路上ライブの夜

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終わりまで残り30分というところで、鍵盤を叩く僕の前にスーツ姿の男性が近寄ってきたのが分かった。 ふと顔を上げると、目を細め(しか)め面をした50代くらいの男性が、じっとこちらを見ている。 まだ曲の途中だったが、彼は大きな声で話しかけてきた。 「こんなとこで弾いてていいのか? あ?」 「え?」 「勝手なことして、いいのかって言ってんだ!」 明らかに酔っていた。呂律の回らない口調で強めの語尾には圧が感じられる。 さすがに演奏を止め、目の前の酔っぱらいをなんとか(なだ)めようと思った。こういう絡み方は初めてではない。 酷い時には、去り際にキーボードの脚を蹴られたり、腕を引っ張られたりすることもあった。 「警察への届け出はしています。許可は得ているんです」 そうハッキリ言うと「警察」というワードに少し怯んだようにも見えた。何かぶつくさ言った後、男性はキーボードの端をバンバンと叩いた。 「じゃあ歌ってみろ」 「あ……その、僕は歌は…」 僕は作曲やピアノを弾くのが好きで、正直歌は全く自信がない。音痴ではないが人前で歌えるようなレベルでもなく、コンプレックスですらある。 しばし戸惑っていると、男性がのぼせたような顔で苛つき始めたのを感じた。 この手のタイプは面倒くさい。ある程度満足させないと、この場を去ってくれないと思った。 荒い呼吸からは、アルコールと妙な甘ったるい不快な匂いがする。男性がまた何か言おうと口を開いた時だった。 「先輩〜、どうしました? 何かありました?」
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