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夫の浮気相手
私は、その言葉に耳を澄ませる。
「いいよ。俺は……」
「じゃあ……」
私がゆっくりと顔をあげると陽人と【栄野田コウキ】がキスをし始めていた。
「コウキ……触って」
「陽人、もうそんなに求めてくれんの?」
「当たり前だろ。トイレ行こうか……」
「ゴミは、捨てなきゃだな」
二人の会話を聞きながら、涙が溢れてくるのを止められない。
浮気をされていた事実よりも、陽人が私以外を激しく求めている事が悲しくて堪らない。
二人は、公園内のトイレに入っていく。
これ以上、見ては行けないのをわかっていながらも私は二人についていく。
スマホを取り出し動画の録音開始ボタンを押して歩き出す。
男子トイレの個室に入っていく二人を確認してから、私も隣の個室に入る。
便器の上に立ちながら、どうにか手を伸ばし二人を撮影した。
内側のカメラで撮影しながら確認すると何とか映像が撮れているのがわかる。
集中している二人は、お互いの顔しか見ていない。
こちらに気づく事はない。
二人は、互いのスーツを脱がしていく。
「陽人……。ずっと好きだったよ。結婚した時は、本当に頭がおかしくなると思ったんだ」
「コウキ……。ヤバいって……」
「陽人。何で、俺の気持ち受け取ってくれたの?」
「それは……。浮気相手が男だって妻は想像しないだろうなって思ったから……だよ」
「そんな理由でも嬉しいよ。だって、俺。陽人とずっとこうしたかったから……」
「何だよ、それ。それじゃあ、本当に愛してるみたいじゃん」
「愛してるよ、陽人。愛してる」
二人のやり取りに、吐き気と眩暈が襲ってくる。
陽人が今愛し合っているのは、私ではない事実に困惑する。
この吐息や囁きを浴びせているのも、私ではない。
僅か、15分にも満たない行為を聞いてるのが苦痛だった。
「はぁ、はぁ」
私は、手を引いてスマホを引き寄せた。
「コウキ、マジで俺を愛してるの?」
「ばぁーか。うんなわけないだろう。演出に決まってんだろ。それぐらい分かれよ」
「だよな。わかってるって。でも、嫁にバレない関係って楽だよな。俺さ、金払ってまでしたくないんだよな。だけど、たまっちゃうだろ?で、嫁をってなったらうわーーって寒気するわけよ」
「わかるよ。俺も同じだから……」
「だけどさ、ワガママだと思わない?もう、一人出来てんだから充分だろってな」
「そうだよな。俺の所なんかお金あるわけだろ?だったら、俺との子供じゃなくたって」
「わかるよ。あっ、ヤバい。仕事遅刻するわ」
「本当だ。行こうか……」
バタバタと二人は、慌ててトイレを出て行く。
私は、グシャグシャに潰れた紙袋を拾い上げた。
撮影に必死で、トイレの床に放置した、タマゴサンドとカフェオレ。
今の私に似ている気がして袋を開ける。
時間が経って温もりを失ったカフェオレは、私と陽人の愛のようだ。
どうして、愛する人との子供が欲しいと思う事が【ワガママ】なのだろうか?
どうして、愛する人に抱かれたいと思う行為に寒気を感じられなきゃいけないのだろうか?
私達は、紙切れ一枚で家族になった。
だけど……。
私達は、元々他人だったじゃない。
タマゴサンドを頬張りながら、私は泣いていた。
「う、ぅ、ぅ、うわーーーー」
許せないのは、陽人だけじゃない。
どうせなら、浮気相手も地獄に突き落としてやる。
冷めたカフェオレを飲み干して、立ち上がる。
泣き寝入りなんか絶対にしない。
陽人を地獄に突き落とせるなら、私は何だってやる。
公園のゴミ箱に、ゴミを捨てながら決意していた。
ピッ……。
動画を止めて、検索する。
【栄野田】という名字の珍しさに違和感を感じていた。
そして、さっき【栄野田コウキ】が言った「お金がある」って言葉に、気づいてしまった。
この街で【栄野田】を知らない人間などいない。
私は、迷う事なく歩き出す。
それは、この街で一番高いビルに存在している場所。
「社長と、アポをとっていますでしょうか?」
「いえ」
「でしたら、お会いするのは難しいと思います。それと本日は、7時から開いていますがいつもはこの時間には開いていないんです」
いつもは、9時に開いている会社が今日はタイミングよく7時に開いていた。
だけど【栄野田】グループの社長になど会えるはずはない。
「わかりました。失礼します」
現実は、甘くなかった。
「それじゃあ、後はよろしくね。今日は、八時には……ちょっと待って」
通りすがる私を女の人が見つめてくる。
彼女は、お人形のように綺麗な顔をしている。
こんな顔なら、私も陽人に愛されていたのかな?
「待って……」
私は、彼女に腕を掴まれた。
「こんな時間に業者ではないのは、わかってるわ。あなた、夫の不倫相手でしょ?」
「えっ……あっ……」
その言葉にこの人が【栄野田コウキ】の奥さんなんだとわかる。
私……こんなに綺麗な人を巻き込もうとしていたんだ。
最低。
母親になったのに、私は他人を平気で傷つけようとしている。
私がつけられた傷を彼女にもつけようとするなんて……。
最低。
「ち……違います」
「嘘をつかなくてもいいわ。慰謝料をとりにでもきたの?それとも、赤ちゃんが出来たとか?」
その眼差しは氷のように冷たく、彼女の笑顔はひきつっていた。
私が話す言葉によっては、信じている【愛】が壊れるとわかっている顔をしている。
落胆、悲しみ、苛立ち、恐怖。
重なりあったなんとも言えない表情。
それでも、しっかりしなくちゃと自分に言い聞かせている目。
僅か、数秒で彼女の顔色はどんどん変わる。
「あの、いくら払えば夫と別れてくれる?」
「お金じゃありません」
「だったら、何が必要なの?」
「私に……。私に、協力して下さい」
彼女は、私の言葉に不思議なものをみるような眼差しを向けてくる。
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