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とある北国の奥にある、小さな村。
そんな村の片隅に、古びた家が一軒、ひっそりと佇んでいる。
かつては母方の祖父母が住んでいたが、今は誰も居ない。
もう何年も放置されていて廃墟同然だと聞いている。
冬の時期、この一帯は深い雪に覆われる。
踏み締める足が雪に埋もれる。
その感触を味わいながら、私は目的地へ向かってゆっくりと歩いた。
思えば、初めてこの地に来た時もこんな雪の季節だった。
10歳の頃の冬。
両親の離婚に伴い、私は母に手を引かれながら祖父母の家に連れてこられた。
突然のことで、幼かった私には何をどうすることもできなかった。
都会から田舎への引っ越し。
父親との別れ。
友達との別れ。
それまで殆ど関わりの無かった祖父母との同居。
慣れない環境の中で、私はただただ困惑するばかりだった。
更に不味いことに、私は引っ込み思案な性格だった。
閉鎖的な村に突如として現れ、ろくに馴染めもしなかった私のような人間は、
異物として排除されるのは当然だった──と、大人の頭を持つ今の私ならそう理解できる。
けれど、子供だった当時の私は、理不尽な思いの中でひっそりと泣くことしかできなかった。
友達なんかいない。
母親はいつも不在。
祖父母は……なんだかよく分からない。
どうしようもない孤独の中で、私は雪だるまを作った。
軒先のありあまる雪をかき集めて、子供サイズの雪だるまを作った。
落ちていた枝や小石で目鼻を作り、自分の手袋やマフラーを与えてそれらしいものにした。
雪でできているから「雪子ちゃん」と名前を付けた。我ながら適当すぎる。
私は毎日雪子ちゃんに話しかけるようになった。
「ねえ聞いて。今日は後ろから教科書を投げつけられたの。
お前なんか東京に帰れ、だってさ。出来ることなら私もそうしたいよ」
「あのね、クラスメイトの女の子たちが私を見てクスクス笑ってたの。
何を話してたんだろうね。まあ、ろくなことじゃないんだろうね」
「昨夜さ、お母さんにお父さんのことを聞いてみたの。
そしたらすごい顔で怒られちゃった。……もう、聞かないほうが良いのかな」
孤独な子供のどうしようもない愚痴を、雪子ちゃんは黙って聞いてくれていた。
うーん、そもそも雪だるまだから、人間みたいに言うのは違うかな。
でも、そんな雪子ちゃんの存在があの頃の私にとっては唯一の救いだった。
やがて季節が春に移りゆくにつれて雪子ちゃんは徐々に小さくなっていった。
当然といえば当然だ。
雪だるまなんだから、春になればいずれは消えてしまう。
子供の頭でもそんなことは分かっていた。
それでも、寂しい気持ちが抑えられなくて私は心の底から願った。
「ずっと一緒にいたい」と。
その翌日のことだった。
「雪子ちゃん」が消えていた。
溶けてしまうにはまだ早いはずだった。
それにも関わらず雪子ちゃんは消えてしまっていた。
大人によって撤去されたのかとも思った。
それにしては、私の手袋やマフラーは返ってこなかった。
不可解に思いつつ肩を落として学校に行った。
その日、転校生が来た。
『冬野 雪子』と名乗る女の子だった。
その名の通り、雪のような白い肌に愛らしい笑みを浮かべる素敵な子だった。
彼女は、他の子を差し置いて真っ先に私に話しかけてくれた。
明るくて活発な印象の子だった。
それまで友達なんか居なかった私は、それはもう嬉しくなって精一杯に雪子ちゃんに応えた。
その日から私の学校生活は実に楽しいものになった。
いつも雪子ちゃんと一緒だった。
私と違って明るい雪子ちゃんは、いつも私を元気付けてくれた。
ひとりぼっちじゃなくなったことで、周りの子から虐められないようになった。
二人でのおしゃべりを楽しんでいたら少しずつ友達が増えて、
クラスメイトの誰とでも仲良く過ごせるようになっていた。
そうして中学に上がる頃、私は再び都会に移ることになった。
