セリオンの道化

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セリオンの道化

 人類が地底に追いやられて数万年の時が流れたある日。  地底都市最大の鉱山があるコーロイト・シティでは、今日も命がけの採掘作業が行われていた。  化石燃料を使い果たした人類は、オパーレアという鉱物から巨大なエネルギーを作れることを発見し、すっかりこの鉱物に依存した地底社会を形成してきた。  コーロイト・シティの地脈には、あと数千年は使えるほどの量の巨大なオパーレア鉱山が眠っている。  なんと、全世界で使われるオパーレアのうち、83%がここコーロイト・シティで掘られているのだ。  マーニャはオパーレアの採掘師を夢見て3年前にコーロイト・シティにやって来た、キールマーニ地方出身の21歳、7人姉弟の長女だ。  先月まで職業訓練学校の学生だったが、晴れて卒業して見習い採掘師として、オパーレア業界では最大大手のエークノル社で今日から働くことになっている。  入社式を終えると、マーニャはB-65チームに配属になった旨が告げられた。  長い廊下の両側に一定間隔で部屋が区切られていて、各チームのメンバーが仕事をしている。  それぞれの部屋はさほど広くはないが、廊下に面した壁がガラス張りになっているので、見ていて窮屈さは感じなった。  B-65チームは南側の一番端にあった。  部屋を覗くと5人の社員が仕事をしていた。  マーニャに気が付いた女性が手招きをして、彼女を迎え入れてくれた。 「マーニャちゃんね。ようこそ。私はフレア。このチームの主任です。」  マーニャはフレアと握手した。採掘現場には似つかわしくない、ロングヘア―とハイヒールのよく似合う女性だった。  フレアはこのチームにいる面々を次々と紹介し始めた。  フレアの隣の席の男性が、労働基準監督のローラン。40代くらいの男性だ。  手前の席に座っているのが、ヒューゴ。眼鏡をかけたひょろっとした男性。  その隣のボーイッシュな女性が、J・J(ジェイジェイ)。  一番奥にいる愛想の悪い男性がシマズといった。  その名前を聞いてマーニャは驚いた。 「そう、あのシマズよ。意外とイケてるでしょう?」  フレアが耳打ちして教えてくれた。  シマズ。伝説の採掘師。何でも、この地域最大のオパーレア鉱脈を発見したのが彼だと言う。  その功績のおかげでエークノル社はここまで登りつめたとか。  そんな伝説の男が、こんな末端のチームにいる? しかも、マーニャが想像していたより、ずっと若い。おそらく二十代後半であろう。  屈強なおっさんを想像していたので、とても意外だった。 「マーニャちゃんは、今日からシマズのパートナーです。シマズ、ちゃんと教育してちょうだいね。」 「えええええ!?」  マーニャは予想外の展開に、頭がついて行けずにパニックを起こしていた。 「あら?あなた、訓練校を首席で卒業したって聞いたわよ。百年に一人の逸材だって。会社は第二のシマズを作りたいみたいよ。がんばってね。」 「俺はパートナーなんていらないって言ったはずだぞ、フレア。」  シマズが不機嫌そうな声で言った。 「そんなこと言ったって、上からの命令なんだから仕方ないでしょう。」  マーニャは憧れの採掘師に出会った衝撃から、一気に現実に呼び戻された。自分はこの人に全く歓迎されていない。  実力で示さないと、新人だからってちやほやされる世界はここにはないのだ。 「とんだ偏屈野郎でごめんね。でもああ見えて根はいい奴なのよ。食らいついていきなさい。」  フレアがそっとマーニャの肩に手を置くと、耳元でささやいた。  マーニャは、ハイ、とフレアだけに聞こえる声で、でも力強く返事をして気合を入れた。  シマズの隣の席がマーニャに用意された席だった。訓練校で使っていたものとは比べ物にならないくらい大きなモニターと、ピカピカのキーボードが置かれていた。 「第三ポイントの採掘ルートを割り出してみろ。」  マーニャが席に着くと、唐突にシマズが言った。いきなり実践だ。  試されている…。  マーナは腕まくりをすると、モニターを起動して、まずは鉱山の全体像をざっと眺めた。  学校でやっていた鉱山とは規模が全く違うが、巨大化してもオパーレアはオパーレアだ。  マーニャはすぐに第三ポイントを見つけて、破壊ポイントを図面の上に打って行った。  オパーレアは、他の鉱物の間に入り組んだ形で存在している。それを、できるだけ無駄なく短時間で最大量を掘り出す技術を持っているのが採掘師だった。  