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83 〜綴〜 で!…なんで俺がトップバッターなんだよ。 居酒屋で盛り上がる席から少し離れたカウンターに市野さんと並んでビールを飲んでいる。 「如月くんは本当に良い男だねぇ、ステージで見る時も良いけど、今、これスッピンだろ?」 市野さんが指差してくるもんだから、その指先を握って膝に下ろした。 「ハハ、スッピンってなんか面白いです」 「こりゃ、失礼、ハハハ」 指を下ろされた事に頭を掻きながら笑う市野さん。 「見た感じ硬派なバンドだけど、凪野くんなんか見てると、凄く懐っこいよね?」 「えぇ…凪野はうちのインターフェースですね。後は皆んな、酒入んないと喋んないから」 髪を掻き上げ苦笑いする。 市野さんはウンウンと頷いて、ボイスレコーダーを鞄から取り出した。 「録音、良いかな」 市野さんに視線をやり、苦笑いしたまま頷く。 ー如月くんは何でバンド始めたの?ー 質問は突然始まった。 「あぁ…井波が誘ってくれたんです。歌わないかって」 ーへぇ…彼から…無口そうなのにね。意外だなぁ。で、始まったわけだ。ー 「えぇ、まぁ」 ーNOT-FOUNDは最初はどこで活動してたの?ー 「地元ですね、もう本当に小さな箱ですよ。Cosmosってとこで、ワンマンまでさせて頂いて」 ー流れは早かったんだね、ワンマンなんて何年かしないと中々だよ?ー 「えぇ、ここまで色々進むのが早くて」 ーCDもサンミュージックから出たよね?ー 「えぇ、サワキタさんには本当に良くして頂いたなって。このツアーもスケジュールはハードだったんですけども、おかげさまで最後まで走りきれましたね。」 ーCD1000枚即完売からの初ツアー、どちらも手応えはあったのかなー 「…いやぁ…ん〜…どうでしょう、自分達にはまだ比較対象がないですからね…ただ、がむしゃらに、好きにやらせて貰いましたね」 合間にビールを煽りながら、何でもないような話を淡々と応えていく。 市野さんは思ったより、話しやすい人で、バンドのインタビューだから当然といえばそれまでなんだけど、しっかり興味を持って近づいてくるのが分かった。 ー好きにってとこなんだけど、NOT-FOUNDにコンセプトみたいなものはある?デカダンな雰囲気は隠せないくらい際立ってるけど、それは決めての事なのかな?如月くんの書く歌詞は、秘めた…なんて言うかー 「フフ、暗いでしょ?」 ー明るくはないかー 「アハハ、ねぇ…俺って暗いの。本当、嫌になっちゃうけどね」 ーその本人が言うところの暗い部分はどこからだと思う?ー 「…ん〜…幼少期からの…なんか…ね」 ー家庭環境?ー 「…ですね。影響はあるんじゃないかな…」 ーそっか…じゃ、如月くんがこのツアーで印象的だった事は?ー 質問の答えは一つだったかも知れない。 井波と過ごした時間。 肌が触れ合っていた瞬間。 思い出すのは、食いしばるように吐く甘い息。 俺はジョッキを煽ってから、コテンと首を傾けた。 「ファンのみんなが…熱かったことかな」 ー確かに、ラストは凄かった。代表曲になるのかな、MOONは特にオーディエンスとの掛け合いみたいに盛り上がって客席が一つの生き物みたいに膨らんでたね。歌詞の世界観に陶酔してくるファンが今後もっと増えてくるとは思うけど、自分の中のマインドはブレたりしない?ー 「本当、最近はMOONで締める事が多くて、俺もメンバーも、日増しに一体感みたいなものは感じてると思う。歌詞の世界観にファンが酔ってくれるなら本望かな。伝われと思って書いてるし、歌ってるから。」 ー伝われっていうのは、オーディエンスへ向けて?それとも…歌詞の中に書かれてる想い人…意中の人がいたりする?ー 「歌詞って難しいんですよね、なんだか書いた後に怖くなったりしますよ」 ーそれはどういう怖さ?ー 「…ん〜、こんな事言っちゃって、ちゃんと責任とれんのかな?とか…自分に跳ね返って来ちゃったりして、行き詰まるし、もがいて足掻いて、わりと無様な状態で書いてるもんだから…まだまだ意中の人には届きそうもないかな…居たらの話だけど」 喉がヒリヒリした。 嘘が得意じゃないせいかな。 でも、届きそうもないのは、あながち外れてないんじゃないかって思ってる。 俺の好きの重さはきっと伝わらない。 井波を壊したいくらい好き。 そう、壊したいくらい。
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