母の再婚に伴ってのことだった。
せっかく馴染んでいたのに……何より、大切な友達だった雪子ちゃんと離れてしまうのが辛くて辛くて仕方なかった。
それでも、未成年の立場ではどうしようもなくて泣く泣く引っ越しした。
ほどなくして年の離れた異父弟が生まれた。
家庭の中での居心地の悪さに耐えられなくなった私は、高校進学に伴って逃げるように家を出た。
あの年で家を出ることを咎められることも心配されることも無かったのは幸いだった。
こうして、高校時代は勉学とバイトに明け暮れた。
高校卒業後はとにかく親の世話になりたくない一心で、さっさと就職した。
大してやりたい仕事でもなかったけど、とにかく就職することを第一にしていた。
それからは、とにかく仕事で忙しいだけの日々を送った。
そうして何年かが経ったある日、とある招待状が私の元に届いた。
あの雪深い北国にある小学校にて、同窓会が行われるとのことだった。
懐かしさと共に、雪子ちゃんとの思い出が脳裏に甦った。
それだけで泣きそうになった。
もう一度雪子ちゃんに会いたい一心で、私はかつて通った雪国の小学校へ向かった。
同窓会の場では、当時のクラスメイトたちが笑顔で迎えてくれた。
お互いに大人になっていたが、それなりに面影は残っている面々ばかりだった。
けれど、雪子ちゃんの姿がどこにも見当たらなかった。
不思議に思って、幹事の人に聞いてみた。
「今日は雪子ちゃんは来てないの?」と。
そしたら、幹事の人は怪訝な顔をした。
「雪子ちゃんって誰?」と。
他の人たちにも聞いて回ったけど、誰も「雪子ちゃん」のことを覚えていなかった。
おかしいと思って卒業アルバムを確認したりもしたけど、「雪子ちゃん」らしき女の子はどこにも居なかった。
酷く困惑したけどそれ以上は何も言えず、全て私の勘違いということでその場は済ませた。
でも、本当は勘違いだなんて思ってない。
「雪子ちゃん」は確かに居た。
孤独だった幼い私にとっての唯一の救いだった。
……でも、それを証明する術が、私には無い。
どうしようもない思いを抱えて、私はかつて暮らしていた祖父母の家までやってきた。
雪に埋もれた小さな村の片隅に佇む、廃墟同然の家。
その軒先、ありあまる雪をかき集めて私は雪だるまを作った。
落ちていた枝や小石で目鼻を作り、自身が身につけていた手袋とマフラーを与える。
うん。子供の頃に作った「雪子ちゃん」もこんな感じだった。
懐かしい思いに駆られて、つい話しかけてしまった。
「ねえ、雪子ちゃん。昨日の同窓会、来てなかったね。
私、雪子ちゃんに会いたくて同窓会に出てきたからさ、寂しかったよ」
「ねえ、聞いて。この間、残業で終電逃すぐらいまで頑張ったんだけど、
残業代には何も反映されなかったの。酷くない?」
「あのね、先輩のミスで取引先を怒らせたのに、いつの間にか私のせいになってたの。
信じられないよね」
「今の仕事辞めちゃいたいなあ。
でも、就職活動して『ここで働かせて下さい』って言って、
その翌日には仕事なんか行きたくないって言ってるんだよ。おかしいよね」
「こういうのを同僚に相談したらね、
『皆そうだよ』とか『それが社会人だよ』って言われるの。
皆が嫌な思いをしながら成り立つ社会って何なんだろうね。
おかしいよね。笑っちゃうよね」
雪だるまの「雪子ちゃん」にひたすら愚痴を言う。
幼いあの頃のように。
あの頃と違うのは、私が体だけ大人になってしまったこと。
そして、未来に対して何の希望も持っていないことだ。
「はあ……ごめんね。聞いてくれてありがとう」
深いため息をついて、全てに諦めをつけようとした。
その時、不意に背後から背中を押された。
「久しぶりね!」
振り返ると、そこには雪のように白い肌をした女の子が、満面の笑みで佇んでいた。
「一緒にいこう。これからはずっと一緒だよ!」
(終)
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