鉱山の内部構造は、モデラ―と呼ばれる技術者たちによって超音波スキャンされ、3Dデータに再現されている。  地殻は常に変動しているので、それに合わせてデータも常時更新されていく。  各チームでは、採掘師とモデラ―がセットになって作業をしている。  先ほど紹介されたヒューゴとJ・Jがモデラ―である。  採掘師たちは、モデラ―が作成したデータを事前にチェックし、破壊ポイントを決めてから掘削機に乗り込みオパーレアを採掘していく。  この破壊ポイントは、鉱物の特性を熟知していないと正確には打てない。  少しでもずれるとオパーレアを粉砕してしまったり、取り出せなくしてしまったり、時に落石などの事故へと繋がったりする。  地殻の中には破壊すると人体に危険が及ぶ鉱石も含まれている。  採掘師は、打点を読む感性と、掘削機を手足のように使いこなす技術力が求められる職業なのだ。  その点において、マーニャは天性の才能を持っていた。異なる物質と物質の間にどのように亀裂が入り、そしてどのように砕けていくのか。彼女には考えずともそれが見えるのだった。  マーニャがポン、ポン、ポンと打点を付けていると、いつのまにかシマズが後ろに立っていた。 「おまえ、筋がいいな。ここの打点はこっちにしてみろ。」  シマズが指さした方を確認して、マーニャは心臓が高鳴るのを感じた。  すごい!! こんな打点、私には思いつけない!!  シマズが指示した場所に打点をつけると、それはもう芸術としか言いようのないルートが完成した。  後ろから、おお、という感嘆の声があがった。  いつのまにか、他のチームの人たちもマーニャのモニターの前に集まっていた。  シマズが他人の打点を認めるだなんて、実は前代未聞だったのだ。 「よし、じゃあ、午後から、そのルートで掘削にいくぞ。」  そう言い捨てて、シマズはどこかへ行ってしまった。  マーニャはルートの概要を保存すると、登録されている掘削機にデータを送った。  シマズさんの掘削機…ということはアレなのだろうか…。  昼休憩になると、ヒューゴとJ・Jに社員食堂へ誘われた。  様々なジャンルの食事がそろっていて価格も安い。ここなら毎日来ても飽きなそうだ。  マーニャは “地底魚のフライと揚げ芋セット” を注文した。 「マーニャちゃんって、キールマーニ出身なんでしょう? 実はあたしもなんだ。」  J・Jが言った。とても親し気にしてくれると思っていたら、そういうことだったのだ。  彼女はマーニャより一回り以上年上だった。共通の知り合いこそいなかったが、地元の話で盛り上がった。  その様子をヒューゴがニコニコしながら見ていた。  とても優しそうな人だ。その視線からJ・Jのことが好きなんだろうな…とマーニャは推測した。  昼休憩から戻ると、シマズが先に戻っていて、既に掘削機に乗車するための装備を身に着けていた。 「行くぞ。お前も早く準備しろ。」  そう言いながら、彼は奥のドアを開けて乗車場へと行ってしまった。  あわててマーニャは壁沿いに並んだ自分のロッカーを開けて装備を確認した。  訓練校で使っていたものとほぼ同じものが並んでいてホッとした。  これなら装着に戸惑わない。  防護服。ライト付きヘルメット、ゴーグル、マスク、通信機、ハーネス、手袋、ブーツ…。  フル装備が完成し、マーニャは急いで乗車場へ入った。  乗車場はチームの部屋から直結していて、すぐに採掘場へ行けるようになっている。  幾台もの掘削機が並ぶ中に、そいつは鎮座していた。  伝説の採掘師 シマズの愛車、通称 ≪セリオンの道化≫ だ。  一目見て、そいつが著しくカスタマイズされていることがわかった。  面構えからしてまるで他の掘削機と違っている。  シマズの愛車は、まるで怒り狂った猛獣のようでいて、それでどことなくユーモアのある顔をしていた。 「おい、何をしてる。乗れ。」  シマズが運転席から顔を出して言った。 「あ!はい!すぐ行きます。」  マーニャは ≪セリオンの道化≫ によじ登り、運転席に入ろうとして、驚いた。 「わ、私が ≪腕≫ ですか!?」  掘削機の運転席は前後に2つある。前方が ≪腕≫ と呼ばれ、後方を ≪脚≫ と呼ぶ。  ≪腕≫ の方で岩盤を削る繊細な操作をし、≪脚≫ は予め入力されたルートを確認しながら方向の調整を行う役割だ。  通常は熟練者が ≪腕≫ をやる。ましてやマーニャは見習いだ。初日でいきなり乗車というのも異例なくらいなのだが…。 「そうだ。やってみろ。俺のマシンは前の席で ≪腕≫ も ≪脚≫ もできるようになっているから、ちょっと癖があるが、≪腕≫ の操作だけに集中してやってみろ。