重しになりたくないの(独り)

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重しになりたくないの(独り)

彼くんと会わない日は、毎日が判を押したように変わらない。 朝よりも遅い時間に起きて、定年後も再雇用で働いている父親が休みの日には、その目の前でお豆腐メインの朝食をとり、部屋に戻ってスマホで求人サイトとメールボックスをチェックして、お昼よりも遅くに食パンをかじって、昼寝して、体調と気分が良ければ夕方の短い時間図書館へ行って暇を潰し、翌日からの食材を買って、夜ご飯は両親と同じものを食べて、あとはお風呂に入って寝る。 毎日がその通りで、曜日も日付も曖昧になる。 買い物に寄ったスーパーの出口に求人冊子が積んであると、『あ、今日月曜か』と思う。その程度。 雨が降る前とか、逆に快晴で高気圧とか、満月とか新月とか。そういうのは、頭も腰も痛くなるから、天気予報より早く判るけれど。 一般的に頭痛は3種類で、片頭痛と緊張型頭痛と群発頭痛。2つまざった複合型もあるけれど、それは日によって違う頭痛に悩まされるのが普通。 でも私の場合、右側の頭が片頭痛&左側の頭が緊張型頭痛もしくは逆パターン、そこに右目の周りだけ群発頭痛が重なるなんてことも起きる。 私だって医療従事者の端くれだったから知っていたし、同僚の医師にもフツーじゃないと笑われた。でも、現に目の前にいるんだから無いことにしないでほしい。 頭痛に限らず身体の不調の全てにおいて、私が出会った病院の医者は、『異常なし』『気のせい』『できることはない』で片付けて、ある時は『甘えるんじゃない』と怒られた。整形外科、脳外科、循環器内科、呼吸器科、神経内科、胃腸科、心療内科…もちろん各複数。 医療の道に従事してたくさんの患者さんを支援してきたけれど、私には、突発性難聴の時の耳鼻科と、白衣でかぶれた時の皮膚科が薬を出してくれただけだった。 だから、自分でどうにかするしかなかった。痛み止めを連用して胃潰瘍になっても、膝を捻挫して歩けなくなっても。 彼くんに会うまでは。 休みは連日寝たきりの私を心配して、母が近所に開院したばかりの鍼灸院のちらしを見せてきたのが彼くんとの出会い。 無料体験という文字に気楽に行った私に、にこやかに挨拶をした彼くんが、脈をとるべく私の手首を触った瞬間血相を変えた。 私は多分、『何か?』くらいの顔をしていたと思うけれど、急にドタバタしだした彼くんが、体験とは思えないほど入念に私の全身を診て、真っ青な顔のまま『明日も同じ時間に来て下さい』と言った。 あとから彼くんに、『彼女さんほどの身体、多分もう人生で診ることないなと思いました』と教えてもらった。『まだ半人前の自分に何ができるかとか悩む隙もないほど、ヤバイ状態だった』らしい。先輩に交代を依頼したが、逆におののいて代わってもらえなかったそうだ。 治療のたびに、悩みながら、頭を抱えながら、それでも私を診ることを放棄しないでくれた彼くんに、私が好意を抱くまで時間はかからなかった。 鍼灸とか整体とかマッサージのような直接肌に触れる医療行為や、カウンセリングとかコーチング、占いのような自分の心に触れられる面接場面で、その従事者に好意を感じることは、日常茶飯事、よくある。でも、数年通ううち、その域を脱した気持ちであることを私は常々確信していた。ただ、セラピストと患者の私的交流はご法度なのも事実。治療効果が出にくくなる。 だから私は、1回きりの賭けに出た。 付き合ってほしい その代わり、通院は辞めます その言葉と連絡先だけ書いたメモを、最後と決めた治療の日の終わりに、彼くんに手渡した。次の予約はもちろん取らずに、さっさとサヨナラだけ言って出口を抜けた。 信頼関係を築くのは得意分野。嫌われていないのは判っていた。 狡いと思うのは、彼くんが治すことを第一に真摯に向き合ってきた私の身体、それがまだ回復しきっていないことは百も承知で質に取り、その心残りと優しい彼の性格に漬け込もうとしているところ。 でも、私も唯一の治療者を手放したのだから、その対価で大目に見てほしい。まあ、甚だ自分勝手な言い分だけれど。 メッセージの通知を報せて光ったスマホがやけに眩しくて、暗くなっていたことを知る。 今日彼くんは、職場の懇親バーベキュー会になったと言っていた。普段なら休みの日。代休くらい取ったらと言いたいところだけれど、身にも覚えがありすぎてそうも言えない。労働環境はブラックでも、彼くんが好んでそこにいるのだから、私がとやかく言うことではない。幸い、彼くんは超がつく丈夫さんだ。 〈今帰り道。 家に着いたら電話して良い?〉 これまでの恋人から学んだんだろう、私を気遣うようなメッセージに、大人の女性としての最適解を探ってそれを返した。 〈せっかく早く帰れるんだから、 好きなことして気分転換したら良いよ〉 送信してすぐさま、スマホはサイレントにして裏返した。 彼くんの優しさと心配に漬け込んで、何とか恋人の位置に収まらせてもらっている私だ。 フツーの彼女のように、好きになってもらった女性のように、自由に素直に振る舞うことはできない。 大好きだから。 大好きだからこそ。 重しにはなりたくない。 ただでさえ、自分にだって身体のことは重いのだから。 心くらい、付き合い方くらい、軽く見せたい。 大好きだから。彼くんの隣に、いたいから。
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