36. 奪われていた記憶

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36. 奪われていた記憶

 アイリスが、いつかセシリアとのお茶会で聞いた話を思い出す。  ──実は、我が侯爵家は魔法使いの末裔らしいのです    セシリアは、少し誇らしげにそんなことを言っていた。  魔道具に捧げる魔力があったということは、魔法使いの家系であるのは本当なのかもしれない。 「でも、セシリア様はイーサン殿下のことが好きなはずなのに、なぜ呪いなんて……」  普通、好きな人に呪いなど掛けるだろうか。  意味が分からず首を傾げていると、精霊王がイーサンに尋ねた。 「呪いを解きたいか? 解けばどのような改竄がなされたか分かるはずだ」  精霊王の問いにイーサンが力強くうなずく。 「はい、もちろんです。もう一度、解呪をお願いできるでしょうか」 「分かった」  精霊王が再びイーサンの額を手で覆い、七色の霊力を放つ。  今度は先ほどよりも早く解呪できたようだったが、イーサンは目眩を起こしたようにふらついて頭に手を当てた。 「ああ……そうだった、セシリア嬢には婚約を断ったはずだったんだ……」  精霊王によって呪いが解かれたおかげで、イーサンの失われた記憶が蘇る。  思い出したのは、12歳の頃、花祭りを間近に控えた頃の出来事だった。 『イーサン殿下、婚約者選びのことなのですが……』   おずおずと話しかけてきたセシリアに、イーサンがきっぱりと言い放つ。 『以前も言ったが、私にはもう心に決めた相手がいる。だから、その人以外を婚約者に選ぶつもりはない。もちろん、君のこともだ』 『……その想いが変わることはないのですか?』 『ああ、ずっとずっと好きだったんだ。この想いは決して変わらない』 『……そう、なのですね……分かりました……』  そう答えて、今にも倒れてしまいそうな様子で去っていくセシリアの後ろ姿を見送りながら、イーサンは大切な人のことを考えていた。 (アリア……もうすぐ、やっとお前に会える)  前世で交わした約束──来世でどこに生まれても、必ずアリアを見つけ出して、また一緒になるという約束。これをついに果たせるときがきたのだ。  今世でアリアは下町の平民に転生しているらしかった。  皇太子という身分では、あまり下町をうろつきまわる訳にいかないが、ちょうど近々「花祭り」が行われる予定だ。  そのときに見学という体で花祭りに参加して彼女と接触できれば……。 (お前は俺に気づくかな? まさか皇太子になっているとは思ってもいないかもしれないな)  アリアがどんな反応をするか楽しみで、花祭りの日を指折り数えて待ちわびていた。  しかし──いつの間にか、イーサンの頭からアリアにまつわる記憶がすべて失われ、別の記憶に書き換えられてしまっていた。  その記憶とは、セシリアを巻き込んだ重大な事件。  イーサン暗殺未遂の記憶だった。  セシリアとのお茶会でイーサンの毒殺が企てられており、それに気づいたセシリアが毒の摂取を阻止しようとした。その際、セシリアの左目に毒が入り、彼女は片目の視力を失った。  だから、自分はその犠牲に報いるためにも、彼女を婚約者とし、ゆくゆくは皇太子妃に迎えて生涯守り抜かなければならない。  そう思っていたのに、この記憶自体が呪いで捏造されたものだったなんて──。 (片目の視力を失ったのも毒のせいではなく、呪いの対価として差し出したからだったんだな……)  ずっと、自分のせいで巻き込まれた可哀想な令嬢だと思っていた。だからどこか違和感を覚えながらも、できるだけ彼女に寄り添えるよう心掛けていた。  しかし、すべてが分かった今は、セシリアへの怒りが抑えられない。セシリアのせいで、大切なアリアの記憶を失い、自分を──クリフを追い求め続けてくれたアリアを何度も傷つけてしまった。  どうしてもっと早く思い出せなかったのだろう。  そうすれば、こんなにも彼女を傷つけることはなかったのに。彼女と、もっと長い時間を過ごすことができたのに。  誰よりも何よりも愛おしいアリア。  彼女のことだけを想って、何度も繰り返す転生に耐えてきたのに。  しかし、アリアはもう、自分に愛想を尽かしてしまっているかもしれない。きっとそうだ。彼女にはそれだけの仕打ちをしてしまった。  ああ、でも、もしまだ間に合うなら……。  イーサンがアイリスに向き直り、彼女の白く細い手を取って握りしめた。 「本当に悪かった……」 「え、急にどうしたんですか、イーサン殿下……?」  突然、謝られる理由が分からずに困惑するアイリスに、イーサンが彼女のもうひとつの名前で呼びかける。 「アリア、今までお前を何度も傷つけてしまった……。やっぱり俺は大馬鹿だ。呪いに負けてアリアのことを忘れるなんて最低極まりない。土の中に埋まるべきは古代竜じゃなくて俺だった……」  心底反省した様子でひたすらに謝罪するイーサンを見て、アイリスが驚きに目を見開いたまま人形のように固まる。  そして、その大きな瞳にみるみる涙が溜まっていった。  そのうちの一雫が、耐えられずにぽろりと頬に伝い落ちる。 「クリフ……私のこと、思い出したの……?」 「ああ、すべて思い出した……アリア」 「死ぬ前にした約束のことも……?」 「もちろんだ。その約束を果たすために、何百年もお前を追いかけていたんだから」 「ふふ……私たち、またおんなじことしてたのね」  アイリスの瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれて止まらない。  イーサンはアイリスに近づいて、彼女の美しい涙を優しく指で拭い取った。 「あの約束はまだ有効か?」 「ええ、守ってくれなくちゃ困るわ」  二人の距離がさらに縮まり、想いの満ちた視線が絡み合う。 「愛してる、アリア。昔からずっと変わらずに」 「私も、ずっとずっとあなたを愛してるわ、クリフ」  互いの鼻先が触れ合い、唇が重なる。  前世での最初で最後のキスとは違い、今度は血の味はしなかった。900年越しに願いが叶った喜びを、何度も口づけあって確かめた。 「……私は何を見せられているんだ」  二人だけの世界に入ってしまったアイリスたちから目を逸らし、精霊王が困ったように呟いた。
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