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第一話 はじまりと終わり
天崎ちゆりといえば、口調や雰囲気、それから髪のパーマかしてゆるふわという言葉が知り合いの中で一番似合う人だと思う。
言い換えれば、警戒心が薄く悪い男に好かれやすいということ。
「智也くん……」
土曜日、部活の帰り道。
俺はたまたま通りかかった公園で兄の元カノに迫った。目を丸くして、驚いた声音と表情を混在させて。
「俺、ちゆりさんのことが好きです。年齢は、離れているけど付き合えないほどじゃないし……あなたに相応しい男に絶対になって、みせますから!」
「っ、智也くん。……ふふっ」
「何か、おかしいですか」
唐突にふわりとした笑みが、憂慮として脳内で処理される。いつもなら彼女が微笑むだけでも心地良い気分になれるのに。
「ううん、急に笑ったりしてごめんね。やっぱり、ヒロくんと兄弟なんだなって思って」
「そりゃ、まあ……」
失恋の涙から一転、普段通りの笑顔に変化を遂げたのはいいが複雑な心境に今度は俺が溺れる。先まで泣いていた原因がここでも出てくるとは。
ヒロ兄のことは、尊敬している。
少し年齢が離れた兄弟ではあるが知的で優しくて、誰よりも頼りになる人物として。
だからこそ、簡単に言葉では処理出来ないほど煩雑な環境の中を彷徨っていた。
……どうして。
なぜ、あなたを振った相手にそんな眩しい笑顔を掲げられるのですか、と。
「ヒロくんとはね。今みたいにわたしが落ち込んでいた時に出逢ったの」
無言で頷く。
正直、辛い。彼女にとってただの世間話程度の思い出なのかもしれないが、俺としては……いや、しっかり聞いておくべきだろう。少しでもちゆりさんの理想に近付けるなら。
「わたしの家、ちょっと厳しい家でね。高校の時もだけど、大学の受験が本当にプレッシャーで。心が、その押し潰されそうだったの」
「……確か、第一志望の大学は医学科のある有名な大学でしたね」
「うん。まあ、結果的には第二の、本当に行きたかった場所に落ち着いたのだけど」
押し黙る。
その先の言葉をなんとなく察してしまったから。
「もし、あの時にヒロくんと同じ予備校じゃなかったら、きっと」
きっと。
どちらの当人でもない俺にとって、これは想像の範疇でしかないけど救った、救われたの関係だと思う。
まだ人生経験が乏しいがゆえに完全な理解は出来ない。彼女が悲しい時、支えることだって。
でも、それでも。
「あとね。キミと、智也くんと出逢えたことにも感謝しないとだね!」
純粋な、裏表のない笑顔。赤く腫れた下瞼さえも愛おしく、守りたい。
年齢は彼女の方が上だけど癒し効果は絶大で。
「……ちゆりさん」
やはり、俺。この人のこと――。
「さ、そろそろ帰ろうか。ヒロくん……ううん、長谷川くんが心配しちゃう」
勢いよく立ち上がり、くるりと一回転してはこちらを向く。
ヒロくんから長谷川くんへ。
わかりやすく言い直しをしたが、その変化には一体どんな意味が隠されているのか。
「あの」
「ん、なぁに?」
首をこてり、と軽く横に曲げては問う。
……そうだ。当然だけど彼女は現在、ヒロ兄と別れた身。恋人がいないという喜ばしいことだが、顔を合わせる『動機』がもう存在しない。家だって知らないし、これ以上の関係を願う前に、それを叶える手段も失う。
――それに、告白の返事だって。
「また、逢ってくれますか」
シンプルな疑問。
これ以上、言葉を重ねることに抵抗感が不思議とあった。
暫しの沈黙の果て、微笑が浮かぶ。
「……うん、もちろん。また一緒に遊ぼうね、今度は二人で」
手をひらひらと振り、去る。
本当は最後まで見送りたい。少しでも長く一緒にいたい。そんな自分勝手な欲望たちを一斉に処理したい。
でも、やめた。
「今度は二人で、か」
ちゆりさんと俺で。
嬉しいはずの台詞。ずっと待ち望んでいた形。なのに、どうしてこんな寂しいという感情が湧くのだろう。
いくら思考に募らせたところで欲した答えを誰もくれない中、俺はテニスのラケットが入ったバッグを背負い、公園をあとにした。
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