≪脚≫ はこっちで俺がやる。」  マーニャはゴクリと唾を飲み込んで、≪腕≫ の席へと入り込んだ。  訓練校で、何千回と ≪腕≫ の操作はしてきた。自信もある。しかし、これは ≪セリオンの道化≫ だ。三輪車に乗っていた子どもがいきなり大型のバイクに乗るようなものではないのか。  操作盤から突き出た二本のハンドルを握り、両手の指をリングに差し込んだ。少し動かしてみると、ものすごくデリケートな設定になっていることがわかった。  その細かい動きは、マーニャの手癖と相性がよさそうだった。  それにしてもすごいマシンだ。≪腕≫ の席の足元にレバーが付いている。シマズはこれで ≪脚≫ も同時に一人で全てこなして来たのだ。  これは両手でご飯を食べながら、足でキーボードを打つような作業だ。とてもじゃないが、人間業とは思えない。  ドゥルルルルルン…と ≪セリオンの道化≫ が震え、エンジンがかかった。  重たい響きだ。  厳ついマシンがゆっくりと採掘場へ向かうトンネルを進みはじめた。第三ポイントは、右の奥に行った方だ。  10分ほどトンネルを進むと、ポイントに到着した。  マーニャは3Dの図を見ながら、≪腕≫ を動かす。ハンドルを操作すると、マシンの前方についた腕がグニャグニャと動き、岩を削り始めた。  腕からは粉じん防止の液体も噴射されるので、削られた岩がキラキラ光ってまるですべてが宝石のように見えた。  マーニャはこの光景が大好きだった。  岩を削っていくと、すぐにオパーレアの塊が出てきた。オパーレアは七色に輝く鉱石で、多くの水分を含んでいる。この水分に電子的な刺激を与えることで、巨大な熱エネルギーを生み出すことができるのだ。  今マーニャたちが乗っている掘削機もオパーレアが原動力となって動いている。  オパーレアは塊でなければならない。細かく砕けてしまうと、それだけ作り出せるエネルギーが減ってしまう。なるべくデカいまま掘り出すのがすぐれた採掘師の仕事だ。  ゴロっと鈍い音がして、直径1メートルほどのオパーレアの塊が採掘できた。慎重に腕を動かして、マシン下部の格納庫へ入れる。 「よし、いいぞ。そのまま続けろ。」  シマズが後ろで絶妙な ≪脚≫ の操作をしてくれるので、マーニャは安心して作業ができた。  言葉で言わなくても、シマズはマーニャが向きたい方向へ ≪セリオンの道化≫ を動かしてくれるのだ。  こうして二人はがっつり5時間、オパーレアを掘り続けた。  今まで見たこともないほどの塊を大量に採掘できて、マーニャの気分は高揚していた。  終業の時間になり、マーニャとシマズはチームの部屋へと戻って来た。  チームの全員が立ち上がって彼らを迎えた。  他のチームの人たちも何人か覗きに来ていた。  シマズは野次馬たちの方をチラッと見ると、マーニャに向き合い、「続きは明日だ。」と言った。  そして、さっさと防護服を脱ぎ、道具を片付けると部屋を出て行ってしまった。  フレアがニコニコしながら側に来た。 「おつかれさま。すごかったわよ。文句なしに、本日のトップディガーだわ。正直ハラハラしてたのよ。あなたすごいわね。あのシマズが認めたのよ!」  続いてローランがタブレットを持ってやって来た。 「シマズとの仕事はどうだった? 僕たちに見えないところで、シマズに強い口調で何か言われたりとかはなかったかい?」  メンバーのフィジカル的、メンタル的なケアや、チーム内で何かしらのハラスメントが行われていないか常に監視するのが仕事なのだ。 「特に何も。黙々と仕事をしました。」 「そうか、それはよかった。何かやりにくいことがあったら些細なことでも何でも相談してくれな。」  マーニャはローランの優しさにお礼を言って、やっと防護服を脱いだ。  防護服はランドリーボックスに突っ込んでおくと、翌日には綺麗にしてもらえる。  ロッカーを開けて道具をしまっていると、ヒューゴとJ・Jに夕食に誘われた。もちろんついて行った。 「ほんとにあんたすっごいね~!」  J・Jが1杯目のビーアを一気飲みしてから言った。 「今までもシマズにパートナーが付けられたことは何度もあったんだよ。歴代の成績ナンバー2が。でも、その度にあいつが速攻クビにするから続かなくてさ。」 「君が打った破壊ポイントを見て、シマズさん、筋がいいって言ったじゃないですか。 あの時、僕は鳥肌が立ちましたよ。」  ヒューゴがブルブルっと身震いしてみせた。 「あいつが人を褒めたろころを初めて見たよ。