75人が本棚に入れています
本棚に追加
6
6
〜綴〜
父親の葬儀までがあっという間に終わった。
母親は今まで暴力や、精神的苦痛を受けていたけど、大黒柱を失った不安が勝るのか、よく泣いていた。
俺はそれを宥めて、無力感を感じるとともに、将来を悲観していた。
俺を大事に育ててくれた母を一人置いて東京には行けない。
たったそれだけの理由で、俺は工場で働くおじいさんと自分を重ねていた。
怖くなった。あの老人のように、薄暗い工場の中、永遠とも思える流れ作業に飲み込まれていく。
だけど、母親を置いていけるほど俺は悪にもなれない。
ワイパーが雨を振り切るように、目の前の暗闇を切り裂いていけたら良いのに。
苦笑いしながら、井波の家を目指した。
店の横に車を止めると、中から井波が出てきた。
「部屋にいなよ。濡れる」
車から降りながら声をかけると、傘を差し掛けてくる井波は笑いながら言った。
「優しいからな、俺」
「…自分で言い出した」
「ヒャヒャヒャ」
白い目で見てやると、井波はいつもの調子で笑った。
相合い傘で店に入る。
「土砂降りだな」
井波が傘をパタパタさせながら言う。
「うん、酷い天気」
そういうと、井波が俺をジッと見て言った。
「おまえも酷い顔だ」
「言われた事ないから新鮮」
「嫌味かよ、顔面国宝」
「ハハ、ありがとう」
井波は悔しそうに赤い舌を出して階段を上がる。
後に続いて、久しぶりに部屋へ入った。
相変わらずの吸い殻がパンパンの灰皿にボロボロの黒いソファー。
向かいに並んだギターと、ベッドに寝かされたギター。
俺はドサッと定位置のソファーに座る。
タバコに火をつけて煙を吐き出すと、井波はベッドに飛び乗り、胡座をかいた膝にギターを抱え、前屈みに呟いた。
「正直、何て言ってやれば楽になるのか…分かんなくてさ」
「うん、大丈夫。井波の顔見たかっただけだよ」
井波は眉間に皺を寄せる。
「何?その顔」
俺も同じように顔を顰める。
「如月はさ、その顔でそういう事を言うの、考えて言ってるの?」
「はぁ?」
「マジでさ、誰でも惚れちゃうような綺麗な顔してさ、あんまり簡単にそういう言葉を」
「井波は俺に口説かれてると思ったの?」
「はっ?!何っ…え…いやっ…じゃなくてっ!」
「なぁんだ、違うのか…」
慌てる井波が可愛かった。垂れた瞳がキョロキョロ泳いで、どうしょうもないくらい白い肌が紅潮している。
俺はベッドにのしのしと四つん這いで近づいていく。
「なっなっ何っ?!」
両手をベッドに掛け、片膝を上げる。スプリングが軋んで、ギターを抱えたままの井波は後ろ手をついて仰反る。
お構い無しに井波の両脇の隙間に手をつき、顔を寄せた。
唇ギリギリにキスをする。
井波は目を見開いたまま、俺も目を開けたまま井波を見つめた。
ゆっくり離れて鼻先を擦り合わす。
「井波…俺…バンド辞めるかも」
伏せていた目を開けて井波を見ると、みるみる開かれるその垂れた瞳はグンと俺に近づいた。
「んぅっ!」
温かい唇。
あの赤い舌が俺の舌に絡む。
一瞬の出来事のあと、井波は俺を睨みつけ言い放った。
「いっ!やっ!だっ!!」
離れた唇は、我儘な子供のように乱暴な言葉を吐き捨てる。
「絶対ダメだっ!」
俺は一瞬ポカンとしたまま長いワンレンの髪を掻き上げた。
「な…なんでキス…」
「嫌だからだよっ!!」
「…お、まえさぁ…それは理由に」
「許さないからなっ!…辞めるなんて…許すかよ」
井波は俺の腕の服を握り、涙を堪えるように呟いた。
最初のコメントを投稿しよう!