ユキ

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 母から聞いた話だと、私は実に静かな子どもだったという。赤ん坊の頃から夜泣きもほとんどせず、あまりに静かすぎて不安になったほどらしい。ひょっとして何か病気なんじゃないかと調べてもらったこともあるというが、特に異常は見つからなかった。ただ、ぼうっと何もない空間を眺めていることが多かったというから母が心配するのも仕方のないことだったろう。  五歳になった私は誰もいないベランダに向かってよく話しかけるようになった。心配した母が再び病院で相談すると「イマジナリーフレンドというやつでしょう。大丈夫、成長したら消えてしまうのがほとんどですから」と先生に言われたらしい。そして先生の言うとおり、ある日私のそんな行動はピタっと止んだ。 「ほら、結衣。今日からお前の妹になるんだぞ」  そう言って父が私の目の前に差し出したのはちっちゃな白猫。当時私は六歳になったばかりだった。寒い冬の夜、空からちらちらと白いものが舞い降りていたのを覚えている。不思議なことにそれ以前の記憶はとても曖昧でぼんやりしているのにその夜の記憶はとても鮮明だ。真っ白な子猫を見て私は「雪のようせいさんだっ」と喜んだ。今でも雪が降るとあの夜のことを思い出す。  床に降ろされた子猫は物怖じすることなくすぐに部屋の中を探検し始めた。 「あ、こらこらどこ行くの?」  慌てて母が後を追いかける。すると子猫はいつも私が話しかけていたというベランダの前で止まるといきなり耳を伏せシャーッと威嚇し始めた。 「あらやだ、どうしたのかしら。何もないところに向かって……何だか怖いわ」  母は怯えたように少し雪が積もり始めたベランダを見ていたが父に「なぁに、小さい虫でもいんだろうさ」と言われ「それもそうね」と納得した。でもその時私には見えていた。ベランダにいた〝何か〟がひゅるりと飛び去っていくのを。そしてようやく気付いたのだ。私が話しかけていたものの正体を。もしあの時父がユキを連れてきてくれなかったらどうなっていたのだろう。あれから十数年、ユキは今も元気に過ごしている。ありがとね、ユキ。 了
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