またあした母に会いに行く

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 春と呼ぶにはまだ寒い日に私は母に呼ばれた。    病室に入ると母はベッドに座って何やら本を読んでいた。 「来たよ」  私がぶっきらぼうに言うと母は「来たね」と言った。  私はベッドの横に立ち、カーテンの向こうを見る。遠くに山が見える。海辺の病院ではなく山の病院を選んだのがこの人らしいと思った。 「こういうときは『お元気ですか』とか『思ったより顔色がいいですね』って言うものよ」 「あいにく親に教わってなくてね」 「親がすべてを教えるわけじゃない。社会経験で身につけるもの」  とするならば、親元を離れて2年余り。私はまだ社会経験が足りないということか。それは一旦考えないことにする。   「冬哉(とうや)から病状は聞いた」 「そう。あと半年らしいわ」  半年? と思わず言いかけてさすがに娘としてやめておいた。  弟から聞いたのは「癌の進行が早くて、長くもって三ヶ月」だったはずだ。 「それで? 私に何か用? どうやって住所を調べたか知らないけど電報で知らせるなんていつの時代なの」  私は家族にここ2年ほど連絡を取っていなかった。  どうやって調べたのか私の居場所を知った母から今どき電報が届いた。やむを得ず連絡してみると呼び出された場所は病院だった。 「貴方が電話に出ないからでしょう?」 「あいにく暇がない生活をしててね」 「ちゃんと食べられてるの?」 「やせ衰えない程度には。給料日に焼き肉に行ける程度には」  かすかに母が微笑む。 「ウチに戻る気はないの?」 「まさか。あの家に私の居場所はないよ。優秀な弟がいれば家も安泰でしょ。出来の悪い娘がいなくたって」 「その出来の悪い娘にお願いがあるんだけどね」  急に世間話から本題に入るらしい。こっちもそれで構わなかった。 「あと半年は生きられるとはいえね、もう遠出することは難しいらしいし、自由に動くこともできない」 「そりゃそうだろうね」 「それで、人生のやり残したリストを作ってみた」 「はい?」  母はベッド脇の袖机をガラガラと開けると一冊のノートを取り出した。それを開くこともなく、私に渡した。 「なるべく少なくしたから、これを貴方に託したい」  表紙をめくるとナンバリングされた箇条書きで何やら書かれていた。 「『イタリアのローマ空港はキレイなのかをみたい』、『富山の本場・ブラックラーメンを食べたい』……なにこれ」 「だから『人生のやり残したことリスト』よ」 「いや、その身体でイタリアいけないでしょうよ? ブラックラーメンなんて食べたら身体にわるいでしょ? 全部連れてけって言うの?」 「まさか。貴方にひとつずつ見てきてほしいのよ、それを。で、私に教えてくれればいい。それで満足」 「これ全部? 輸入家具の販売をするにはとかどうやって知ればいいの?」 「インターネット使えばどうにかなるんじゃない? 私にはメカは無理だけど」  母はインターネットを『メカ』というほどソフト・ハードを問わず機械仕掛けのものには対応できない。未だにスマホもまともに使えないままだろう。 「なんで私に? 冬哉にやらせればいいじゃない。母思いの立派な息子でしょ」 「あの子はあの子の道があるの。貴方が跡を継ぐ気なんてないでしょう?」 「ないね」 「じゃあ貴方にしか頼めない」  弟の冬哉には家の「いろいろ」を押し付けてしまった感は否めない。 ここに拒否権はないのかもしれない。 「……可能な範囲でね」 「やってくれる? 1つずつでもいいわ。今度はどんな話が聞けるのかと思って待ってるから」 「……要望が多いやね」 「これぐらいしてもらっても罰は当たらないでしょう」 「はいはい」  私はノートを受け取り、「あんまり期待はしないで」と言って病室を出た。  病室を出てから、たった2年余りの間に、母は一気に白髪となり、頬や腕が痩せてしまったことに身震いがして、私は両肩をさすった。
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