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〜宝〜
「井波くん…だったね」
田中氏は苦笑いを含んだ表情で俺を見つめる。
「俺はね、君達の音楽性に惹かれてここまで来たんだ。解体して、如月くんだけ引き抜こうとしたほかのレコード会社の奴らは、悪いけど俺が追い返してしまったよ。まだまだ荒削りで、正直演奏も下手だし、如月くんの体力面も強化が必要ってとこで、問題点は幾つかあるんだけど、バンド自体のカリスマ性は抜群だ。…うちに来て、やってみないか」
俺は差し出された手をジッと見つめて、その後にメンバーの顔をぐるっと見渡した。
鮫島さんはニヤッと笑い、凪野と舟木はバスタオルの端をギュッと握りうんうんと頷く。最後に如月を見ると、その美しい顔は優しく微笑み、頭をコテンと傾ける。それはまるで、井波はどうしたいの?と言われているようだった。
田中氏を見上げ、ゆっくり椅子から立ち上がる。向かい合い、差し出された手に手を差し出した。
「…宜しく…お願いします」
田中さんはギュッと俺の手を握ってから、それを離すと脇を締めて「っしゃ!!」と小さくガッツポーズした。
そこからは酒盛り。
打ち上げで総仕上げだ。
「田中さぁ〜ん!マジでっ!マジで俺たちでいいんすかぁ〜」
凪野が田中さんに絡みまくっているのをぼんやり眺めて、視線を移すと如月はよく分からないおじさん達に囲まれていた。
喧騒の中、耳を澄ますけどあんまり聞き取れない。
歌詞がどうとか、女関係がどうとか…。
ちょっと困ったような苦笑いで「えぇ、えぇ」と丁寧に返事を返しながら、長い髪をかきあげる。
遠めに見ても、目を引く美貌。
如月に纏わりつく奴等が、舌舐めずりをしている肉食獣に見えてくる。
みんな涎を垂らして如月を狙っている。それは変な話、女に限らないと今更ながらに痛感していた。
酒が入ると思考が停止しはじめる。
騒がしかった居酒屋の喧騒は遠のいていくばかりだ。
「井波…井波ってば…」
「ダメだね、電池切れてるよ」
「井波くん、酔い始めは良く喋るのにね」
「ったく…これじゃ、壊れたロボットだな」
メンバーの声が一頻りかかった後、俺はすっかり記憶を失くした。
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