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「しばらく克樹の仕事を彼女は手伝いました。そのかいあっめ会社は立て直りはじめました。そんな頃、僕は転勤となりました。僕は彼女に言いました。『もし一緒に来てくれるなら、3月に僕が東京を去る日に東京駅に来てほしい』と」
「……その日、母は来なかった?」
私の問いに、彼はゆっくり首を横に振った。
「……いえ、来てくれました」
来てくれました、ということは母は拓真さんを選んだということではないのか。
「しかし、私がその時間に東京駅に行かなかったんです」
「どうしてですか!? 母はあなたを選んだのに」
「先ほども言ったように、僕はどこかで彼女を信じ切れていなかった。彼女を試してしまった。私のせいで、彼女の中で思いが再び揺らいだことも気づきました」
母が振り切った思いを拓真さんが揺り起こしてしまったということなのか。
消えたはずの恋心に火がついたのは誰のせいなのか。
「立ち直る克樹と対照的に彼女が苦しみ始めました。それなのに、転勤を理由に、また選ばせようとした。そんな自分が許せなかった。こんな弱い僕では彼女を幸せにする権利はない思いました」
「だから、独りで……?」
彼はゆっくりと頷く。
「あの日、僕は克樹に連絡して、別の新幹線で名古屋に行くと告げました。彼は怒りました。でも、もう決めたことでした。彼女が東京駅に来たとき、そこには克樹が立っていたはずです」
拓真さんがいると思った東京駅に、父がいた。
母は拓真さんがいないことに何を思ったのか、父は何を母に語ったのか、それはここにいる私たちの想像できることではない。
わかるのは、その後、母は父と結婚した、私と弟が生まれたということだ。
「いま貴方や弟さんが幸せでいてくれるなら、僭越ながら私も救われたような気がします。僕から彼女が幸せになったかなど知る権利もないと思っていました」
その言葉に私は頷く。
「母が」
「はい」
「このノートから、あなたの名前を消した理由は何だったのでしょう?」
彼は私の目を見たまますぐには語らなかった。周囲を行き交う人の声が少し耳に入り出した頃、彼は口を開いた。
「それは、私がお答えすることではないと思います」
私はもう一度頷いた。
母は、やり残したこととして一度は彼の名前を書いた。そして、その行を消した。
その理由は、私が考えるべきだと思った。この話を私に伝えようとした理由も。
カフェから去っていく彼の後ろ姿を見ながら、父が「手伝うことはできん」と言った言葉が頭の中で蘇った。
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