愛を喰う

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 *  あれは、愛菜が小学二年生だった時の、冬だ。  愛菜と両親は雪山で遭難していた。家族でスキーに来ていたのだが、コースから外れてしまったのだ。ホワイトアウトで視界は遮られ、どこを歩いているのかも分からない状況だった。 「ねえ、あなた。携帯は使えないの?」 「使えたらとっくに救助を出してる。とにかく、この状況で動くと、かえって悪化する。今は耐えるんだ」  父親と母親の間に愛菜はいる。愛菜は身を丸くして、極寒の試練を受け続ける。 (寒いよ……それに)  愛菜はお腹を手で抑える。どうして人間というものは、こうも欲望に忠実なのだろう。 (お腹すいた)  愛菜は朝から、いかなる愛も食べていなかった。とにかく早く滑りたくて、両親を急かしたのだ。それが完全なる失策であった。今は何時なのかは分からない。空を見ても、灰色のキャンバスに、真っ白な雪の絵の具がぶち撒けられているだけである。ただ、愛菜の全身が、食い物を求めて疼いていることだけは確かだ。 「大丈夫よ、愛菜。絶対助かるからね」  母が自身の胸元に、愛菜を抱き寄せた。自身の身につけていたマフラーを、娘に巻き付ける。  (あらわ)になった、母の首筋。 (……お腹すいた)  愛菜は胸中で首を横に振る。ダメだ。いくらなんでも、父と母の愛を食べるなんて。小学生にだって分かることだ。  猛烈な吹雪が家族を突き刺した。  マフラーは容易く飛ばされる。守ってくれるもののない顔は、痛みで燃えている。愛菜の意識が朦朧としていく。 (力がでない)  エネルギーを。とらなければ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。嫌だ。怖い。  母の髪が風で巻き上げられ、愛菜に首を見せつけた。  愛菜は母の首を噛んだ。  どんどん腹が満たされていく。いつぶりの食事だろう。美味しい! 美味しい! こんなに美味しい食事は久しぶりだ! 「愛菜、どうし——」  顔を歪ませる父の首にもしゃぶりついた。ああ、こんなに美味しいご飯が、こんなに近くにあったんだ。……  心地よい満腹感に、愛菜は目を閉じた。
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