消した理由は

2/5
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
   *  せっかくの出勤日にも関わらず日中の訪問者はゼロで、放課後になってようやく金成知佐が顔を出した。 「こんにちはぁ」 「あら、金成さん。最後までちゃんと学校にいるなんて偉いじゃない」 「明衣ちゃんが来るって知ってたから。昨日は午前中で帰っちゃったんだけどね」 「そこを帰らずに踏みとどまって欲しいんだけどな」 「あたしにしては頑張ってるほうじゃんー。明衣ちゃん、厳しいなぁ」  栗色のボブカットを揺らして、知佐はほっぺたを膨らませた。  知佐が不登校を発症したのは、ちょうど一年前の事だ。不登校の原因は何か一つに絞る事が非常に困難で、様々な複合的な要因が絡まり合っているケースが大半だ。彼女の場合にも自身の性格や家庭環境、友人や教師との関係など考え得る原因は多々あったが、何度も何度もカウンセリングを重ねる中でだいぶ症状は改善されるに至った。午前中教室を覗いた際も、クラスメイトらと楽しげに談笑する姿が見られた。最近はむしろクラスのムードメーカー的な役割を負いつつあるようだ。 「この一週間で何か変わった事はあった?」 「あたし? あたしは別にぃ。相変わらずつまんない毎日って感じ」 「いい事じゃない。何よりよ」 「えぇー、やだよぉ。こんなのがこれから先もずっと続くなんて、想像したくもない」  椅子から転げ落ちそうなぐらい大げさに嘆いてみせた知佐は「そうだ!」と大声をあげて私に向き直った。 「事件! 大事件があったよ! 明衣ちゃん、聞いてない?」 「大事件?」 「彩菜ちゃん! インスタのアカウント、消しちゃったんだって!」  水波彩菜と言えば、二学年で学年一位の秀才のみならず、アイドル並の容姿でみんなの注目を集める才色兼備な学校のスターだ。校内外問わず彼女のインスタは人気で、フォローされた、されなかったで生徒達が一喜一憂するほど、一種のインフルエンサーになっているという話は常々他の生徒から聞いていた。その彼女がアカウントを消したとなれば、大事件には間違いない。 「どうして消したの?」 「それがわからないからみんな騒いでるんだよ」 「わからない? 本人に聞いてみた人はいるの?」 「もちろん聞いたよー。でも、誰が聞いてもなんか面倒くさくなっちゃったって、それしか言わないの」  なるほど。よくある理由ではある。アカウントに鍵をかけたり、投稿を全消ししたり、今回のようにアカウントごと削除したり……それらを「面倒くさいから」という理由で衝動的に行う事は、生まれながらにしてインターネットに親しんできたZ世代と呼ばれる彼らにとっては、決して珍しい話ではない。  ただし、「面倒くさい」という言葉の裏には看過できない問題が隠されているケースも少なくない。友人関係がこじれて大きな精神的ダメージを負っている場合もあれば、はたまたイジメのような事件に巻き込まれている場合もある。Z世代の彼らにとってアカウントの削除は、ともすれば第二人格の自殺と呼んでも差し支えない程の意味合いを帯びる事すらある。 「それで、水波さん自身は最近どうなの? 恋人や友達と喧嘩したとか、仲間外れにされてるとか、きっかけになりそうな事ってないの?」 「それがないから不思議なんだってば。本人はいつも通りだし、彩菜ちゃん、彼氏の噂とか聞いた事ないしなぁ。インスタだって、家族以外の男の写真とか観た事ないし。彩菜ちゃんの周りにいる友達だってみんな彩菜ちゃん大好きな子ばっかりだもん。みんな本気で心配してる子しかいないよ。喧嘩とか仲間外れなんて、想像もできない」  ――とすれば、考え得る可能性としてはもう一つある。 「ご両親に止められたのかしら? SNSのやり過ぎで怒られたとか」 「学年一位の成績で? それに、彩菜ちゃんのインスタって家族も一緒に載ってたりしたよ。お母さんもインスタやってるみたいで、タグ付し合ったりして。仲良いんだなーって思ってたぐらい」 「じゃあ別に、水波さんに変わった様子はないのね?」 「あたし達が見る限りは、ね。全然普通」  恋人らしき影もなく、友達と揉めてるわけでもない。家族に禁止されたわけでもない。  こうなると本格的に、単に「面倒くさくなった」可能性が高まって来る。誰からも注目される優等生ならではの、特別視され続ける事への拒否反応を発症したのかもしれない。   いずれにせよ本人はこれまで通りの学校生活を満喫しているのだとすれば、私の出る幕はなさそうだ。 「気にはなるけど、本人が元気なら問題ないんじゃないかしら」 「えー、信じられない。インスタ消したら友達と連絡とれなくなったりするじゃん。問題だらけだよ」 「連絡ならラインもあるでしょ?」 「ラインなんて本当に仲良い家族とか親友にしか教えないもん。学校の友達とかはインスタのDM使うんだよ。明衣ちゃん、知らないの?」  なるほどそういうものなのかと感心する。ただし、クラスメート達ともインスタで繋がっていたのだとすれば、ますます「面倒くさくなって」消した説が強まるのではないだろうか。  それとも――アカウントを削除してでも消したい何かがあったとか。  ふと、頭の中に引っ掛かりを覚えた。 「……一応気には留めておくわ。金成さんも何かあったら教えてちょうだいね」 「オッケー! 来週までに探っとく!」 「こら! ちょっと、無理して調べる必要はないのよ!」  私の制止を振り切り、知佐はひらひらと手を振って飛び出して行ってしまった。  相変わらずの猪突猛進ぶりだ。何にせよ、知佐が元気でいられるのは喜ばしい。笑顔で見送りつつ――私は自分の頭に浮かんだ想像のおぞましさに、恐怖を覚えるのだった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!