路上ライブの夜

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路上ライブの夜

夏の始まり――。 冷やされた空気が風に乗り、少し肌寒さを感じる夜。 仕事終わりの会社員や賑やかな学生達が吸い込まれるように駅に入っていく。 ――ポーン。 一音だけ、電源を入れたキーボードの鍵盤に触れた。 そこから思うがまま、その場で思いついた音楽を奏でていく。 ――これから僕の路上ライブが始まる。 始まりは明るく、誰の耳にも心地良く入るような、軽快に弾む高音域のメロディを数分間、弾いた。 この駅のペデストリアンデッキでは、もう何十回と演奏をしていた。 開けたこのスペースは、僕らストリートミュージシャンにとってはやりやすく、人気の場所だった。 もはや僕の奏でる音は、ここを利用する人々にとっては珍しくもなく、歩行者信号の音や屋外ビジョンから聞こえる音楽と変わりない日常なのかもしれない。 ましてや、僕は歌わなかった。 キーボードからなる音楽だけ。皆が知っているミュージシャンの有名な曲を、アレンジを加えながら弾くこともあるけど、わざわざ立ち止まって聴く人はほとんどいなかった。 ただ近くのベンチには、待ち合わせをしているのか暇つぶしなのか、座ってスマホに目をやる人が数人いるだけだ。 空気と共に流れるBGM。それでもいい。そう思いながら僕は終わりの時間まで弾き続けた。
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