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香帆と桜志郎の連絡は、颯真が死んだ日から途絶えていた。
香帆から連絡するのは、気が引けた。
桜志郎を〈巻き込む〉気がした。
桜志郎を最後に見たのは、カフェのカウンターだ。
(今さら何だろう? 私に関わらない方がいいのに)
(優しい人だから心配してくれたのかな?)
香帆は桜志郎からの着信を確認して、電話に出た。
桜志郎は呆れた口調でいった。
「驚いた。本当に殺すと思わなかった」
殺人を勧めた本人が、まるで他人事のようだ。
「でも、真剣に考えました。僕にも正義感がある。
香帆さんが御主人を殺したことを、警察に話します」
え? 警察に? 話す?
「待って! 殺す気は無かったの!」
「そんなの誰が信じる? 実際、毒で死んだのに」
「その毒をくれたのは、」
「確かに僕も軽率だった。きちんと警察で話します。
まさか、本当に使うと思ってなかったんだ」
使うと思ってなかった。ただの悪戯だった。
僕も軽率だったけど、それでも真実を警察に話す。
桜志郎は同じ言葉を繰り返した。
桜志郎が警察に話したら、香帆はすぐに事情聴取されるだろう。
警察で「夫を殺したのか?」と訊かれたら?
「殺す気は無かったけど、間違って死んでしまった」と言えばいいのか?
それが通用するのか?
このままでは『夫を殺した妻』になる。
毒入りカップを奪い取ったのに。殺したくなかったのに。
混乱する香帆に、桜志郎が声を掛けた。
「香帆さん、取引しませんか?」
「取引?」
「率直に言うと……、口止め料をください。
口止め料さえくれたら、このことは誰にも話しません」
『背に腹は代えられぬ』という言葉がある。
[大切なものを守るためには犠牲が必要だ]という意味だ。
お金で助かるのなら払ってもいい、と香帆は思った。
両親や、颯真の親族の前で「夫を殺した犯罪者」になりたくない。
勤務先の宅配便の社員にも知られたくない。
「口止め料は、いくらですか」
「わかってるでしょ? 三千万です」
あ……、最初から狙ってたんだ。
香帆はやっと気付いた。
でも、もう逆らえない。
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