84

1/1
前へ
/89ページ
次へ

84

84 〜宝〜 如月のインタビューが終わって、俺が酔い潰れる前にと順番が回って来た。 市野さんは気さくなおっさんといった感じだったけど、俺は乗っけから沢山上手く喋れる自信がなかった。 ー井波くんはリードギターで良いのかなー 「え…ぁ…いや、うちはツインリードもあるし、舟木が作ったのは、舟木がリードだったり…っすね」 ーそっか、なんでも井波くんが如月くんをバンドに誘って結成されたらしいじゃない。意外と行動派だったりする?ー 「え〜っと…まぁ…はい」 ー井波くんはNOT-FOUNDを結成するなら如月くんがボーカルだって決めてたのかな?ー 「…まぁ…大事だな…とは…バンドの顔だし」 市野さんはウンウンと頷いて、ビールを一口飲むと、盛り上がっている奥の打ち上げの中にいる如月を一瞥した。 ー井波くんと如月くんの絡みはライブの盛り上がりに欠かせないと思うんだけど…あれはこうしようぜ、みたいな打ち合わせが最初はあったの?ー 市野さんの質問に、俺は一瞬、唾を呑み込んで息が止まるのを感じた。いつもなら全く無反応にかわせただろう。微量の酒が細胞を騒がせた。 「…ぇっと…無かったっすね…如月のアドリブ的な…ファンも喜んだから続けてるんじゃないすか」 ーなるほど、それじゃ、ちょっと話は変わるんだけど、井波くんのギターセンスはちょっと変わってるよね?言われない?ー 話が逸れたおかげで、あからさまに全身の力が抜けた。それを悟られまいと前のめりに喋り出す。 「言われます。不協和音みたいな音出すとか…」 ーそうなんだよね、そのかわり舟木くんは忠実だから、面白いくらい井波くんの音が生きてると思うんだ。NOT-FOUNDはゴシックロックバンドを確立しつつあると思うんだけど、井波くんのルーツはそこにあるようにも思えないんだよねー 「NOT-FOUNDになって初めてこの音になるっていうのはあって…狙ったわけでもなくて、如月が歌うとNOT-FOUNDになる、鮫島さんが叩くとNOT-FOUNDになる…みたいな感じで…俺のルーツは多分パンク…テクノとか、ニューウェーブ系で、あんまり、拘りはなく作ってる感じです」 ーじゃあ、NOT-FOUNDが持つパブリックイメージがゴシックやデカダンな世界観で描かれる事に違和感は? 「ないです。」 ーじゃあ、今後の方向性はゴスロック?ー 「いえ…常に新しい事をやりたいんで…変な話、明日はジャズかも知んないし、テクノかも知んない…枠組みは作りたくないですね。」 ーやっぱり面白いね。次に狙ってる事なんてあるの?ー 「テルミン使いたいんですよね。」 ーギターは?ー 「弾きます。弾きながらテルミン。いつかギターにぶち込みたい」 ー井波節が凄いな…楽しみだ…で、ツアーの話なんだけど、印象的な街はあった?ー 「ぅ〜ん…あんまり街には出なかったから。終わったら打ち上げで、もう後は気づいたらホテル」 ーいい旅だね。音楽だけに塗れてたわけだー 「有難い事にそうなりますよね。俺たちみたいなペーペーに、どこの会場も優しくて。あ、でも」 ー何かあった?ー 「NOT-FOUND号って…うちの機材車なんですけど、金が無くてガス欠しちゃって、高速押しました。手押し。」 ーあっぶねぇ〜ー 「ヒャヒャヒャ!でしょ!まぁ、良い思い出になりましたね」 そこから、どんなエフェクターを繋いでるだとか、ライティングの話があって、市野さんがビールを傾け、ジョッキを空にするとフゥーッと息を吐いた。 ーじゃ、最後に…井波くんが今一番お気に入りの曲は?ー 俺は顎を摘んで撫でながら目をキョロキョロさせて考えた。 「…全部…って言いたいけど、今は幻想の紫かな…」 ー意外な選曲だな、それは何故?ー 「ねっとりして…じっとりして、湿度の高い演奏の中で、絶妙なエロスが横たわった歌詞が高まるっていうか…うん…好きっすね」 好きだ。 女の足を下から撫で上げるみたいにマイクスタンドを伝う如月の長い指が…透明感の中に、悲痛な叫びと濁った感情を混ぜたあの声が。 六月の…雨みたいに 仄暗い。
/89ページ

最初のコメントを投稿しよう!

74人が本棚に入れています
本棚に追加