今まで来てた奴らは、3つくらい打点をつけただけで、『それは何のつもりだ。帰れ。』とか言われてたもん。」 「え? ナンバー2の人が来てたんですよね?」 「そうだよ。」 「ってゆうか、あんた、≪セリオンの道化≫ の ≪腕≫ をやったんだよね?」 「そうなんですよ。いきなり ≪腕≫ ですよ!? 私、見習いですよ!? 虎の子を崖から落とすタイプなんでしょうか??」  ヒューゴとJ・Jは顔を見合わせた。 「あいつ、≪セリオンの道化≫ は絶対誰にも触らせないはずなんだよ。特に、あの事故があってからは。」 「あの事故って??」  J・Jは神妙な面持ちになって、低い声で語りだした。 「これ、私が喋ったってあいつには絶対言わないでよ。私も人から聞いた話なんだけど、何でも6年くらい前に、あいつ、事故で奥さんを亡くしているんだよ。」 「奥さんを!?」 「あいつの奥さんも採掘師で、仕事でも奴のパートナーだった。あ、逆かな。仕事のパートナーから人生のパートナーにもなったのかな。まあ、どっちでもいいや。とにかく、奥さんも凄腕の採掘師だったんだ。でも、ある日、事故を起こしてさ。運が悪いことにアースベストンの地脈に当たっちゃったんだよ。」  アースベストン…。それはガラス状に細かく砕ける性質を持った鉱物で、吸い込むと肺や気管支に刺さって組織を破壊し、吸い込んだ量が多いと、なすすべもなく命を落とす。  また、皮膚に破片が刺さっても、どんどん内側に向かって食い込んでいく性質があるために、すぐに排除できないと付着場所によっては致命傷になる場合もある。  採掘師にとって一番恐ろしいのがこのアースベストンなのであった。 「奥さんはアースベストンの霧をまともに吸い込んじゃって、ほぼ即死だったそうだよ。シマズも何日も昏睡状態で生死をさまよったらしいが、ああして生きている。あいつがものすごく気難しいのはそのせいなんだよ。」 「あの有名なシマズさんにそんなことがあったなんで…みんな知らないですよ。」 「世間に騒がれないようにマスコミに口封じをしたんだろうよ。そのおかげであいつはさらし者にならずにすんだ。」 「僕は前にちらっと聞いたことがあるんですけど、再び誰かを失うのが怖いもんだから、ああやって一人で ≪セリオンの道化≫ を動かしているとか。」 「だから、≪セリオンの道化≫ にあんたを乗せたと聞いて、みんな驚いているんだよ。シマズはあんたの技術を認めている。これはすごいことだよ。」  学生たちの間ではもはや伝説のように語り継がれていたシマズの功績。そこから勝手に想像していた人物像が、今日の一日でガラガラと音をたてて崩れてしまった。 「シマズもずっと殻に閉じこもってて不憫だったからさ、マーニャちゃんが速攻クビにならないで私も嬉しいよ。」  今日の仕事は緊張の連続だったので、J・Jの言葉に救われた気持ちだった。  家に帰ると、マーニャは早速シマズについてあれこれ調べてみた。  当時の事故はニュースには載っていなかったが、シマズと奥さんらしき女性が一緒に写っている昔の写真を見つけた。  カレンと名前が書いてあった。お人形のように美しい人だ。とても岩を掘るようには見えない女性だが、シマズが公私ともにパートナーに選んだ女性だ。きっとすごい人だったのだろう。隣にいるシマズはとても柔らかい表情をしていた。  シマズさん。暗い暗いトンネル中に今もずっといるのね。  マーニャは心の奥底で嫉妬の渦が巻き起こるのを感じていた。その渦に気が付かないフリをしようとしたが無理だった。人生のパートナーとまではなれないが、仕事の間だけはシマズさんが悲しい過去を忘れられるように、自分がもっと技術を磨かなければいけない…と思った。  よし、明日はもう少しシマズさんと打ち解けてみよう、と心に誓うマーニャだった。  翌日も、まずはマーニャが打点を付け、シマズが微調整、午後から ≪セリオンの道化≫ でガンガン掘るという作業が続いた。  引き続き、マーニャが ≪腕≫ を任された。機械の操作で手一杯で、とても打ち解けた話などできる隙はなかった。  こうしてシマズとマーニャはがむしゃらに毎日働き、連日トップディガーに選ばれた。たった1週間で、通常のペアが3ヶ月かけて掘る量をこなしてしまった。  それでもマーニャは満足していなかった。なぜならば、まだシマズが一度も笑顔を見せていないからだ。言葉では「いいぞ」とか「その調子で」など肯定的な言葉を投げてくれるのだが、シマズの表情はいつも固いままだった。  マーニャは家に帰ると、自分のルートをおさらいし、さらに会社の過去データを検索して、カレンの掘ったルートを見つけては、夜な夜なその手癖を学習した。  