消した理由は

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「おはようございまーす!」  白い息を吐きながら、元気よく沢山の制服が私を追い越して行く。  こうして傍から見る彼らは天真爛漫そのもので、毎日訪れる青春の真っただ中をただただひたむきに満喫しているように見える。けれどその裏には、彼らの年代や、立場だからこそ生まれる様々な悩みや葛藤がある事を、私は知っている。 「里村先生、今日は来る日だったんですね。後で遊びに行ってもいいですか?」 「もちろん。でも仮病は駄目よ」  後ろから走って来た少女は、私が言うとちょろりと舌を出して走り去っていった。  スクールカウンセラーである私の元には、様々な生徒が訪ねてくる。そのほとんどが、悩みとは言えないレベルの世間話をしていくだけだ。でも、それでいいのだと私は思っている。スクールカウンセラーに相談しなければならないような悩みなんて、ない方がいいに決まっている。  ブゥゥゥン、と控えめに排気音を鳴らしながら、ブルーのスポーツカーが滑り込んできた。幾人かの女生徒らが、きゃっと黄色い声を上げて追いかけていく。  降りてきたのは数学教師の岩田だ。色白で涼し気な目元が特徴な、今時の韓流アイドルのようなルックスで一部の生徒達から熱狂的な人気を集めていた。噂では、ファンクラブまであったという話だ。  女生徒達をあしらった後、初めて気づいたというように岩田は私に向けて微笑んだ。 「おはようございます、里村先生」 「岩田先生、おはようございます。遅くなりましたけど、ご結婚おめでとうございます」  私の登校日は週一回、水曜日だけ。その翌日となる先週木曜日、岩田は突然結婚を発表したのだ。特定の交際相手がいたという事実も含め、まさに電撃的なニュースだった。 「おめでとうだなんてそんな、お恥ずかしい限りです。仮にも聖職にある身で、出来ちゃった結婚だなんて」 「今時は授かり婚って言うんですよ。何にも恥ずかしがらず、誇って下さいね」 「恐縮です」  礼儀ぶってお辞儀した後、岩田は一瞬ぼーっと私を見た。 「……何か?」 「あぁ、いえ! 里村先生の姿を見たら、不思議ともう春が近いんだなぁなんて気がしてきて。では、失礼します」  はにかみながらそそくさと立ち去る岩田を目で送りつつ、無意識に首元に手が伸びる。まさしく春をイメージした、若草色のスカーフ。淡いベージュのチェスターコートも、つい先日購入したばかりの春物だ。  直接的に見た目や物を褒めるのではなく、それとなく相手の変化に言及する目敏さ。白い歯を覗かせて屈託なく笑う愛くるしさ。あの見た目であの態度を見せられれば、コロッと行ってしまう女子は少なくないだろう。  実際、それを相手構わず誰にでもやってのけるのが岩田という男の恐ろしさだ。そういう女性を魔性の女と呼ぶのであれば、天性のスケコマシとでも言えるかもしれない。  ……あざといやつ。  とはいえどんな形であっても褒められれば悪い気はしない。ガラス越しにスカーフの角度を確認し、私は校舎の中へと入って行った。
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