1. 来世の約束・アリアとクリフ

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1. 来世の約束・アリアとクリフ

 銀色に光る鋭い爪が振り下ろされる。  漆黒の外套をまとった二人の男女は、それを間一髪でかわし、互いに声を掛け合う。 「アリア! 怪我はないか!?」 「ええ、大丈夫よ! クリフこそ平気!?」 「俺も問題ない!」  無事を確認して安堵するが、目の前の赤黒い巨大な竜はこちらに休む暇を与えてくれない。  鋭い牙が覗く顎の隙間から、赤い霧が漏れ出した。 「気をつけて! ブレスがくるわ!」 「くそっ、間に合わない……! 結界を張る!」  クリフの大きな手の平から青い光が放たれ、結界の魔法陣が浮かび上がる。次の瞬間、竜の口から強烈なブレスが吐き出され、結界の上を広がった。 「ありがとうクリフ、助かったわ……」 「奴を封じるまで、死ぬのは許されないからな」 「そうね」  アリアが溜め息まじりで返事をする。 (──私たちは、あの竜を封印するまで死んではならない。いや、死んでも封印しなければならないと言ったほうが正確かしら)  アリアとクリフは、魔法使いだ。  二人に血縁関係はなかったが、どういう因果か、アリアとクリフには共通項が多かった。  同じ日の、同じ時刻に生まれ、二人ともまだ赤子の身で桁外れの魔力を宿していた。  ──神の遣い。(つい)の救世主である。  神殿からのお告げにより、二人には、まだ目も開かないうちから人生の目的、変えられない運命が定められた。  この世界で千年に一度目覚めて破壊を繰り返す古代竜を封印するという運命が。  ──古代竜を封じる試練は一人の身には重すぎる。そのため神は二人で助け合うようこの者たちを遣わせたのだろう。  神からの啓示なのか、それとも単なる大神官の推測なのか。  いずれか知る由もなかったが、そうして二人はアリアとクリフと名付けられ、魔法使いの育成で名高い魔塔へと預けられた。  そして20年間、ただ古代竜を封印するという使命を果たすためだけに育てられたのだった。 「この役目を負うのが一人じゃなくてよかったよ」 「……私もそう思うわ」  20年間、ろくに魔塔の外にも出られず、ただ身体を鍛え、魔力を高め、あらゆる魔法を使いこなせるよう修練し、千年持ち堪える封印の術式を完全に習得するための行動しかしてこなかった。  自分のことより、世界を存続させるためだけに続いてきた命だった。楽しいことや幸せなことより、辛いことや苦しいことのほうが多かった。  けれど、同じ境遇の彼がいたから耐えられた。  苦しみと重責は半分ずつ分け合い、小さな喜びを分かち合って生きてきた。  クリフがいたから、こんな人生でも笑顔と希望を失わずに歩いてこられた。 「クリフ……」  彼の名を呼ぶと、クリフは少し土埃で色褪せた銀髪を靡かせながら、その美しい紅の瞳をアリアに向けた。 「ブレスのあと少し隙ができるみたい。だから、またブレスを吐かせて、その次に……」 「──ああ、封印の術式を展開しよう」  封印の術式を展開し始めたら、もうその場から動くことはできない。  だから、過去の古代竜の封印では、術式を展開する当代最強の魔法使いと、術式を完成させる時間を稼ぐための魔法使い数十名で封印にあたっていたらしい。  しかし、今回はアリアとクリフ以外に駆り出されている魔法使いはいない。「最強の魔法使い2名で使命を果たせ」というお達しだ。 (本当に、馬鹿じゃないの……)  封印で命を落とすのは、お前たち二人だけでいいと言われているも同然だ。馬鹿らしいし、悔しくてならないが、文句を言うわけにはいかない。  だって、二人は世界を救う救世主なのだから。 「俺が囮になるから、アリアは封印の術式を頼む!」  クリフが叫んで古代竜の前へと駆け出していく。  竜の爪と尾の攻撃をかいくぐり、ブレスを吐かせようと挑発している。 (どうか死なないで……)  クリフの後ろ姿を見つめ、彼の無事を祈りながら、アリアは封印の術式の展開を始めた。 