そんなある日、珍しくマーニャとシマズが遅くまで残ってデータの整理をしていると、シマズが夕飯でも一緒にどうか、と誘って来た。  こんなことはもしかしたら一生に一度しかないかもしれない。マーニャは二つ返事で同意した。  シマズはマーニャを麺類の店へ連れてきた。カウンターだけの狭い店だ。  初めて来る店で何を注文したらよいのかわからなかったので、マーニャはシマズと同じものを注文した。  料理が運ばれてくると、それは驚くべきものだった。大きなどんぶりに山のように野菜が積まれていて、下に麺があるようだが、全く見えない。  マーニャがびっくりしていると、シマズが山盛りになった野菜を皿に取り分けて食べ始めたので、マーニャもそれにならった。  食べても食べも野菜がなくならない。これでは麺にたどり着く前に満腹になってしまう…。  マーニャが黙々と野菜をこなしていると、シマズがその様子に気が付いて顔を上げた。 「それでは麺まで行けないぞ。こっちは俺が食ってやるから、麺を食べてみろ。」  そう言うとシマズは山盛りの野菜をマーニャのどんぶりから取り、自分の皿へ躊躇なく乗せた。  野菜が取り除かれると、軽く縮れたつやつやの麺が姿を現した。  マーニャは麺をすすった。この世のもとは思えぬうまさだった。 「シマズさんは、どうして ≪セリオンの道化≫ を一人で動かしてきたんですか?」  おいしいもので心が満たされて、少々大胆になったマーニャは素知らぬフリをして聞いてみた。 「その理由はもう誰かから聞いて知っているだろう。あれで妻を亡くしたからだ。俺の不手際だった。もう誰にもあんな目にあってほしくない。死ぬなら俺一人で死ぬことにしたんだ。」 「では、なぜ私を乗せてくれたんですか?」  それを聞いてシマズは、ふっと笑った。そう、笑ったのだ。 「なぜ君を乗せたか? …それはマーニャがかわいいからだよ。」  え"…! 「いや、冗談だよ。……なんだ、俺だってたまには冗談も言うぞ。」  なんと!なんとつまらない、不謹慎なおじさんが言う類の冗談…!  マーニャは思わず、ぶっと吹きだしてしまった。 「冗談はさておき、単純に君がどういう操縦をするのか見たかっただけだよ。君には天性の才能がある。自分で自覚しているか?」  マーニャは首を横に振った。 「初日のあの時、君の打ったポイントを見て俺は興奮したぞ。あんな打点つけるやつ、他にはいない。」  褒められてマーニャは急に恥ずかしくなってしまった。 「だけれどな、だけどだ。最近、君は君らしからぬコースを作っている。掘り方もだ。」  マーニャはぎくりとした。 「俺はそこにカレンの影を見ている。この話をしたくて、今日はここに誘った。君はカレンのルートや手癖を模写している。ちがうか?」  図星をつかれてマーニャはうつむいてしまった。絶品の料理に対する食欲もシナシナと一気に萎えてしまった。 「なぜ君がカレンのルートを学んでいるのかはわからないが、カレンはカレン、君は君だ。君とカレンはタイプが違う。君はカレンにはならなくていい。」  それを聞いて、マーニャの中で急に怒りが爆発した。 「私は、少しでもシマズさんに近づこうとしただけ!カレンさんになりたいわけじゃない!どうしたらあなたに近づけるか、毎日毎日、寝る時間も惜しんで勉強している。あなたのルートは私には解読できない。だからカレンさんのルートを見て学習しているの。それの何がいけないの!?」  マーニャは立ち上がって、ブルブル震えた。  今にも泣きだしそうになったが、ぐっと我慢した。この人のために、こんなに毎日死ぬ思いでやっているのに、それなのに、それを全否定しようとしている!  そんなマーニャとは対照的にシマズは落ち着いた表情でこちらを見ている。 「君の最大の武器は、その類稀なる感性だ。君は本能的に岩を知る。それは俺にもできないことだ。この世には、たくさん勉強して、努力して伸びていく奴もいる。でも君は違う。余計なものを入れると君の感性は曇る。君は君の思うままに、純粋な眼差しで岩と向き合ってほしいんだ。」  シマズから最大の誉め言葉をもらったのに、マーニャは頭に血が上っていてその言葉の意味を理解していなかった。  自分の努力が全て無駄だと言われたと解釈して憤慨していた。 「全部、あなたのためにやっているのに!」  マーニャは目の前のどんぶりをひっくり返し中の麺をぶちまけると、そのまま店を飛び出して、自宅まで走って帰った。  自分のベッドに飛び込むと、どっと後悔が襲って来た。  やってしまった…。  