スィートアリッサム

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 たけしのお母さんは家を出ていった。お父さんは無口で、お母さんと会話がなかった。お母さんはうんざりしたのだ。たけしはお父さんとの会話のない生活を我慢していた。 むしゃくしゃして学校に行くと、どうしても同級生と上手くいかない。今日も女子にやり込められた。お母さんのこともあるから、女子が大嫌いだ。 その日もむかついて下校したら、五年生の男子が前を歩いていた。見たことはあるし、名前はヒロシだ。足が半ズボンからスラっと伸びている。背中のランドセルが小さい。たけしは気まぐれで彼のあとをつけてみた。 ヒロシは道の端で立止まって座り込んだ。花を摘んでいる。道端でそっと咲くかわいい花。白い小さな花びらが威張ることなく、摘まれる運命を待っていた。ヒロシは優しい手つきでそっと摘み取ると、それを大事そうに手の中に収めてまた歩きだした。 たけしはむかついた。花好きだったお母さんを思い出したのだ。黙って、ヒロシの後ろをついていくと、ある家に着いた。 ヒロシは、家の玄関にランドセルと花をそっとおき庭に回っていった。どうやら洗濯ものを取り込んでいるらしい。 たけしは素早く玄関に近づき、ヒロシが大事に摘んできた花をむんずと掴んで地面に叩きつけ、足で踏みにじった。 すぐに逃げた。その間わずか十五秒、ヒロシは全く気付くこともなかった。 それから数日たったある日、毎日見かけていたヒロシの姿がみえなかった。たけしは一学年上のクラスを覗いてみた。ヒロシは妹が熱を出したから休んだようだ。 たけしは、なんとなく気になって、学校が終わってから先日つけていって知ったヒロシの家に行ってみた。 庭からのぞいてみると、縁側続きの部屋にいるヒロシをみつけた。幼稚園生くらいの女の子と一緒だ。その子は額に冷却ジェルを貼り付けている。 「お兄ちゃん、学校お休みしたの。マユミのせいでごめんね」 「大丈夫だよ、夕飯一緒に食べような」 「うん!」 たけしは思った。お母さんはいないのか?どうして兄と妹だけなのだろうか? 「お兄ちゃん、お母さんはいつ帰るの?」 「お母さんはもうこの家の人じゃない。忘れるんだ!」 「でも!」 「お父さんだけいればいいだろう!」 「え~ん!」 たけしはやっと合点がいった。この家もお母さんが出ていったんだ。たけしは、俺の家と同じだと思った。この間摘んでいた花は、妹にあげようとしたんだ。踏んづけたりして悪かった。たけしは重い足をひきずるようにして、会話のない自分の家に帰った。 ヒロシは、妹のマユミを喜ばせようとよく道ばたの花を摘んで帰った。花図鑑を広げて、花言葉がなにかを探すのが兄妹の楽しみなのだ。先日、摘んで帰った花は誰かがぐちゃぐちゃに踏みつけてしまったので、なんという花だったのか分からなかった。道に一輪だけ咲いていたので、また、みつけることができなかったのだ。 「いやなことをするやつもいるもんだ」 ヒロシのお母さんは家出してしまった。お父さんがお仕事ばかりで寂しかったのだ。だからお母さんは自分がこの家に必要じゃないと思った。お父さんはいつも遅い。今日も妹と二人で夕飯を食べる。 それから数日後、ヒロシが学校から帰ってくると玄関にバラの花が置いてあった。キツネにつままれた気分だったが、ヒロシはそのバラを持って幼稚園にマユミを迎えにいった。 「マユミが喜ぶな」ちょっとうきうきした。 すると、突然、立派な庭からお爺さんが飛び出してきた。 「こら! お前がバラを盗んだんだな!」 「え!僕じゃないです!このバラは玄関に置いてあって……」 「間違いなくうちのバラだ!」 ヒロシはお爺さんに頭を叩かれて、バラを取り上げられてしまった。 翌日も、百合が玄関に置いてあったが、ヒロシはすぐに庭に埋めてしまった。 しかし、次の日は、みたらし団子がドアノブにかかっていた。変だと思ったが、みたらし団子があまりにもおいしそうだったのでマユミと食べてしまった。 「お兄ちゃん! 美味しいねえ」 「美味しいなあ、誰がくれたのかな」 と、その時、珍しいことにお父さんが手土産を持って帰ってきた。それはみたらし団子だった。兄妹はお腹いっぱいで食べられない。お父さんは怒ってしまった。 ヒロシは真剣に考えた。これは、犯人を掴まえて対決しないといけない。 ヒロシは、翌日、学校から飛んで帰ってくると、玄関にはまだなにもなかった。じっと身動きせずに物陰で隠れていると、顔を見たことがある少年が花を持ってやってきた。 「こら! お前! 四年のたけしだな! 一体どういうつもりで花や団子を持ってきた!」 「あ!」 たけしは逃げようとしたが、体が大きいヒロシにすぐつかまってしまった。ヒロシがたけしのえりをつかんで振り向かせると、たけしは大きな目を見開いている。目に涙が盛り上がっていた。 「ごめんなさい」 「理由を言え!」 「ヒロシ君が摘んだ花を踏んづけたから悪いと思って……」 「お前だったのか!なぜあんなことした!」 「お母さんにあげるのかと思って腹が立った」 「え?」 「うちも離婚したんだ」 「お前もお母さんに置いていかれたのか」 「うん」 ヒロシがふと見ると、あの日、たけしが踏みつけた花と同じ花が握られていた。 「その花……」 「うん、探したんだ。やっと見つけた。スィートアリッサム」 「いい花だ」 「うん、花言葉は『美しさに優る価値』だ」 ヒロシがたけしからその花を受け取り、にこりとした。 「たけし、一緒に夕飯食べないか?」 「え?いいの?」 ヒロシがまた、にこりとした。 たけしは嬉しくなった。心から笑ったのは久しぶりだった。
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