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【東新宿 白昼の攻防】
今日は、おれは久しぶりに絶対に呼び出されない完全なる非番だ。でも先生は論文指導や会議があったりで休みを合わせることが出来ず不在で、完全に持て余していた。
ひとっ走りしてそのまま区の運動施設かジムでも行って体を動かしてこようかと思って準備をしているところでインターホンが鳴る。モニターを覗くと生地も仕立ても良さそうなスーツを纏った切れ長な鋭い目つきの細身の男性が佇んでいる。
「どなたですか?」
問いかけると「玲居る?文鷹って言えばわかるけど」とぶっきらぼうに言った。
「あ~、ごめんなさい。先生いないんです、なんか会議らしくて」
その人は溜息をつき「マジか…頼まれたから持ってきたのにあの野郎…出直すわ」と踵を返そうとした。おれは声を張って呼び止める。
「あの…!エントランス開けるんで上がってきてください!」
振り返ってカメラに近づき顔を寄せてきて、此方を真っ直ぐ見つめる。
「そういう訳にもいかんでしょ」
「なんでですか?」
「お前、警察官じゃん」
「そうですね」
「で、組対関係者ではないでしょ」
「そうですね。同じ部ではありますけど、おれ鑑識です」
「いくら相方の知り合いったって、カタギじゃない人間とプライベートで関わるのまずいでしょ」
先生、まだ完全に付き合い断ったわけじゃなかったんだ。勿論そんな簡単に切れるわけじゃないとは思ってたけど、やっぱそうか。
「あなたは、直人さんのご関係者さん…ですよね?」
「そうだよ」
「…だったら、今更よくないですか?お届け物なんですよね?お預かりしますから上がってきてください」
「は?」
おれはエントランスの施錠を解除するボタンを押した。解錠される音を聞いたその人は再度「マジか…」と呟いた。
エントランス側のインターホンのモニターを切って待っていると、今度はその隣にある玄関のインターホンが鳴る。
此方のモニターにも先程の人物が映し出されていた。おれは廊下を小走りして玄関に向かい、ドアスコープで改めて確認してからガードを外して解錠し、ドアを開けた。
「こんにちは、玲さんがすみません」
「全くだ。じゃあこれ、玲に渡しといて」
扉が開くなりおれに小さい紙袋を差し出して、直ぐに去ろうとする。大きさの割にずしりと重い。中を覗くと緩衝材と新聞紙で包まれていて中身がわからない。
当の先生に無断で勝手に中身を検めるのも気が引ける。でも、もしこれが、銃器だったらどうしよう。
もしそうだとして、先生がそんなもの頼んで手に入れる目的ってなんだろう、何をするつもりなんだろう。
怖いけど、探りを入れたい。
「あの、一休みしていかれませんか?」
「仕事があんだよ、正直玲のパシリやってる場合じゃねえんだって」
おれは渋るその人に必死に食らいつく。
「ご足労いただいたのに、先生が勝手言ってすみません。てか先生の方からお願いしてたのに、本当にすみません」
等々と、ただ只管に懇切丁寧に謝り倒して引き止めた。
根負けして「じゃあ、ここでヤイヤイやってても近所迷惑だし、少しだけ」と言ってくれたときは、内心「第一関門クリア!」と心のなかでガッツポーズした。
リビングに通して、ソファに腰を下ろしてもらって、おれはお茶とコーヒーどちらがいいか、砂糖は必要かどうか等の希望を訊いてからキッチンに向かった。
最低限必要な量だけドリップケトルに水を入れて湯を沸かし、簡易なドリップパックでコーヒーを淹れて供す。
器を見ると、その人はちょっと目を輝かせた。
「これ、ウェッジウッドのフロレンティーンか。いい趣味してんな」
「そうなんですか?おれ全然そういうのわかんないです。先生のお母様がくれたやつなんですよ。仕事場って、お近くなんですか?」
尋ねると、コーヒーに口をつけてから「この近くに、ヤクザマンションってあんの知ってる?」と答えた。
「噂は知ってますが、どの建物なのかまでは…」
おれが首を傾げていると、その人はジャケットの身頃を捲って内ポケットから赤褐色に近い深い臙脂色の名刺入れを出して、そこから一枚名刺を抜いて差し出した。
そこには此処からほど近い或るマンションの住所が記されていた。どうやらそこがそのヤクザマンションらしい。
でも、それよりおれはジャケットを捲った瞬間、その内側にホルスターを身に着け、そこに拳銃が収まっているのが見えたことに動揺していた。
わ~!銃刀法違反だ~!とは思ったものの、今は問題はそこじゃない。
先生に頼まれて持ってきたモノが何なのか探って、もし問題があるものだったらお持ち帰りいただかないと…。
そして問題のあるものだったら、何か後ろ暗い目的があって手に入れようとしたのだとしたら、心を入れ替えてもらうために先生を叱らなくちゃいけない。
「紙袋、やけに重たいですけど、先生何を頼んでらしたんですかねえ…厳重に梱包してありますけど」
ダメもとで恐る恐る、且つ割と単刀直入に訊いてみると、恐ろしいほどあっさり答えてくれた。
「HOゲージって鉄道模型だよ。持ってたはずが昔事件のゴタゴタで失くして、探してるって言ってたんだ」
Nゲージは知ってたけど、HOゲージは初めて聞いた。
Nゲージは1/150スケールで11~15cm程度、線路幅は9mmなのでnineの頭文字を取ってNゲージというらしい。これも初めて知った。
一方、HOゲージは1/80スケールで24~30cm程度の大きさがあり、線路幅は16.5mmあるという。
疑うなら開けてみてもいいと促されたので、おれは紙袋の中にあった包みを取り出して開いてみた。
中には、いつ頃の年代のものかわからないけど、旧い感じのデザインの貨物用のディーゼル機関車と貨物の色んなタイプの貨車やコンテナが入っていた。
「わ~、なんかレトロでかわいい…」
おれが感心して見ていると、玄関扉のスライドする音が聞こえた。そして同時に「たーいまぁ」と帰還を告げる気怠げな先生の声が聞こえた。
いつもどおりスタイラーに上着を掛けて、手を洗って、先生が此方に向かってくる。
「え、ど、どうしよう」
おれが慌ててるのを気にせず、その人、文鷹さんは旨そうにコーヒーを啜っている。
やがてリビングに来た先生は目を丸くした。
「あ~、なんで長谷がおれの模型勝手に見てるんだよお」
「いや、これは、ごめんなさい。先生、会議じゃなかったんですか?」
泡を食うおれに先生は冷静に答える。
「学校行ってたことは行ってたけど会議は夕方からリモート。書斎でやるし。てか長谷ダメじゃんヤクザ家に上げちゃってさ~。ふみもさ~取りに来いって言えばいいのに何ちゃっかり来ちゃってんの?おれに会いたくなっちゃったの?」
「あ~もう。ほらな、こういう奴なんだよ…こういう…」
先生を差して文鷹さんが呆れた顔で言った。
先生は自分を差すその指から逃れてソファの後ろに回りこみ、文鷹さんの頬を左右に摘みながら、文鷹さんの耳元で「嫌いじゃないくせにィ」と誂って、結局思い切りひっ叩かれた。
そのあと間もなくコーヒーを飲み終えて文鷹さんは帰っていったけど、中身がわかった時点で銃器について訊かなきゃいけなかったんだった。しまった。
いただいた名刺を手におれが「…じゅ、銃刀法違反…ヤクザマンション…」と呟いていると、模型を並べて寝そべって楽しげに見ていた先生が顔を上げた。
「え?今から行くの?」
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