学生時代から変わらない自分をマーニャは呪った。カッとなると前後の見境がなくなってしまう悪い癖だ。  あれではまるで駄々をこねた子供ではないか。  明日からシマズさんにどう接したらいいのだろうか…。  マーニャは金縛りになったようにベッドの上で動けなくなり、そのまま寝てしまった。  翌朝、けたたましい目覚ましの音で目が覚めると、体がバキバキになっていた。昨日寝入った姿勢から微動だにせずにそのまま寝ていたらしい。  重たい身体と心をずるずる引きずるようにして、なんとか出社した。  B-65チームの部屋につくと、既にシマズは出社していた。  おずおずと彼に近づき、マーニャは小さな声で、「昨日はごめんなさい。」と言った。  モニターで打点のチェックをしていたシマズは、マーニャの方へと向き直ると、真顔で「反省しているのか?」と言った。  マーニャが頷くと、シマズはそっと彼女の手を取り、「じゃあ、今日も仕事が終わったらあの店にいくぞ。店主にあやまるんだ。」と言った。  マーニャはまた無言で頷いた。 「よし、じゃあ、今日は第五ポイントだ。」  シマズに背中を押されて、マーニャは自分の席につき、打点をつけはじめた。  第五ポイントは、入り組んでいて難易度の高い場所だ。少しでもずれると事故につながりかねない。  マーニャは慎重にルートを作成した。  昼休みになると、J・Jが何かあったのかとしつこく聞いてきた。専門家のローランには気が付かれなかったのに、J・Jにはシマズとマーニャの関係がぎくしゃくしているのがバレてしまった。  仕方ないので、昨日の出来事を彼女に話した。 「なるほど、それは修羅場だったわね。」 「自分でも何であんなに怒ってしまったのか解りません。」 「人がキレる時はだいたい何でそこまでキレたのかは解らないもんだよ。でもきっとシマズは嬉しかったんじゃないの?」 「え、何でですか? 変態なんですか?」 「違う違う。会社の連中はみんな、あいつの事情を知ってるからさ、腫物を扱うみたいに気を使ってるんだよ。あいつに強い口調で物申すのは、一部の近しい友達か、このチームの面々だけだからね。」 「僕は言えませんよ、強い口調でなんて…。」  隣で黙って昼定食を食べていたヒューゴが口を挟んだ。 「ヒューゴは誰にも強く言えないでしょうが。」  J・Jに一括されてしまう。 「シマズはもしかして、ずっと自分に歯向かってくるような後輩がほしかったんじゃない? 今朝だって、機嫌よさそうに出社してたよ。」  え、そうなの…?  自分だけ後悔して落ち込んでバカみたいだ…とマーニャは思った。  昼休憩を終え、部屋に戻ると、シマズが防護服を着ていた。いつでもこの人は一歩先にいる。  J・Jがシマズに近づき、「マーニャちゃんを傷つけたらぶっ殺す。」と言っているのが聞こえた。  「傷つけられたのは俺の方だ。」とシマズは返していた。  マーニャは聞こえないフリをして、急いで採掘の準備を完了させた。  ブルルルルルン…と ≪セリオンの道化≫ が唸りをあげ、二人は第五ポイントへ向かった。  このポイントは細かい操作が必要なのに、マーニャはどうしても集中できなかった。  すぐに考え事が始まってしまうのだ。 「マーニャどうした。集中しろ。昨日のことは一旦忘れるんだ。」  後ろからシマズの声が飛んできた。  よし、集中、集中…、と思った矢先だった。  手元が滑って、≪腕≫ はあらぬ方向の岩盤を削ってしまった。  泥土だ! しまった!  うっかり柔らかいところを削ってしまい、ガラガラとその奥にあった岩盤が流れ出てきてしまった。  ≪セリオンの道化≫ が押し流される。 「くそっ! マーニャ、伏せていろ!」  シマズの声に反応して、マーニャは体を二つに折ってヘルメットの頭をかかえた。  後ろの席からシマズが移動してきて、マーニャに覆いかぶさったその瞬間。マシンが横転して、二人は外に投げ出されてしまった。  機体が泥をせき止めてくれたおかげで、岩盤の崩壊は止まったようだった。  ちょっと行った先に、避難所があったはずだ。こんなことも稀に起こるので、鉱山には一定間隔で避難所が設けられている。  身体を起こそうとしたところで、マーニャは異変に気が付いた。脇腹に刺すような痛みが走ったのだ。  見ると防護服が割けて肌が露出していた。そこに、灰色のキラキラ光る細かい鉱物が張り付いていた。  アースベストン!!!! 「シマズさん…!!」  マーニャが叫ぶと同時に、シマズは状況を理解したようだった。ひょいっとマーニャを肩に担ぐと、猛ダッシュで避難所に向かって走り始めた。  