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81 〜綴〜 ライブハウスに着いたのは本番10分前という前代未聞な所業。 このツアー中に、サワキタさんから何度叱られたかしれない。 俺達よりずっと早くからサワキタさんは会場入りしていたらしい。 そりゃカンカンなわけだ。 ガス欠した事情を説明したら、何でそんな金がないんだよって叱るもんだから、その内訳を説明したら、頭を抱えて、とんだ大酒飲みバンドだと項垂れた。 何はともあれ、間に合ってる事をごり押しして、俺達はメイクに入った。 片目を閉じてアイラインを引く。上からグラデーションがつくように黒く囲まれた瞼を中指でさらにぼかした。 「慣れたもんだな」 サワキタさんが俺のすぐそばに顔を突き出し、表情を覗くように髪を指で掬ってきた。 凪野がその髪に触れる指をパチンと叩き落とす。 「イッテ!何ぃ〜減るもんじゃないだろ?こんな綺麗な顔、女でも中々…っと怒るな、怒るな」 サワキタさんはドードーと顔を引き攣らせながら手をダウンさせるポーズで睨みつける俺に笑いかけた。 「つづちゃんはお触り禁止なのっ!」 凪野が腰に手を当てて言うと、サワキタさんはボヤくみたいに続ける。 「そんな事言うけど、如月くんと井波くんの絡みはヤバいよ?あれもう、おっ始めるんじゃないかって時!あるよ?!」 それを聞いた凪野は更に得意げに言った。 「サワキタさぁ〜ん!井波くんだ、か、らっ!許されてんだよ?!あれ、他の人だったら、ファン大ブーイングだから!」 井波を鏡越しに盗みみたけど、我関せず。全くの無表情でメイクしている。 他の人だったら大ブーイング…かぁ。 そうかもしれない。 NOT-FOUNDの曲の大半は井波の作曲で、詞は俺が書くのがメインではあるけど、井波が思い付いたまま書き上げてしまう事もあった。 そのせいか、ファンからは俺と井波はこのバンドの中枢という認識が強い。舟木も曲をつくるけど、そのほとんどはバラードが中心で彼自体率先して目立とうというキャラではない。凪野はあんな調子だから、マスコット的には愛されていたけど、基本的にはリズム隊として縁の下の力持ちで目立つより引き立てるのが好きだ。 鮫島さんはお茶目なキャラで、立てた髪はトレードマークなんだけど、これもまた凪野と同じでリズム隊として後ろを守りながら、かなり真面目な人だから、人気はお前たちのおかげだなんて謙虚。 ステージを掻き回し、騒がしい道化のように振る舞うのは井波。 牧師にも悪魔にも天使にもなるのがフロントマンの俺。 井波と俺が目立っているのは言うまでもない。 だから、それを利用しているんだ。 ステージで派手な二人が絡む。 これはNOT-FOUNDだからなんだと、すり込み、日常化させる。 ステージを降りた俺と井波が、たとえば手を繋いでいたとしても、誰も何も疑わないほどに。 「如月、ボーッとし過ぎ。いくぞ」 井波に声をかけられてハッとした。 「あ、うん」 ギターを担いで光の中へ飛び出していくピエロ。 愛しい道化。 珍しく始まりの曲は“椿"から。 しっとり、ねっとりした地面を白蛇が這うような怪しい音色が、上から真っ直ぐ降りたライトの赤色で強調されていた。
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