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理由。
咄嗟に周囲を伺う。隣の席では後輩達が学生時代の恋愛事情をお互いに打ち明けて盛り上がっていた。隣席の会話を聞く余裕は無さそうでひとまず安堵する。しかしこっちは現在進行形で気持ちを伝えられたんですけど。一応、耳に届かないよう限界まで席の奥へ詰めた。
「好きだって、その、居島さん」
私の言葉に、わかっている、と相変わらず微笑を浮かべたまま先輩は応じた。
「高橋さん、君には彼氏がいた。高校の頃から付き合っていた相手だと記憶しているけれど、その人とはまだ続いているのかい」
「……はい」
なんなら今年は付き合い始めて丁度十年になる。他の人とどうこうなるつもりなんて微塵も無い。だから居島さんに告白されたところで私の選択肢は、断る、の一択だけだ。申し訳なくはあるけどこればっかりは仕方無い。ところが。
「そうか。付き合っていてくれて、良かった」
またわけのわからないことを言う。どうしてですか、とこちらも最早気にせず率直に疑問を口にする。居島さんは頬杖をついた。僅かに顔を寄せる。
「私を好きだと仰いましたよね」
「うん」
「じゃあ私と付き合いたいんじゃないのですか。彼氏は邪魔なだけでしょう」
その問いに、複雑なんだ、と小さな声で応じた。
「君が好きだから連絡先を消した」
「私を諦めるためにですか」
「その感情もある。だけど一番は、君を傷付けたくないからだった」
一旦言葉を切った。お酒を飲み、息を吐いている。そして再び口を開いた。
「僕は好きな相手に対してどうしようもなく感情が爆発する。会って話をしている時はまだいい。対面し、顔を見て接している間は人としてきちんとしなければいけないという理性が働くから。だけどメールや電話、メッセージアプリを介すると、途端に自制が効かなくなる。際限無く連絡をする。応答が無ければ不安になり、より一層呼び掛けてしまう。相手の生活なんて考えず、自分の主張をぶつけてしまう。僕を見て。僕の相手をして。その感情に支配され、突き進み続けてしまう。会えない時間が長いほど、その傾向は強くなる。学生時代、既に君を好いていたけれど、ほとんど毎日顔を付き合わせていたから暴挙に出ることは無かった。そして卒業したら会えなくなるとわかっていた。だから僕は君への連絡先を全て消した。メッセージアプリに、登録しますか、と訊かれた際には理性を総動員して断った。全ては君を傷付けないためだ。理解してくれたかい。僕は君を好きだから、君に関する全ての連絡先を消した、と」
居島さんの話を聞き終えた私は大きく息を吐いた。わかりました、と答える声はどうしても固くなる。
「では、もう大丈夫だと仰ったのは」
「好意の衝動にどうしようもないほど突き動かされることは無いと踏んでいた。社会の一員になって自分を偽る、或いは律する機会が増えた。だから感情の極端な動きや、抑えきれない気持ちなんて無いと思っていた。そう見込んでいたのだが」
やや紫がかった唇が歪む。笑顔以外の表情を初めて浮かべた。自分への憎しみ、もしくは呆れ。或いは嘲りが見えた気がした。
「君が目に入った瞬間、自分が何も変わっていないと悟った。彼氏のいる女子の後輩に懸想をし、僕を見て欲しいと望んでしまう、哀れで気色の悪い生物。それが僕だ。対面しての会話はまだいい。内容はともかく理性はきちんと働いている。だがきっとメールや電話、メッセージなんかを際限無く送り続けてしまうと確信している」
「我慢、出来ないのですか」
「君はひどい痒みを覚えた時、決して触らないと誓えるかい。かきむしらなくても死にやしない。放置したって健康に影響は無い。だけどどうしようもない衝動。抗えるかい」
黙って首を振る。つまりそういう性質なのさ、と居島さんは鼻で笑った。
「僕という人間はね」
気まずい沈黙が降りる。きっと私は席を外した方がいい。そうして二度と居島さんに接触しないようにしなければいけない。だってこの人は私を認識する限り、自分の性質を自覚し、自らを嘲笑するのだから。
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