アースベストンが舞っている空間に長く滞在するのはフル装備でも危ない。  数分走って彼らは避難所に辿りついた。避難所の入口には強い空気の流れが作れていて、体についた砂やホコリが自動的に全て払い落とされるようになっている。  避難所にマーニャを担ぎ込むと、ソファーに彼女を横たえ、素早い手つきで、防護服の裂け目をビリビリと広げた。 「ダメだ、アースベストンが皮膚に食い込んでいる。一刻の猶予もない。麻酔無しで切開するぞ。」  シマズは、棚から手術道具のケースを引っ張りだし、中からメスを取り出した。そして間髪入れずに、マーニャの脇腹をざっくりとえぐり取った。  一瞬のできごとで、あまりに素早く切ったので、初めは痛みを感じなかったが、止血作業が始まると、じわじわと痛くなってきた。  耐え切れずマーニャはうめき声を出し、そして気を失った。  気が付くと、マーニャはタンカーで運ばれている最中だった。歩きながら覗き込んでいるシマズの顔が見えた。その顔はボコボコに赤く腫れていた。 「シマズさん…ケガしたんですか…?」  マーニャは声を振り絞って言った。 「俺は大丈夫だ。ローランに殴られただけだ。」  え…?どうして?  マーニャの問いは声にならず、再び彼女は気を失った  目をあけると、病院のベッドで横になっていた。B-65チームのメンバーがベッドの周りに勢ぞろいしていた。  みんなが口々に生きていてよかった…と言ってくれた。  シマズはみんなの後ろに立って、無表情でじっど黙っていた。顔が痣だらけだ。  シマズの応急処置が功を示し、マーニャは1週間ほどで退院できるとのことだった。その間は絶対安静を言い渡された。  会社の意向で、事故のことは社外秘になったため、家族には連絡できなかったが、チームの面々が入れ替わり立ち代わりお見舞いに来てくれたので寂しさはなかった。  シマズは入院初日のあの日以来、なかなか姿を見せなかった。  失敗してしまったマーニャを怒っているのだろうか。あきれて見捨てられてしまったのだろうか?  もうシマズには二度と会えないのかもとマーニャが思い始めたころに、やっとシマズが病室に顔を出した。 「もう来てくれないのかと思いました。」  マーニャが仏頂面で言うと、シマズは無言でベッドの横に腰を下ろした。そして彼女の手を取ると、「生きててよかった」と言って泣き始めた。  予想外の反応に、マーニャは困惑してしまった。シマズは、彼女の手を握ったまま、ベッドに顔をうずめて泣いた。 「死ぬんじゃないかと思った。」  ああ、この人はどこまでも冷静で、そして無感情に見えたけど、必死でトラウマと戦っていたんだ。  顔を伏せて泣いているシマズのことが急に愛おしく思えて、マーニャは彼の頭に自分の頬を重ねてそっと彼の髪を撫でてやった。  しばらくシマズはそうやって泣いていたが、急に泣き止んで、むくりと起き上がった。 「傷の方はどうなんだ?」  いつものシマズに戻っていた。  マーニャは布団をめくると、シャツもめくって、彼がえぐった脇腹を見せた。  ちょうど今朝、ガーゼが取れたのだ。  そこには、生々しい傷跡が残っていた。 「傷は大丈夫です。すごく上手に切ってるってお医者さんが言ってました。でもお嫁に行けなくなりました。シマズさん、貰ってください。」 「いやだね。」  無表情でシマズが答えた。完全にいつものシマズに戻ったようだ。  マーニャはうふふと笑ったが、シマズは少し悲しそうな顔になってしまった。  悲しい顔の理由はすぐにわかった。 「今日は報告があって来たんだ。明日から、俺はB-65チームを離れることになった。」 「え?」 「俺はチーム活動には向いていないとカウンセリングの結果が出たんだよ。人事部預かりで単独で作業することになった。」 「そんなのダメですよ! あれは私の勝手な自爆です! シマズさんの責任は一切ないじゃないですか。」 「あの事故は俺の不行き届きによるものだ。君のせいでは決してない。俺も、君ともっと働きたかったけど、会社の方針じゃどうにもならん。」 「いやです…!! 私はシマズさんじゃないとダメです!」  マーニャはシマズにしがみつくと、子どものように声を出して泣いた。  シマズはそんなマーニャの背中にそっと手をあてて、耳元でこうささやいた。 「どうにかして俺は戻ってくるから。それまでしっかり腕を磨いていろ。忘れるな。君は君の直観に従って掘るんだ。余計な知恵はなしだ。いいね。」  マーニャは顔を両手で覆ったまま頷いた。シマズはポンと彼女の背中をたたくと、病室から出て行った。  