18人が本棚に入れています
本棚に追加
/46ページ
終わりまで残り30分というところで、鍵盤を叩く僕の前にスーツ姿の男性が近寄ってきたのが分かった。
ふと顔を上げると、目を細め顰め面をした50代くらいの男性が、じっとこちらを見ている。
まだ曲の途中だったが、彼は大きな声で話しかけてきた。
「こんなとこで弾いてていいのか? あ?」
「え?」
「勝手なことして、いいのかって言ってんだ!」
明らかに酔っていた。呂律の回らない口調で強めの語尾には圧が感じられる。
さすがに演奏を止め、目の前の酔っぱらいをなんとか宥めようと思った。こういう絡み方は初めてではない。
酷い時には、去り際にキーボードの脚を蹴られたり、腕を引っ張られたりすることもあった。
「警察への届け出はしています。許可は得ているんです」
そうハッキリ言うと「警察」というワードに少し怯んだようにも見えた。何かぶつくさ言った後、男性はキーボードの端をバンバンと叩いた。
「じゃあ歌ってみろ」
「あ……その、僕は歌は…」
僕は作曲やピアノを弾くのが好きで、正直歌は全く自信がない。音痴ではないが人前で歌えるようなレベルでもなく、コンプレックスですらある。
しばし戸惑っていると、男性がのぼせたような顔で苛つき始めたのを感じた。
この手のタイプは面倒くさい。ある程度満足させないと、この場を去ってくれないと思った。
荒い呼吸からは、アルコールと妙な甘ったるい不快な匂いがする。男性がまた何か言おうと口を開いた時だった。
「先輩〜、どうしました? 何かありました?」
最初のコメントを投稿しよう!