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薔薇の花
「す、すみません。忘れて下さい」
「待って!社長室で話をしましょう」
彼女は、私の腕を引いて社長室に連れて行く。
社長室は、このビルの最上階だった。
私は、とんでもないお金持ちに会いに来たのだ。
「コーヒーがいいかしら?それとも、紅茶?」
「薔薇……」
立ち上がって、デスクに向かった彼女の机の上に一輪の真っ赤な薔薇が飾ってあるのが見える。
「あーー、これ?好きなの。世界で一番、好きな花なのよ」
「そうですか……」
「私みたいだって、よく言われた事があるから」
「えっ……?」
「綺麗だけど、君は本当にトゲがあるねって。まるで、薔薇みたいだねって……。いつかそのトゲを全部なくしてくれる人に出会えればいいのにって」
「それって……」
「昔、好きだった男に言われたのよ。夫じゃないわ。彼は、もう死んじゃったわ。ようやく、トゲがなくなってきたのよ、最近……」
彼女の言葉に、ゴクリと唾を飲み込む。
彼女は、夫を愛している。
私は、そんな彼女に協力させようとしている事を恥じた。
「自己紹介をしていなかったわね。私は、栄野田夕貴よ。あなたは?」
「私は、山波しほりです」
「しほりさんでいいかしら?」
「はい」
「で、私に協力して欲しい事って何かしら?あっ、その前に飲み物を……」
「い、いりません」
さっきの動画を本当に彼女に見せていいのだろうか?
私は、どうしようか迷いながらポケットに手を入れた。
「や、やっぱり。いいです。大丈夫です。忘れて下さい」
駄目……こんな綺麗な人を巻き込んじゃ。
私の中の僅かに残った良心が、彼女に協力してもらう事はよくない事だと訴えていた。
「しほりさん、大丈夫そうな顔してないでしょ?」
彼女は、近くに置いている鞄からハンカチを取り出して渡してくれる。
「しほりさんが見たものを私にも見せてもらえる?」
彼女の眼差しに嘘はつけないと感じる。
ポケットからスマホを取り出し、アルバムから動画を選択して再生して彼女に見せる。
さっきの映像の音声が社長室に響き渡る。
「音量……大きかったですね」
「大丈夫よ。防音性はいいから」
彼女の目が、動画に釘付けになる。
そして私が見た光景を全て見届けた彼女は口を開く。
「陽人というのは、しほりさんのご主人?」
私は、ゆっくりと頷く。
「そう。夫は、男と不倫しているって事ね」
「すみません。見たくなかったですよね」
「ううん。何か納得できたから……」
「えっ?」
「私は、愛されていないのがわかったから……」
彼女の言葉に私は、返す言葉を見つけられない。
「夫は、私のお金も美しさもいらないと言ったの。君は、ただの人だからって……。当たり前よね。初めから、愛していないのだから、そんな適当な言葉が言えるのよね」
「そんな事、ありません。そんな事……」
「しほりさんが、泣かなくてもいいのよ。私も、もっと強く言えればよかったわね。でもね、何でかな……。ごめんなさい」
強くて綺麗だと思っていた彼女は、ポロポロと涙を流し始めた。
夫を愛しているからこそ、傷ついたのだ。
私は、自分と同じ痛みを彼女につけてしまった。
「ごめんなさい。私でよければ、協力するわ!お金がかかる事も何だって……。夫を地獄に突き落とせるなら何だってやるわ」
彼女は、涙を拭って私をしっかりと見据える。
「私が言いにこなければ、こんな思いをしなくてすんだんですよね。本当にごめんなさい」
「何言ってるのよ。しほりさんが来なくても、いずれやってきたわよ。こんな場所で、堂々としてるような二人なら今日じゃなくても……いつか」
「でも、私のせいで早く訪れてしまったのは事実です」
「しほりさんも悔しくて悲しくて傷ついたから、私に会いに来たんでしょ?」
彼女の言葉に胃の中に流し込んだ冷めたカフェオレが逆流してくるのを感じる。
そうだった。
私は、あの時誓ったんだ。
どんな事をしても、陽人を地獄に突き落とすと……。
「許せない。私は、私の気持ちを踏みにじった夫が許せない。不倫をするだけじゃなく。夫は、私に「家族とはしない」と言ったんです。確かに、私は夫と家族になりたかった。だけど……二度とそうならないとは誓った覚えはないんです」
涙が頬を流れ落ちる。
彼女は、私の手を優しく握りしめてくれる。
「棘は、もう全部抜け落ちたように思えていたけど、僅かに私の中に残っているのを感じる。私も、しほりさんと同じ。私の気持ちを踏みにじった夫を許せない。家族なら、何をしても許されるわけじゃない」
私が、さっき冷めたカフェオレに誓ったように……。
彼女もまた机の上にある薔薇の花に誓っているようだ。
【家族】という言葉で、私達は傷つけてもいい対象にされた。
何をしても許される対象にされてた。
でも、違う。
【家族】は、何をやってもいい【存在】ではない。
【家族】は、平気で傷つけていい【存在】ではない。
「しほりさん」
「夕貴さんって呼んでもいいですか?」
「もちろんよ」
「どうかお願いします。夫を地獄に突き落とすのを手伝って下さい」
「わかってるわ」
「どれだけ時間がかかってもいい。私と夕貴さんがつけられた傷を……。あの二人にも……」
「そのつもりよ」
彼女は、私を抱き締めてくれる。
こんな風に誰かに優しく抱き締められるのは、久々だった。
私は、彼女の背中にゆっくりと手を回す。
「一緒に頑張りましょう」
「はい」
コンコンーー
扉をノックする音が聞こえて、私達は離れた。
「何かしら?」
「すみません。もうすぐ到着するそうです」
「わかったわ。すぐに行くわ」
「わかりました」
扉越しに会話が終わる。
「私、帰ります」
「待って、連絡先を交換しましょう」
「はい」
私は彼女と、連絡先を交換する。
「これ使って……」
「えっ?」
「現金で、今すぐに渡せるのは30万しかなくてごめんなさい。だけど、必要なものがあるでしょ?」
「必要なものですか……」
「部屋に盗聴器をしかけるとか、録音機を買うとか……」
彼女に言われて、証拠を集めなくちゃならない事に気づいた。
「何でもするって言ったでしょ。はい。後で、お金を持たせるから……。本当は、私が行きたいんだけど。一週間は、忙しくてごめんなさい」
「お金は、これで大丈夫です。私も、私に出来る事をやります」
「じゃあ、一週間後にまたここに来てくれるかしら?」
「はい」
「その時に、報告し合いましょう」
「わかりました」
私と彼女は、立ち上がる。
彼女から渡されたお金を財布にしまった。
これから、私達が進む道は無傷ではいられない道。
「しほりさん、また会いましょう」
「はい。では、また」
彼女に頭を下げて部屋を出る。
さっきとは違い胸を張って堂々と歩く。
さっきまでの惨めな私ではもうない。
今の私には、戦友という名の友がいる。
彼女と私は、同じ復讐を目的に、戦う同士!
私は、彼女から渡されたお金で盗聴器を買いに行こうと決めた。
それは……寝室で、夫が繰り広げる会話を知る為……。
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