いし、一緒にいて楽しい。新井くんは顔が良い。おまけに落ち着いて頼り甲斐がある。あの二人はすぐに彼女が出来る。よってアンタはすぐに孤独よ」と姉は断言した。 「でもね、あんまり色気づいても」と母が遠慮がちに反論した。 「何言ってるの、お母さん。優斗がどれだけ色気づいても、たかが知れてるわよ。だってあのお父さんの息子よ!」と姉は断言した。自身もあのお父さんの娘である事が記憶から抜け落ちているとしか思えなかった。「ここで色気づいておかないと取り返しがつかない事になるわ、絶対!」  それを聞いた母は額に手を当て、天を仰いだ。遥か昔を思い返しているようだった。 「説得力しか無いわね」と母は同意した。この二人は遠回しな自己否定に気がついていないのだろうか。かたや『あのお父さん』の娘、かたや『あのお父さん』の妻。それとも自分だけはイケてると思っているのだろうか。 「優斗。アンタ、普通に大学に通ってたら、自然に彼女が出来て、気がついたら結婚して、家庭を持って、子供ができて、なんて思って無い!?」と姉は言い、テーブルをドンッ!と叩いた。「大間違いよ!そんなのは!」  俺は母の方を見た。しかし、母は台所に姿を隠していた。逃げたな。 「なんかキッカケがあれば……」と俺は言い、ささやかな自己主張をした。 「キッカケなんて自分で作るのよ!もし、キッカケがあったとして!チャンスが来たとして!その時、ダッサイ格好してたら、掴めないわ!それに優斗。アンタは優しい。すぐに相手の気持ちを優先する。こういう男はモテないのよ。行くべき時は強引に行くのよ。遠慮なんかしたら相手に失礼になるわ。もっと我儘になっていい。大丈夫。アンタは人を大事にできるから」そう姉は言い、再び、テーブルを叩いた。  俺は強引に、湯気の消えた生姜焼きに箸を伸ばすべきか悩み続けた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加