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Tonight Tonight
生まれて初めて、大勢の前で演奏をした。チカチカと瞬くライトに照らされて、ステージの上は想像以上に暑かった。
緊張してじっとりと汗ばむ手のひら。乾いた唇。膝が震えそうなほどで、俺ってこんなにも緊張するタイプだったのかって思い知った。
だけど、一曲終えるといつもの調子が戻って来た。そこからは、楽しいと思えた。
俺の前でギターボーカルの奏真が体を揺らしてジャンプする。
俺が合流する前は別の人が歌っていて、他のふたりに説き伏せられて、しょうがなく歌い始めただなんて、誰が信じるだろう。
少ししゃがれたよく通る声で、低音から高音まで、難なく操る。元々最高だったギターはそのままに、奏真は堂々とステージに立っている。
ドラムを本格的始めたのは、中学生の頃だった。日本に帰ってしまった幼馴染のスズがベースを始めてバンドを組んだって聞かされた事に、影響を受けたからだ。
誘われてなんかいないし、日本とイギリスはあまりにも遠くて、俺がドラムを始めたからってなにも変わらないって事は、よく分かっていた。頭では。
だけど、スズに置いて行かれたくなかった。
始まりは、そんな対抗心でしかなかった。
家のガレージには生まれた時からドラムセットがあった。父がドラマーだったから。俺が生まれる前、父はバンドを組んでいて、デビューもしたし、アルバムを何枚か出して国外でもライブをした事があるらしい。
俺の知っている父さんは、朝出かけて行って夕方になると仕事から戻ってくる。ほとんどの家のお父さんと同じだったから、父がプロのミュージシャンだったなんて、信じられないって、今でも思う。
だけど、父はドラムセットに座ると全くの別人になる。
子どもの頃から遊び道具として適当にスティックで叩いて遊んだことはよくあった。
父のドラムがどんなに凄いのかって理解したのは自分が本気になってからだった。
身近に目標に出来るような師匠がいることも、ドラムセットが家にあったことも、すごくラッキーだった。
それまで、一度もドラムで遊ぶなと叱られた事もないし、無理に練習させられた事もなかった。
だけど俺の本気を知った父も、本気になった。とはいっても、元が穏やかな父だから、熱血、なんて言葉とは程遠かったけれど。
コツや練習方法、父はなにもかもを教えてくれた。
だけど、どんなに真剣にドラムを練習したところで、周りにバンドに興味のある友達もいなかったし、一緒に演奏する相手もいなかった。誰に聞かせるわけでもないけれど、思いのままにドラムを叩くのはただ爽快で、いいストレス発散になった。
たまにガレージを覗きに来る母さんが上手いねと褒めてくれても、ただそれだけの事だった。
父がドラムを楽しそうに叩くのを、母が座ってうっとりと眺める。月に何回か見かけるその光景がふたりだけの世界でどこかロマンチックだった。
母が恋した父が、そこにいるんだろうって、今ならわかる気がする。
今は聞いて欲しい子がいる。
フロアのどこに恵がいるか分からなくても、いることは確かだ。
こんな事を言ったら、きっと奏真にブチギレられるけど。正直に認めると。
俺は、ただ恵に見て欲しいが為に、ステージにいた。
あの裏庭で、恵がエアプレインズのことをあんなにも目を輝かせて話さなければ、スズに一緒にバンドをしないかって誘われた時にも、尻込みして断ったと思う。
だけど、恵の大好きなエアプレインズのメンバーになれるチャンスがあるんだと気がついた。
スズにどうしてもドラムが必要だと言われた瞬間に、すでに心は決まっていた。
元々エアプレインズの曲が大好きだったし、子どもの頃はスズを俺から奪った憎い敵のようだったみんなも、スズから繰り返し話を聞くうちに、まるで自分にとっても親友みたいな感覚になっていた。
それに、奏真がハッキリした性格なのはなんとなく知っていたから。俺でダメなら、さっさとクビにするだろう、と覚悟も決めた。
それでも、努力の甲斐があって、クビにならずに今日まで辿り着けた。
練習と同じだと思えばいいって、俺を落ち着かせる為に縁仁は言ってくれたけれど。
練習とは全く違う。
ステージの前にいる人たちの顔が見える。振り上げた手やジャンプする様子や、一緒に歌うのも。
気分が高揚して、最高に気持ちよくて、楽しい。俺を気遣ってか、3人が何度もこちらを振り返ってくれる。それが嬉しくって、目が合う度に勝手に笑っていた。
本当に、楽しかった。
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