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55 〜綴〜 「腹減ったよな」 「ウイスキーが切れた」 「買いに行こうぜ」 ギターをスタンドに立てた井波。立ちあがろうとした手を引いた。 「何?」 「…ううん」 キスの先を望んだら、井波は嫌? そんな乱暴な言葉を飲み込んで、手の甲にキスをした。 「…恥ずかしい。如月じゃなかったら、大笑いだぞ」 真顔でそう言われて首を傾げた。 「大笑い?」 「素敵な顔面で良かったなって話だ。行こうぜ」 井波は薄い尻のポケットに財布を突っ込んで玄関に向かう。 俺もならって、隣りに追いついた。 秋の香りがし始めた風の中、井波と近所のコンビニに向かう。 タバコと酒と昼飯とも夕飯とも区別のつかない食料を買い込んでアパートへ。 「ツアーって知らない街をまわるって事だよな?」 俺が乾いた空を見上げると、井波は隣で伸びをしながら「ん〜」と返事した。 「楽しみ?」 「そりゃあね!まだ名前も知らない奴らが、俺達の曲を聴いて、CD買って、カッケーッて騒ぐんだもん。興奮するっしょ」 「あはは、親指逆さ向けちゃうかもよ?」 俺の冗談に、いつも無表情な井波が眉間に皺を寄せる。 「おまえの歌に俺の曲だろ?そんな事起きない!」 胸を張って言い切るもんだから思わず吹き出してしまった。 「ぷっ!あはははっ!すっごい自信っ!良いね!やっぱ井波はそうじゃなきゃ」 俺が盛り上がると、井波は不思議そうに当然の事しか言ってないと不貞腐れた。 コンビニの袋の中で、ウイスキーの瓶が二本カンカンとぶつかる音がする。 そんなどこにでもある帰り道。 ウイスキーもタバコもあって、井波もいる。 俺はそれで満足だけど…満足なんだけど、音楽がないと生きていけない二人に、身体は蝕まれ、心地よく侵食の渦に溺れ始めているんだと、気付いていた。 全ての始まりは音楽だから。 井波と、仲間と…ツアーという旅が始まる。 愛も恋も闇も引き連れて。 そう、全部引き連れて…。 家に帰り、散々呑みまくり、潰れて眠ってしまった井波の隣で、母さんに電話をかけた。 呼び出し音は短く、すぐその人が出る。 「もしもし、母さん?」 「綴?どーしたの?」 「遅くにごめん…寝てたよね?」 「うふふ、寝てたら出ないわよ。何かあった?」 「…うん…CD…作ったやつが売れてね…ツアー、やるんだ。」 「上手くいってるのね。」 「…どうかな、実感とかないよ。…そっちは一人で…大丈夫?」 「大丈夫。心配いらないわ。綴は綴のやるべき事をなさい。」 「暫く…忙しいから中々顔出せないかも知れない」 母さんは電話の向こう側でクスッと笑った。 「大丈夫。寂しくないわよ。こうして声も聞けたし、頑張って結果が出てるのも分かったし。安心安心。……頑張りなさい。あなたなら大丈夫。強くね」 父さんは暴力を振るう人だった。浮気をする人だった。 母さんは俺を守ってくれる人だった。 でも、暴力に壊されて、逃げ道という浮気に走った。それも長くは続かず、母さんは正気を取り戻し、以前と変わらない温かい人に戻った。 それから、父さんが死んだ。 俺と母さんは、怯える生活にピリオドを打った。幾分かの寂しさを抱えながらも、今度は俺が母さんを守る番だった。 だけど、燻る俺の背中を、母さんが押してくれた。 今も…俺はその力にこうして甘えている。 「…うん…ありがとう…また…またかけるから」 「えぇ。いつも電話、ありがとうね。じゃあね」 「おやすみなさい」 「おやすみ」 挨拶を交わして、携帯を見つめる。自分でも、おかしいと分かるくらいには、マザコンというやつなんだなと自覚していた。 父さんが生きていた時、母さんをちゃんと守れなかった自分が今でも悔しくてならない。 そうやって遠回りし合った二人だから、余計に愛おしいんだろう。 「如月…」 「…寝言?」 「…ん"〜…」 「…どうせなら、大好きとか言わないかな…」 床に寝っ転がった井波の前髪を指で掬い、長いまつ毛を眺める。 「井波…壮大なセックスしようか…」 軽快な調子で話しかける。もちろん返事はない。 だから、掛け布団をかけてから頬にキスをして家を出た。 井波とセックス。 壮大な 希望も妄想も願望も超えた 愛に沈む…そんなセックスだよ。
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