ある森の小屋にて。

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 夕食は何にしようかしら、なんて考えながら、呑気に森を歩いている時だった。  山の天気は変わりやすいとは言うけれど、急な天候の変化に驚く間もなくたちまち大雨と強風が押し寄せ、しまいには雷まで鳴り始めたものだから、わたしは濡れた身体を引き摺って何とか近くのボロ小屋に身を潜める。 「ああもう、これじゃ夕食どころじゃないわね……いつになったら止むかしら」  今にも吹き飛んでしまいそうな木造の小屋は暗く、埃っぽい。  ここは森の休憩所的な場所で、わたしも随分前に使ったことがあるけれど、かなり古く近頃は人の手も入っていないのだろう。  居心地は悪かったけれど、この雨風を凌げるのなら今はそれだけでよかった。 「……誰か、居るか?」  ふと、誰かの窺うような声と共に、立て付けの悪い扉が少し開いた。外も中も暗いから、影になってしまってその姿は見えない。けれどその雨に紛れる声には、確かに聞き覚えがあった。 「え、あっ……この声、もしかしてクローリクさん?」 「先客が居たのか……悪い、邪魔する。雨が入るから閉めるぞ。……確かに俺はクローリクだけど、おまえは?」  扉が閉められ、お互い姿も見えない真っ暗な狭い小屋の中で、ふたりきり。わたしの心臓は雷よりもうるさく跳ねた。 「ええと、わたし、ランです……」 「……? 知らない名前だな……」 「ああっ、ですよねごめんなさい! クローリクさん、よく夕方に南の花畑に居ますよね? わたしもよくその辺りをお散歩してて、前からあなたのこと見掛けてて……つぶらな瞳が綺麗だなぁとか、頭はふわふわでどんな手触りなのかしらとか、耳の形が素敵とか……遠巻きに眺めてはいつもうっとりしてしまって」 「……」 「うう、一方的にあなたのこと知ってるなんて……ちょっと恥ずかしい。でもストーカーじゃないです、信じてください!」 「ああ、いや、そこまで思ってない。ただ、少しびっくりしただけだ」  優しい彼はフォローしてくれるけれど、わたしの熱量に間違いなくドン引きされている気がする。  それでも、偶然とはいえずっと気になっていたクローリクさんと同じ小屋の中に居ると思うだけで、この酷い嵐にも感謝したくなった。 「……あの、せっかくですし少しお話しませんか?」 「ああ……どうせしばらく雨も風も止まないだろうしな、構わない」 「ありがとうございます!」  姿が見えなくてよかった。彼と至近距離で見詰めあってしまったら、わたしはきっと耐えられない。 「えっと、お住まいはどちら?」 「南の……花畑と湖から少し行ったところの集落だ」 「まあ、だからいつも花畑に居るのね」 「ああ。妹を連れて良く遊びに行ってる。あいつのお気に入りなんだ」 「いつも一緒に居る子、妹さんだったのね……てっきり彼女さんかと」 「そんなんじゃない」  いつも遠くから見ていた原因のひとつ、彼といつも一緒に居た色白の小さな女の子。  その子が妹だとわかり、わたしのテンションはさらに上がった。 「そう、そうなのね……! ふふ、妹さん思いで素敵だわ」 「この森には狼が出るだろう、妹をひとりにさせておけないからな」  この森には昔からとても狂暴な狼が住んでいて、彼のご両親は、狼に食べられてしまったのだと言う。  わたしはずっと彼を見ていた。だから、彼が今どんな表情をしているのかも何と無くわかる。  恨みと憎しみと悲しみが入り交じった深く強い想いを抱えて、きっと泣きそうな顔をしている。  そんなに強い想いを向けられる狼が、少し羨ましいとさえ感じた。 「ランも気を付けるんだぞ。奴らは食欲のままに生き物を襲う獣だ……猟師のように銃でも扱えたら安心なんだがな」 「ふふ、大丈夫よ。狼だってきっと、食欲だけじゃないわ。同じ森に住む仲間だもの、こんな雨の日は雨宿りするだろうし、家族は大事にするだろうし、あなたと何も変わらないわよ」  嫉妬から、クローリクさんの強い想いを何とか落ち着かせようとしたわたしは説得するけれど、その言葉は逆効果だったらしい。彼は震える声で言葉を重ねた。 「そんなわけあるか。狼は野蛮で、凶悪で、俺たちを食料としか見ていない……!」 「クローリクさん……そんなことないわ、だって……」 「おまえに何がわかる!」  ビリビリと響く雷みたいに大きな声で怒鳴られて、思わず萎縮してしまう。  けれどクローリクさんもハッとしたようで、すぐに落ち着きを取り戻した声で謝ってくれた。失言をしてしまったのは明らかにわたしなのに、こんな風に優しい彼はやはり素敵だ。 「悪い、言いすぎた……」 「いいの、わたしこそごめんなさい……」  お互い謝り合って、どちらともなく笑い合う。それから、あの花畑に咲いている花の話や、森の奥の木の実がたくさん落ちている場所の話、集落での暮らしや彼自身のこと、そんな他愛のない話題で、穏やかな時間を過ごす。  それはわたしにとって奇跡のようで、尊い時間だった。  いつまでもこうしていたい。そう思っていると、不意に地響きのような音が小屋の中に響き渡る。 「……!」 「!? 今のは、なんだ……どこかで土砂崩れか!?」 「ご、ごめんなさい……違うの、今のはわたしの……」 「……もしかして、腹の音、か?」 「うう、はしたないわね……ごめんなさい。突然の嵐で、夕食を食べ損ねてしまったの……それで……」 「ははっ、それはしかたないな」
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