2日後にマーニャは退院した。  退院後も大事を取って1週間休みになった。その間に、シマズの家を調べて訪問しようかととも思ったがしなかった。  お詫びを言いそびれていたあの麺類の店に謝りに行ったが、その時はシマズはいなかった。いつでもあの店にいるわけではない。当然だ。  マーニャは、シマズに会いたいのか会いたくないのか自分でもわからなかった。  休みの間も、J・Jが毎日様子を見に来てくれて、マーニャの新しいパートナーが既に配属されて採掘開始の準備をしていることなど教えてくれた。 「新しい相棒は、シマズと正反対の爽やかなエリート男子だよ。」  1週間後に久々に出社すると、みんなが復帰を歓迎してくれた。  新しいパートナーも紹介された。イシャンという名で、浅黒い肌に爽やかな笑顔の男性だった。 「噂のマーニャさんと組むことができて光栄です。」  ずいぶん先輩のはずのイシャンが言うので、マーニャは恐縮してしまった。 「私はまだ見習いですよ。」 「マーニャさん、入社してそろそろ6ヶ月でしょう?見習い卒業ですよ。」  イシャンとの仕事が開始するにあたり、マーニャは見習いから正式な採掘師となった。  最初のうちはイシャンが ≪腕≫ を担当していたが、すぐにマーニャと交代した。  イシャンは教科書のお手本のような人で、真面目に卒なく全ての仕事をこなした。  優れた技術を持っているのだが、彼の目標は実は管理職になることなのだとマーニャは打ち明けてもらっていた。  この会社では野心が丸出しの人は、なかなか昇進できないというジンクスがある。  自己アピールができないイシャンに変わり、マーニャが彼の管理能力は最高だと吹聴して回った。  特にローランには、彼の人徳を念入りに刷り込んだ。労働基準監督の評価が昇進に大きく影響するとの噂を聞いたからだ。  そんな調子でアッとゆう間に2年の月日が通り過ぎて行った。  マーニャはひたすら岩盤を掘り、自分らしく掘ることを追求していった。  マーニャの成績はぐんぐん伸びて、やがて2番手争いに食い込むようになった。  無論、成績のトップは常にシマズだった。あれからシマズには一度も会っていないが、こうして毎日彼の成績を見ることができた。  やはり超人的な成績だった。あの人は一人でこれをやっていいるんだ。  常に一歩先を行くシマズの存在がマーニャを励ましていた。私は私らしくやればいいんだ。シマズに最後に教えてもらったことをずっと守ってやっていた。  ある日、イシャンが興奮したキラキラした目をして、マーニャのところにやってきた。  タブレットの画面を見せながらこう言った。 「今朝、届いたんですよ! これ、見てください。昇進です! 僕は明日から主任の職につくことになりました!」  マーニャはタブレットを覗き込んで「主任」の文字を確認した。 「よかったじゃないですか! 私も嬉しい!!!」 「マーニャさんが優秀な成績を収めるだけでなく、ずっと私を推薦してくれてきたからです。感謝しても感謝しきれません!」 「私は本当のことを言って来ただけですよ。」  それを聞くと、イシャンは鼻の穴を膨らまして喜んだ。そして、マーニャをぎゅっと抱きしめた。 「そういえば、既に君のパートナーが配属されたらしいですよ。明日から早速来るって聞きましたけど。」 「それなら、もう来てるわよ。」  二人の会話を聞いていたフレアが割って入って来た。 「マシンの整備があるからって、今日からこっちに来てるわ。紹介したいから、乗車場に行きましょう。」  フレアに続いて乗車場に行くと、掘削機のエンジン音が場内に響いていた。  ドゥルルルルルン…  マーニャはその音に聞き覚えがあった。  頭で考えるより先に体が走りだしていた。  フレアとイシャンが顔を見合わせてにっこり微笑む。  ずらりと並んだ掘削機の前を駆けていくと、見えてきた。  マーニャが息を切らせて走っていく先に鎮座していたのは、見間違うわけのない、あの、≪セリオンの道化≫ だった。 「シマズさん!?」  マーニャが叫ぶと、マシンからシマズが降りてきた。  マーニャはシマズの胸の中に躊躇なく飛び込んだ。  二人はしばらくぎゅっと抱き合っていた。 「ごめん、戻って来るのにずいぶん時間がかかってしまった。」 「ずっと追いかけてました。あなたの後を。」 「成績、見てたよ。」  こうしてマーニャとシマズのコンビは復活した。  社内成績のトップを二人が独占し続けたことは言うまでもない。
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