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「ま、適当に座ってよ。部屋がカレー臭くてすまん」
いきなり高村がやってくるとは思わなかったから、あわててテーブルの上を片づけた。ワンルームなので居間兼寝室だ。
「カレーはおまえがつくったの?」
「いや、近所の弁当屋で買った。オレ、料理はパンしかつくれないから」
「パン?」高村はあっははと笑った。「パンの方がカレーをつくるより大変だろ?」
「そうでもない。子供の頃、師匠に仕込んでもらったから……慣れかな。ウィンナーロールとかよくつくる」
「師匠っておまえの母さんのことか。おまえの母さんすげー美人で、授業参観に来るたびにクラスのやつが話題にしてたよな。小柄でかわいい感じだった」
高村は過去系で言った。師匠はオレが中学に上がって間もなく、この世を去っていた。
オレは黙ってキッチンへ行き、カップに森永のココアを入れるとテーブルに置いた。
「どうぞ」
「おっ、悪いね」
高村がテーブルに近づくなり、テーブルに置いたカップの中のココアがズゾゾとみるみるうちになくなった。
手も口も動いていないのにココアだけ減っていく。
不思議な飲み方だ。
「そうそう、おまえはパンだけじゃなくシュシュもつくれるんだな」
唐突に高村がそんなことを言った。シュシュはドーナツのような輪のかたちにした布の中にゴムを通してある髪飾りだ。主に女子が身につけるものだから、意外に思うのはわかる。
「つくれるよ。というか、なんで知ってんの」
「お地蔵さんにもシュシュあげただろ」
「千里眼かよ」
「メッセンジャーだって言ったろ。かわいくて気に入ったって。淡いピンクもいいけど、きっぱりした橙色に水玉もいいわね、って好みも言ってたよお地蔵さんが。お地蔵さんは、オレにこのシュシュのお礼を言わせたかったみたい」
「あー……雪に埋もれてるのに、少し見えるお地蔵さんの顔がにこにこしてるから何とも言えない気持ちになったんだよ。それで、昔話の笠地蔵じゃないけど、シュシュあげてみたくなって。たまたまつくったシュシュ持ってたから」
「シュシュ地蔵じゃん!」
また高村があっははと笑った。
昨日、雪道を必死で進み、地蔵の前まで出てようやく我に返った。そして冷静になり、目の前の雪をまとった地蔵の顔を見ていたら、笠地蔵の昔話を思い出した。人のいいおじいさんのようには笠も手ぬぐいも持っていなかったので、代わりに上着のポケットに突っ込んでいたシュシュを三体並んでいる地蔵の首に一つずつかけてあげた。シュシュの中のゴムが伸びるので、地蔵の首にも窮屈ではなさそうだった。
「おまえがシュシュ持ってたのは……」高村は部屋を見回した。「もしかして、彼女さんでもいた? 部屋にかすかに甘い香水の匂いがするし」
「彼女はいないよ。部屋に来たのは……」その匂いを消すためにカレーを食べていたところがあった。「母さんだよ」
「おまえの母さんはたしかもう……」
「新しい母さんが部屋に来たんだ」
「へえ……新しい母さんか。うまくいってないの?」
「オレの感情の整理がつかないだけ」
「それで吹雪の中を走って地蔵の前で大泣きしてたわけ」
「新しい母さんについては受け入れてるんだ。ただ、昨日、ここへ来て……」
「何かあったのか」
それまでニヤニヤしていた高村が声音を落として真顔になった。
「好きな男の人がいるから、その人と一緒に暮らしたいって」
「ふうん。で、どうしたんだ」
「オレも子供じゃないんで好きにしたら、とは思ったけど、師匠……母さんを裏切ってたんじゃないかと言った」
「おまえの父さんに対する裏切りではなく?」
「新しい母さんは、オレの父さんなんだ」
「ん? どういうこと」
高村が首を傾げる。そうだろうなと思う。
「父さんが『新しい母さん』になったんだよ。師匠が亡くなってから父さんは最初師匠の真似というか、師匠の好きなかたちのフリルのエプロンやワンピースなんかを着るようになったんだけど、気づくと普段着がそんな感じになってて……見た目もそんな感じになって……で、数年前から『新しい母さん』と自分で言うようになったんだ」
「なるほど……」
「それはいいんだ。ただ、新しい母さん(父さん)が『気づいてたかもしれないけど、実は……私は男の人が好きなの』って言うから……だから、師匠のことはどう思ってたんだ、とつい強い口調で聞いてしまったんだよ。そしたら……」
「うん」
「『黙っていて悪かったけど、師匠も男の人なの』って……はじめて知ったよ」
「そうだったのか」
「つまり、オレは二人と血がつながっていない。オレは新しい母さんと師匠の幼馴染みだった男の遺児なんだって……騙されたとかは全然思わないけど、オレが両親に似てないってよく言われてたことが腑に落ちたというか……何かパニックになって気づいたら雪の中を駆け出してた」
この話をする間も高村の表情は変わらなかった。
「おまえの母さんも美人だし、父兄参観の時はおまえの父さん必ず来て、クラスの女子がザワついてたもんな。どっちの親もすごく美形なのに、おまえは似てないって毎回言われてて笑った」
「うるさいよ」
「オレはおまえがすげーうらやましかったけどな。うちは参観日に一度も来たことなかったし。いや、アレに来られても困るが」
父さんも母さんも学校の行事には必ずやってきた。親を褒めてもらえるのはうれしかった。そしていつも「いいなーおまえの親」と高村に言われた。
高村の親を見たことはなかった。でも、だいたいどんな親かはわかる。高村はいつも年の離れた兄のお古の灰色のつなぎを着せられていて、高村自身は「囚人服」とギャグ風に言っていたけど笑えなかった。
高村は絵がめちゃくちゃ上手くてノートに描いた漫画を見せてくれてたから、そのうち漫画家になるんじゃないかと思っていたら本当に中学卒業後、ほどなくしてそうなった。家の事情で進学できないとのことで、今は家を出て上京していた。
「まあ参観日は……」
「おまえは大丈夫だよ」高村の声音は優しい。どこか諭すようでもあり、独り言のようにも聞こえる。「オレは血のつながりなんてわずらわしいとしか思わないし……今だからこそ言うけど、おまえがうらやましくて恨んだこともあった」
「恨む? なんで?」
「そういうとこ。オレに持ってないものを持ってるのに全然気づいてないところ。学校前の地蔵に話しかけてたのは、オレもなんだ。今だから言うけど、一度だけ、地蔵におまえの家の親とオレの家の親を取り替えてもらえないか? と願ったことがある」
「マジか……」
「すまんな」
高村は言い訳をしなかった。
「いや、いいんだ。それより、高村が自分の話をするのはすげー珍しい気がして、聞き入っちゃった」
「まあ、ダメだった」高村は肩をすくめた。「おまえもおまえの親も望んでないし、そもそもあたしたちにそんなことはできないし願い事も受けつけない、だって」
「高村だって絵がびっくりするほど上手くて漫画家にもなったし、ずっとすごいと思ってた。オレには絶対にできない」
「オレ、あの家にいたら頭が狂うと思ったんだよね。だから漫画をがんばった。最初は逃避だったけど、そのおかげで早く家を出られた」
高村はどこか遠くを見た。
「高村……もしかして、オレを慰めてくれてる?」
「……シュシュを持ってたのは、新しい母さんにつくったシュシュを渡すためだったんだろ?」
「そう。新しい母さんから電話があって、部屋に来るって言うからつくっておいた。似合うと思って……でも、逃げてしまった」
「またつくって渡せばいい」
「そうする」
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