名前をつけられない関係。

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名前をつけられない関係。

 僕たちの関係がもう修復しようがないと気付いたのはあの日。  夏休み中だったのか、夏休み前だったのかよく覚えてないけれど、乗ろうとしたエレベーターに晴翔の姿を見つけた時。  最近は会っても挨拶を交わす程度だったため油断していたのかもしれない。  挨拶を交わしてすれ違うだけの関係。  それはそれで苦痛にならない距離感だったけど、密室に2人は流石に気分は良くない。  どうしようかと迷い足が止まる。  しばらくの沈黙の後、ドアが閉まりそうになり晴翔がそれを防ぐためにボタンを押した。 「乗る?」  その一言に、鳥肌が立った気がした。  同じ空間にいたくない、密室で2人になりたくない。そう思ったら自然と口から拒絶の言葉が出る。 「あ、大丈夫。  買い物するの忘れてたから」  僕の手にはエコバッグが握られていて、どう見ても買い物帰りなのだけど自然に出てきた言葉。それだけ言って晴翔に背を向けてコンビニに向かう。  明日の朝食用にパンをひとつでも買えば嘘は嘘じゃなくなる。  エレベーターのドアが閉まる時に「チッ、」と舌打ちが聞こえたような気がしたけれど、そんなマイナスの感情を向けられても何とも思わなかった。  これが晴翔とした最後の会話らしい会話。  あれほど気にしていた晴翔のことが本当にどうでも良くなってしまった。きっともう、僕と晴翔の気持ちが重なる事はない。  とにかく第一志望の大学に入るために夏期講習を受け、空いた時間は勉強に費やす。  晴翔の動向は遊星からのメッセージで把握しているけれど、気紛れに予定外の行動を起こすのか時折登校時間が被ってしまう。今までそんな事なかったのに、と不思議に思ったら夏の大会が終わり部活は引退したらしい。  後ろ姿を見かけたら歩く速度を遅くしたし、運悪くエントランスで鉢合わせしてしまった時には「おはよう」と挨拶を交わすけれど、晴翔は足速に駅に向かうし僕は歩く速度を遅くするため肩を並べることもない。 《晴翔が朝会ったって言ってるけど、大丈夫だった?》  遊星からのメッセージに〈エントランスで鉢合わせ〉〈挨拶しただけだし、大丈夫〉と返して少しだけ気持ちが沈む。遊星はこんなふうに晴翔のことも気遣っているのだろう。  僕と晴翔の関係は〈幼馴染〉から〈恋人〉となったはずだったけれど、何も告げられぬまま離れた関係は何と名づければいいのだろう?  幼馴染  恋人  友人  同級生  呼び方なんて正直どうでもいいけれど、僕がこの地を離れればそんな関係も気にする必要はなくなる。  恋人なんかじゃない。  友人でもない。  幼馴染、同級生、どちらも間違いではないけれど、幼馴染と言うには離れすぎてしまった関係は〈同級生〉がしっくりくるのかもしれない。  同じ学年にいるだけのその他大勢。  同じ学年だから一括りになるだけの希薄な存在。    同じ同級生なのに遊星とは付かず離れずのぬるい関係が続いている。  以前は業務連絡のようなメッセージばかりだったけれど、最近では雑談のようなメッセージを交わすこともある。 《テスト、どうだった?》 〈それなりに〉 〈でも数学、ミスしたかも〉 〈遊星は?〉  聞かれたことに答え、その返事を待つ。 《テスト週間の時、同じ電車に乗るの密かに楽しみにしてたのに》  そんなふうに送られたメッセージには〈子守、お疲れ様です〉と送っておく。晴翔が僕のことを無視して遊星と過ごしているのは中学の頃からの同級生の間では共通の認識だ。 「晴翔の子守り、遊星貧乏くじ引いたよね」 「オレら、郁哉と同じクラスで良かった」 「でもまぁ、郁哉は振り回されてたけど遊星なら大丈夫じゃない?」 「晴翔の方が振り回されてたりしてね」 「郁哉もずっと子守してたんだから苦労したでしょ?」  僕が晴翔に庇護されて守ってもらっていたと思っていたけれど、周りの認識は少し違っていたようだ。  この地を離れると決めてからこんなふうに同級生と過ごす時間が来るなんて、と複雑な思いもあるけれど進路を変えると言う僕に周りからは賛成の声しか聞こえない。 「郁哉はもっと、自分のことを客観的に見る方がいいよ」  晴翔に頼り切って、晴翔に守られていたと思っていた僕は少しずつ周りに目を向け、自分のことを見つめ直していく。  あれほど怖かった〈可愛がり〉だけど、今考えればもっと対処のしようがあったかもしれない。