1章.落ちぶれ悪魔、拾われる

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1章.落ちぶれ悪魔、拾われる

 わたくしはまさに今、夜の街を彷徨っておりました。運の悪いことに、今日は冷たい雨の降る日でした。  雨降る夜道を傘も差さず、裸足に薄いワンピース一枚でとぼとぼ歩くわたくしは、それはそれは異様に見えたことでしょう。  経緯を一つ一つ説明しますと長すぎますので、端的にお話しします。  有り体に言いますと、わたくしは夢魔――サキュバスと呼ばれる存在でございます。  人間の男たちを色香で惑わし、籠絡し、その精気を糧にするというわたくしたちの生態は、人間界でも有名であると聞き及びます。しかし、わたくしは生まれてこの方、人間の精気を味わったことがないのです。そんな存在、もはやサキュバスとは呼べません。わたくしはサキュバスを名乗ることもおこがましい、出来損ないなのです。  ことさらに、魔界でのサキュバスの価値は『籠絡した人間の数がいかに多く、いかにその質が良いか』によって判断されます。わたくしの生まれはそれなりに上位の家系ですが、実力主義のこの界隈ではそんなものも通用しません。  落第生のわたくしは、家名に泥を塗るだけの存在として家族から見限られ、さらに魔界からも追い出されてしまったのです。 『追放処分を撤回して欲しければ、一人でも多くの人間の男の精気を吸ってこい』  ──という、一応は猶予付きの追放ではあるのですが。 「どうしたのかしら、あの子。あんな薄着で……」 「どーせ彼氏に追い出されでもしたんだろ。無視しろ、無視」  ……そんな声がちらほら聞こえてくる度に、胸が軋むようでした。  ええ、今のわたくしを見て煽られる方はまずいないでしょう。むしろ、みすぼらしいことこの上ないでしょう。  それでも最初はなんとか気のよさそうな男性を誘惑できないかと努力はしてみました。ですが、ほとんどの方はわたくしを蔑んで去って行きました。一人だけ同情して温かい飲み物をくれた方はいらっしゃったのですが。  そんなこんなで、わたくしは疲労困憊しておりました。  どんなに努力しても男性一人捕まえられないのです。行為どころかキスにすらありつくこともできず、無一文でご飯を買うこともできません。 「……はあ」  わたくしの吐いた息は白く昇っていきました。儚く消えた吐息の先に、夜空は見えません。私の好きな星も見えません。なにしろ、雨雲しかないもので。  ……いえ、どちらにせよ、この街では星の光なんて拝めやしないでしょう。この街の眩さを前にすれば、星明かりは負けてしまうのです。まるで私のようです。  仲間たちは人間の男をアクセサリーのように扱い、きらきら輝くことができます。そんな中では、わたくしの輝きなどちっぽけなものです。  いいえ、そもそもなんの取り柄もないわたくしに輝きなんてありませんから、この喩えはお星様にも失礼です。 「お姉さん、お姉さん」  ぼんやりと空を見上げていたわたくしを呼ぶ声がありました。  振り向けば、そこには二人の男性がいます。わたくしが声をかけた人たちとは明らかに毛色の違う、何だか胸がざわざわするような心地の悪さを感じる人たちです。 「彼氏に振られたの? よければ俺たちと飲まない?」  ああ、これが仲間たちの話していた『(しつ)の悪い人間』ですか。わたくしはすぐに分かりました。  質の悪い精気というものは、下位のサキュバスでも手っ取り早く捕まえられるものなのです。喩えるならば、あまり美味しくない安価なインスタント食品といったところでしょうか。  けれど、今のわたくしは選り好みなどしていられません。魔界から追放されてなにも口にしていないわたくしは、空腹も限界レベルに近付いておりました。 「……ええ」  いいですよ、と続けようとした、その時でした。 「こら! 駄目じゃないか!」  間に割って入るように、別の男性の声がしました。 「こんなところほっつき歩いて! ほら、早く帰るよ」  声の主は、今のわたくしほどではないにしても、そこそこだらしのない身なりをしておりました。  顔が隠れるほどぼさぼさな髪の毛に、くたびれたスーツ、コンビニ袋、骨が一カ所折れたビニール傘――顔つきもそこまで若いとは言えない、包み隠さず言うならば、怪しい男性でした。  怪しい男性はわたくしの手首を掴むと、強引にわたくしを引っ張って歩き出しました。 「え、ちょっと……!」 「いいから、話を合わせて」  わたくしが物申すのを遮って、男性は小さくわたくしに言いました。  わたくしはその男性に連れられるまま、暫く夜の街をじぐざぐに進んでいきました。
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