《私は破壊と破滅の竜に永遠の眠りをもたらす者──》 「永遠」と言いながら、実際はたった千年しか眠らせられないじゃないか、とつい心の中で悪態をついてしまうが、気を取り直して術を続行する。  恐ろしいほど複雑で繊細な術式だから、全神経を集中しなければ、綻びなく完成させることはできない。  目を閉じて、ひたすら魔力を編み込みながら、封印の力を与える呪文を唱え続ける。 《──……醜悪な肉体は大地の奥深くへ、邪悪な魂は世界の狭間の牢獄に繋ぎ止めん……》  幾筋もの透明な光の線が細かな文字と模様を描き出し、円の端と端が繋がった。 (やった、できた……!)  同時に長々しい呪文も唱え終わり、天に広がった封印の魔法陣が対象物である古代竜を捉えた。  異変を感じて咆哮する竜の周囲に檻のような光の柱が伸び、強い光を放って竜の巨体を包み込む。 「ああ……成功だわ……」  ここまでくれば、もう安心だ。  封印は間違いなく施され、世界は千年の間、竜の脅威から逃れられる。 「クリフ!」  相棒の名前を呼びながら駆け寄ると、クリフは振り返ってアリアを抱き寄せ、苦しそうに膝をついた。 「ちょっと、この傷は何!? 引っ掻かれたの!?」  後ろからは分からなかったが、よく見ればクリフの肩から腹にかけて、大きく抉るような傷が刻まれている。 「尾の攻撃を避けきれなかった……」 「やだ……しっかりして!」  出血が酷く、クリフの顔がどんどん青白くなっていく。  どうにか血を止めたくても、癒やしの力は持たないアリアとクリフにはどうすることもできなかった。 「心配するな、アリア……どうせ10分後に死ぬか、5分後に死ぬかだけの違いだ……」 「そうかもしれないけど……」  クリフの言っていることは正しい。  なぜなら、古代竜の封印に成功しても、アリアたちが生き残ることはできないからだ。  古代竜は封印の間際、死の呪いを撒き散らして姿を消す。  その呪いから逃れることは不可能だった。  そうこうしているうちに、古代竜の身体から呪いの霧が噴き出してくるのが見える。  最後にすべてを道連れにするかのような勢いで、アリアとクリフを飲み込んでいく。  黒く塗りつぶされていく世界の中で、クリフの大きくて優しい手が、アリアの亜麻色の髪を掬い取った。 「アリア……もう最期だから、今まで秘密にしてたことを言ってもいいか……?」 「なに? 馬鹿なこと言ったら怒るからね」 「馬鹿なことかどうかは……お前が決めてくれ」  クリフの赤い瞳がアリアを見つめる。  もう焦点が合わなくなりそうなその目に、強く焼きつけようとしているかのように。 「俺は……お前が好きだ。愛している、アリア……」  クリフの瞳に映るアリアが驚いたように、淡い桃色の瞳を見開いた。  そんな彼女に愛おしげな眼差しを向けながら、クリフが問う。 「どうだ? 馬鹿なことだったか……?」  苦しげに息を吐くクリフに、アリアが泣きそうな声を漏らした。 「……馬鹿よ、大馬鹿だわ。なんで……どうしてもっと早く言わないの! 私だって、おんなじこと思ってたのに!」  アリアがクリフの血の気のない手をぎゅっと握りしめた。 「はは……それは、馬鹿なことしたな……。でも、お前も早く言えばよかったのに……」 「……仕方ないでしょ。私たち、似たもの同士なんだから」 「それもそうだな……」  だんだんと弱々しい声音になるクリフの額に、アリアの形のいい額がこつんと重なる。 「私たち、生まれるのも、死ぬのも一緒だね」 「……ああ」 「来世も、また一緒になれるかな……?」 「……なれるさ。どこに生まれても、必ずアリアを見つけてみせる」 「うん、私も絶対クリフを見つけるわ」 「愛してるよ、アリア……」 「私も……愛してるわ、クリフ」  人生で一度きりの口づけは、甘くて苦い涙と血の味がした。  そして、抱き合う二人の魔法使いは死の呪いに飲み込まれ、そこにあるすべてが暗闇の中へと消えていった。
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