第3章 加害者の独白

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第3章 加害者の独白

あの話は私にとってタブーでした。H市児童転落事故。けれど、そろそろ時効かな、と思ったりしてしまって、授業で話しました。すると生徒のひとりがもっと知りたいと聞いてくれました。こんなこと言っていいのか分かりませんが、誰かに聞いて欲しかったのです。皆が勝手に捏造した事故について。それを話しましたが、推測と思ってくれるように最後は「命令されたのかも」と言いました。それは嘘です。意地悪だった人格、(すず)がやったのです。命令ではありませんでした。そもそも、いじめは涼が行っていたもので、クラスメイトは関係ありません。それに、心の弱い私が人を殺せる訳ないですし、その子のことを嫌う理由もありませんでした。涼が出ている間に起きたのです。私は弱い女の子でした。親に公務員になれと言われ教師になりました。教師にこれという思い入れもありませんでした。涼は邪魔だったのです。教師になる上では。そもそも、解離性同一性障害がとても邪魔でした。今は治療し、何とか完治しました。とても、とても生きやすいです。あの頃とは全く違います。あの涼は私にとっては別人です。けれど、傍から見れば同一人物です。私は噂を否定しました。すると皆、やはり、多重人格はただの厨二病か、早すぎるだろと流しました。それもそれで、辛かったですが、殺人犯になるよりもずっと楽だと思いました。もし私が殺人犯だと父にバレてしまったら、私が殺されかねないと危惧していたからです。毎日、怯えて過ごしました。警察が事件と気が付き、家に訪ねてこないか、友達に見てたよと言われ、脅されないか、などと。そんな不安とは裏腹に私はただの厨二病の少女としてクラスメイトに引かれる程度で小学校を卒業しました。中学校も市内の公立でしたので、やはり、厨二病と言われ少しばかり距離をとられました。殺人犯になるよりましだ、と自分に言い聞かせていましたが、辛かったです。少なくとも、私は。中学二年生になる頃、両親は離婚しました。理由は父から母へのDV、父から私への虐待でした。私は母へついて行きました。すると、すぐに私の様子がおかしいと気が付き、母が私を病院へ連れていったのです。そうしてそこで初めて解離性同一性障害という病名がつきました。診断書を学校にも提出しました。母は私に謝りました。「今まで辛い思いをさせてしまってごめんなさい。これからは辛い思いをさせないように努力するから。大丈夫だから…これからは、お母さんが守るから。」そう私に謝り、心の底から愛してくれた母が私は大好きです。私は環境に恵まれて、大学3年生の頃に、完治、というより寛解、の方が正しいでしょうか。涼も消えて、私だけで生きていけるようになりました。涼の事を私はずっと心の底から軽蔑しています。あの人殺しの涼を。だから消えて欲しかった。消えたことが素直に嬉しかったです。なぜなら私が何か見誤らない限り生徒を傷つけなくて済むからです。それでも、傍から見れば人殺し。私はこの話を墓まで持って行くつもりです。教師として定年まで働き、ただ一人で静かに死にたいです。涼が殺したのであろうと私の手は人殺しの穢れた手。例えば結婚して、子供が生まれたとします。その子供を撫でる手がそんな手であっていいのでしょうか。なので私はひとりで死にたいです。涼を消すのがひとりよがりな罪滅ぼしのひとつだとして、最後のひとりよがりな罪滅ぼしは私が死ぬことだと、わかっている。
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