62人が本棚に入れています
本棚に追加
「まだだよ、シリル。まずは荷物を部屋に置いて……」
少年は、ロランが全てを言い終わらないうちに、パチンと小さい音を残して姿を消した。
「おいてきたよ!」
声とともにシリルが再び姿を現したときには、手にしていた荷物は消えていた。
「僕、先に行ってるね!」
そう言うや否やシリルは再び姿を消し、次の瞬間には、はるか向こうの通りを市場の方に向かって走り出していた。ほんの一瞬、瞬きするくらいの間の出来事だった。
「こら、待て! シリル!」
ロランが叫んだときにはもうシリルの姿は見えなくなっていた。
ロランはため息をついた。
あの調子じゃ、舞い上がったシリルが街中で何をしでかすかわかったもんじゃない。
「まったく……」
「あら、驚いたねぇ」
背後から女将の声が聞こえ、ロランに緊張が走った。
目の前で人が姿を消したり、現れたりするなど、そんな普通じゃないものを見せられたときの反応はだいたい想像がつく。
「あんたたち、魔法が使えるのかい?」
しかし、女将の表情にはロランが想像したような畏怖や驚きといったものはなかった。
「あんな小さい子まで、すごいねぇ。この辺りには魔法使いなんていないから、珍しいね。首都から来たのかい?」
「女将さん、魔法をご存知なんですね」
「昔、ある魔法使いに世話になったことがあってね。それに、こんな商売してるとアンタたちみたいな旅の人も時々いるんだよ」
「そうですか」
中央では珍しくない魔法だが、地方では魔法や魔法使いへの認知度も低く畏怖の対象となることも多い。
騒ぎにならなかったことに安堵する。
「ロマネアを楽しんでいくといいよ」
「ありがとうございます、女将さん。申し訳ありませんが、今見たことは忘れてください」
ロランの手がふわりと上がった。
女将が気付いたときには、その場からロランの姿は消えていた。
「ーーあらまあ。慌ただしい兄弟だこと」
女将の記憶から、魔法の部分だけが完全に消え去っていた。
最初のコメントを投稿しよう!