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暁の番人であるソラ様は昼を知らない。
否、正確にはご自身が創造された夜の世界しか意識を保てないのだ。
「ミカ。悪いけど、今晩中に資料整理を終わらせたいから手伝ってくれる?」
「御意」
私の返答と共にソラ様の頬が微かに緩む。
ご尊顔や体型から児子のような容姿を持つが、ソラ様のご年齢は四桁を越えていらっしゃる。
とある地の果ての地球という星では、彼のことを敬意を持ち神と呼ぶらしい。……まあ、我々、天使どもにとっては『誰そ彼の君』の方が慣れ親しんだ異名、敬称ではあるが。
「――ソラ様。こちらの資料は……わっ」
聳え立つような数多の棚に、貴重な文献が丁寧に纏められた資料の間。否、正確には以前訪れた数週間前には綺麗だったはずだが現在は、その、見事な散らかりを見せている。
「あはは……吃驚したでしょ。ちょっとね、気になったことを探しているうちにこうなってて……自業自得なんだけど、一緒にやってくれる?」
ソラ様の碧眼が潤うように揺れ動く。
私よりも低い背丈、曇りない眼から発せられる目線、不安げな表情に私の中で何かが擽られた。
「仰せのままに」
「やった! ふふっ、ミカと一晩中話せるなんて嬉しいな。一緒に頑張ろうね!」
「御意」
尊きお言葉と、眩しき破顔。
嗚呼、大天使ミカエルとなって約五百年。このような幸福が自身にあって良いものだろうか。胸の高鳴りが止まらない。それでも……平常心を、保たなければ。
「ミカって、何か好きなものとかあるの?」
作業を開始してものの数刻、ソラ様は宙へとご自身を浮かばせながら私に何気なく問うた。
「好きなもの、ですか」
「そう! 例えばそうだな、僕はこういった文献書が好き。比較的、他者より長生きの自覚はあるけどまだまだ知らないことたくさんあって……。ほら僕、明るい時間帯って認知出来ないから」
沈黙。
どう返答すべきか、この短期間で良き返答へと辿り着かなかった。……永久に主君が、苦悩を抱える内容だとしても。
「あ、ごめんごめん! 愚痴を言いたかったわけじゃなくて。ミカの話!」
「私の、ですか……」
「そうそう。僕の側近になってくれて、数十年が経つでしょ? けど、いつも互いに仕事に追われてて意外と知らないなぁって思って」
ソラ様が、私のことをご興味持ってくださっている。
そう、解釈出来るような有り難きお言葉に内心舞ってしまうが、ご質問の回答をありのまま口にすべきか迷った。それは、何故か。
――ソラ様の寝姿が尊きこと。
主君の問いに素直に回答するならこれに限る。限る、が……。
「……いえ、私は。ソラ様の側近を任されているだけで幸福でございます」
「うーん、凄く嬉しいけどそういう答えが欲しいわけじゃ……まあ、いっか」
申し訳こざいません。主君に嘘を吐くとは重罪の極みではあります。ですが――。
「……よし、終わったー!」
散らばっていた書物は元の位置に戻り、本日の職をソラ様は真っ当された。
「今宵の業務、誠にお疲れ様でした」
「ミカも。僕の我儘に付き合ってくれて有難う。ふぁー……む、そろそろ限界かも」
瞳を細め、欠伸を繰り返す。
夜明けが近い、そう象徴するような出来事には数十年経った今でも寂しさを覚える。
「……お疲れですね。寝室へ参りましょう」
こくり、とソラ様は頷き移動を試みた。
「ミカ、おやすみ。また今日の夜に、ね」
「はい、おやすみなさい。ソラ様」
返答の代わりに規則正しい寝息が耳を擽る。
暁の番人、誰そ彼の君、夜の神――。
他者は貴方様を異名や敬称でそう呼ぶ。
だが、そのような超人でも彼の無防備な寝顔を拝見したらどう思うのか。
「いや、この尊きお姿を知っているのは私だけでいい。……おや?」
寝具の隣をふと見ると、一冊の書物に目を奪われた。真っ白な表紙に一人の人物が描かれていたもの。
タイトルは――『聖人・大天使ミカエル』
「っ! ソラ様……」
「えへへ。ミカ、また一緒に話そう、ね……」
ご就眠しながらも表情は幸福に満ちたもので、ただの寝言に過ぎない。それでも、こう答えたいと願った。
「はい、ソラ様の仰せのままに」
暁の番人、ソラ様は今宵も夜を統べる。
平穏な世界を導く為、創造主はいつだって業務に勤しむ。彼が望む限り、私は……大天使・ミカエルはいつだって貴方様の隣におります。
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