いつも通りの朝

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いつも通りの朝

緖春(つぐはる)!あんたいい加減、そろそろ起きなさいよね!」  毎朝恒例の、母親の大声で俺はゆっくりと目を覚ます。  毎日しっかり寝ているはずなんだけど、なぜか朝起きるのがつらいお年頃なのだが、母は怒ると結構恐ろしいタイプなので、俺はしかたなくノソノソとベッドから這い出して、欠伸とともに返事を返す。 「わかってるって……もう起きてるよ……」 「ならさっさと顔を洗って、朝ご飯食べなさい。片付かないんだから」  呆れたようにそう言う母親に、俺はいつものように軽くへいへーいと言い返して、まだ覚醒しきらないぼんやりとした頭で、洗面所へと向かう。  俺の名前は明神 緖春(みょうじんつぐはる)。  今は私立高ノ宮学園高等部(しりつたかのみやがくえんこうとうぶ)の2年。  偏差値と通っている生徒の親の社会的地位の高さで有名な学校なのだが、うちのような庶民の子供が何でそんな学園に入ることができたのかは、俺の中の七不思議である。   (ちなみに残りの6つは、この先の人生で適宜追加していく予定である)    俺の母は、友人曰く「めっちゃ美人でうらやましい」らしいが、俺からすると口うるさくて、気が強い恐怖の対象。  確かに肩甲骨あたりで揃えられた黒髪はつややかだし、おしゃれなのか所々に赤く入っているメッシュもかっこいいし、スタイルもいいように見えるけど、やはり口うるさくて怒ると怖い母親って印象しか無い。  ただ俺が幼い頃に、父親が逝去したらしくて、ずっと女手一つで育ててくれたことには感謝してる。  仕事は……なんだったかな。  たしかこの町の文化財になっている神社の保全担当係だったとおもう。  俺も知らない色々な謎を抱えた母親ではあるが、人脈が広いらしくて、俺が身分不相応な高ノ宮学園に通うことができているのも、どうやら母親のコネクションが関係しているらしかった。   「また洗面所でぼーっとして……。そういうところお父さんそっくりだわ」  洗面所の鏡の前で物思いにふけっていると、呆れたような声で母親が言う。 「俺って父さんに似てるの?」  何気なく問いかけてみる。  母はあまり父のことを話してくれない。  だから俺は、父親がどういう人間だったのかあまり知らない。  知っているのは、写真の中、母の隣で優しく微笑む男の姿と、時折母が漏らす断片的な情報だけ。  でもそんな数少ない情報でも、1つだけ確実にわかることがある。  母は今でも父を深く愛しているってこと。  母は美人と評判なだけ有って、何度も再婚の話が来ていたりするが、毎回それをすげなく断っている。 「終生わたしの夫はあの人だけですから。他の誰とも添い遂げるつもりはありません」  やんわりと、でもはっきりとそう断っている姿を何度も見ている。  母はあまり父のことを語ってくれないけれど、数少ない父のことを話すときの母の顔は、恋する少女のように見える。  だからはっきりと解るし、伝わるんだ。  母は今でも父のことを、心の底から愛しているのだと。  それは数少ない父の遺品……というよりは父の写っている写真を見ても解る。  父の隣で寄り添う母は、俺が一度も見たことのないような、満ち足りた幸せな笑顔を浮かべているのだから。  マザコンでは無いけれど、そんな父の横で微笑む母の姿に、俺はちょっと嫉妬に似た感情を抱いたこともある。  母さんを取られた……と言う感覚に近いのだろうか。  息子である俺の前では、絶対に見せることのない無防備な、幸せに包まれていることが見ただけで解る笑顔を引き出すことができる父に対する、なんとも言えない一筋縄ではいかない複雑な感情。  俺は母さんを幸せにできてるのか、できるのか。  物心伝い時からずっと胸の奥底に在る想い。  答えはわかっている。  俺では無理だって。  父じゃ無いと無理なのだと。  だからやはり、俺は今日もモヤモヤした気持ちと、胸に小さな痛みが走るのを感じながら、それでもいつもと変わらない日常を演出すべく、母に向かって悪態をつく。   「一々うるさいよ、母さん。いい加減にさぁ、子離れしなよな」  思っても居ない言葉だけど、照れ隠しとか恥ずかしさとか、自分の中のモヤモヤとか、そういうのをすべてごまかしたくておれはいつも通りの憎まれ口をたたいてみる。 「はいはい、そういうのは全部自分でこなせる一人前の男が言う台詞だよ」  俺の悪態を、意にも介さないように軽く受け流して母が言う。 「父さんは……一人前の立派な男だったのか?母さんが頼れるくらい、しっかりした男だったのか?」  不意に唇からこぼれてしまった言葉。  情けない……父親にコンプレックスを感じていることが丸わかりな台詞だった。  しまったと言う想いと、気恥ずかしさが急激に湧き上がってきて、居たたまれない気持ちになってしまう。 「………………」  母はそんな俺を、すごく複雑そうな目で見つめて、でもなにも言葉にする事無くそこに立っていた。  母のまっすぐな瞳に見つめられて、俺はとても居心地の悪い気持ちになった。 「父さんのこと……知りたいの?」  ぽつりと母がこぼす。  気を抜いていたら聞き逃してしまいそうなほどの、小さな力の無い声で。  話したいと言う気持ちと、話すことを躊躇する何かが母から感じられて、俺は何も言うことができなかった。 「…………うん、話す。いつか話さなければならないことだからね。多分……あんたも関わることになるから。でもそれは今じゃないよ」  時間にすれば1分にも満たないほどだろう。  だけど体感的には10分20分にも感じられる、重苦しい沈黙の後、母はふっと視線を緩めてそう言った。 「今から話してたら、あんた遅刻することになるからね。今晩……話す」  少しからかうような口調で、だけど最後は緊張を伴う真面目な声音で母はそう言った。  いつもの母の姿なのに、目だけが笑っていない。  その様子に俺はなんとなく、胸に重いものが降りていったような、そんな感覚を味わった。    
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