守られているから大丈夫だとその環境に甘んじていたけれど、自分で対処する術だって本当はあったはずだ。  遊星は晴翔がそう仕向けたと言ったけれど、その境遇を受け入れたのは僕自身なのだから晴翔に対する感謝の気持ちがなくなることはないけれど、感謝と共に感じていた後ろめたさや罪悪感を感じることはもうない。  晴翔の進路を変えてしまったと申し訳なく思っていたけれど、最終的に選んだのは晴翔だし、周りの話を聞いていると晴翔の言った言葉には嘘が混じっていた事にも今更ながらに気付かされる。 「晴翔と郁哉って同じマンションだったから仲良かったけど、それが無ければ仲良くならなかったんじゃない?  全然タイプ違うもんな」  この一言が僕たちの全てを物語っていたのかもしれない。  夏も秋も、行事ごとには一応参加するものの、基本的に受け身な僕は言われた仕事をこなすもののそれ以上でもそれ以下でもない。  それでも何かあるごとに一緒に過ごす友人ができた事でそれなりに充実した毎日を過ごしている。  日に日に寒さが増してくれば受験への緊張は高まるし、中には推薦で一足先に進路を決める奴も出てくる。  冬休みは「郁哉の代わりに初詣に行ってくるね。合格祈願、してくるから」と言った母がお守りを買ってきてくれる。  近くの氏神様にはお参りに行ったけれど、毎年家族で行っていた大きな神社は人が多すぎるからと今年は不参加で、お土産に買ってきてくれた屋台の食べ物は冷めていたけれど、初詣に行った気分を味わうことができて勉強に向かう僕を少しだけリラックスさせてくれた。    来年の今頃はこの地を離れ、親元も離れいるからあの神社に行くことはもうないのだろうな、と少し感傷的になったのは僕だけの秘密。  そんな中で遊星とのメッセージのやり取りは緊張しすぎている僕を少しだけ緩ませる。 《共通テスト、どうだった?》 〈それなりに〉 《何校受けるんだっけ?》 〈3校かな〉 《オレ、2校》 〈頑張ってね〉 《郁哉もね》  他愛もないやり取りに緊張が緩む。  緊張感を持つことは大切だけど、緊張し過ぎるのも良くないだろう。 《明日、頑張れよ》 〈遊星もね〉  試験の日にちは重なったり、重ならなかったりしたけれど、僕の本命の学校の試験の前日にはそんなメッセージをくれた。    離れた街の大学を受けるからと2日ほど前にはホテルに入ったせいで緊張はしているものの手持ち無沙汰だった僕は、そのメッセージに自分の顔が綻ぶのを自覚する。遊星がどこを受けたか聞いてくれないせいでどこの街にいるとも、どこの大学を受けるとも言っていない。どのみち、あの街から離れてしまえば縁も切れてしまうのだろう。  卒業式にはまだ合否が出ていないからどこを受けたのか、どうだったのかを知る事がないまま会えなくなるのだろう。  少しだけ縮まった距離はそれ以上近づくこともなく、物理的にも離れてしまうことになる。 《卒業式の前の日、出かけない?》  そうメッセージが来たのはお互いの試験が全て終わった日。  お互いにお疲れ様とメッセージを交わし、何となく僕が行った街の話になる。どこなのかと聞かれればきっと話せたのだけど、この頃にはお互いに聞かないこと、言わないことが正解なのだと思っていたような気がする。特定できそうな質問や答えはお互いに避けていたのはきっと気のせいじゃない。  だけど、晴翔が遊星と過ごしたように僕も遊星と2人で過ごしたいと思ってしまったのは…僕の中に芽生えた小さな想い。  遊星と2人で過ごしたのはあの公園で話した時だけ。卒業式の日には僕は〈友人〉と過ごすのだろうし、遊星は晴翔たちと過ごすはずだ。  進路が決まればすぐにでも引っ越すつもりだから2人で過ごすチャンスはもうないだろう。  本当は、弱音を吐きたくて電話をかけたいと思った時もあった。誰かに本音を聞いてほしい、晴翔との関係を知っている遊星にしか話せないことを聞いてほしい。そんなふうに思った時もあったけれど、遊星の貴重な時間をこれ以上邪魔したくなくて我慢した。  名前をつけることのできない【同級生】では少し淋しくて、【友人】と言うのは烏滸がましい関係。 〈どこに?〉  悩んで悩んでやっと送った可愛くない一言。嬉しいけれど素直にそれを伝えることはできない関係。 《どこでもいいけど、水族館とか?》 〈行きたいかも〉  素直に〈行きたい〉と言わないのは気持ちが加速しないように自制したから。  中学の頃にバスで行った水族館はきっと僕に素敵な思い出を残してくれるだろう。
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