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10
現実と夢の境目で、虚ろなままゆっくりと目を開く。
もうすっかり見慣れた天井。ここは圭人の部屋だ。
「……ッ!」
意識がはっきりとしてきた途端、言いようのない焦りを感じて、慌てて身体を起こした。
(今何時だ?いやそんなことよりも俺、昨日、今度こそ……)
アルコールのせいで途切れ途切れな記憶を必死に辿る。
恐る恐る自分の後ろに手を伸ばした、その時。
「してないよ、最後まで」
「……っうわ!」
背後からぎゅう、と身体を優しく抱きしめられた。
相手はもちろん、圭人だ。俺は心臓が飛び出るかと思うくらいにビビり散らかした。
「そんな化け物見たような反応しなくても」
「い、いると思わなくて」
「俺ん家なんだから、そりゃいますよ」
ふっ、と笑うと、圭人はそのままの流れで唇を寄せてきた。
それがあまりにも自然な動きだったから、俺も一瞬、特に意識せず受け入れてしまいそうになったが、すんでのところでとっさに顔をそらす。
「な、なに普通にしようとしてんだよっ」
「え~、昨日あんなに塁からもキスしてくれたのに、今更恥ずかしがらなくても」
「っは?俺が?自分から?」
「うん、けいと、けいと~って、可愛かったよ」
「……っばか言うな!そんなわけ!」
「ひど、嘘じゃないのに」と不満げな表情を浮かべながらも、諦める様子はなさそうで。
無理くり俺の顎を掴んで向き直らせると、強引に唇を重ねた。
「ん、ん~~ッ!」
「……っはい、おはようのキス」
「ち、力強すぎだろ、バカ」
圭人はひとまず満足したようで、軽快にベットの上から降りていった。
「な、なぁ。本当にしてないんだよな、最後まで」
「お酒飲むと、どんなに良い雰囲気でも塁さんは寝ちゃうみたいすね」
「そ、そっか。だよな……」
残念そうな声色で呟く親友を横目に、俺は内心、かなりホッとしていた。
「じゃあ、行ってくる」
「おお……気をつけてな」
今日は午後から授業が始まる俺は、一足先に家を出る社会人を玄関で見送る。
「今日、会議で少し遅くなるかもだけど、お酒飲まないで待っててよ、塁」
「飲まねーよ……」
スーツを身に纏い、イケメン度120%に完成された圭人は、まるで恋人にするかのように俺の頭をさらりと撫でる。
本当なんなのこれ。この同棲カップルみたいなノリが恥ずかしすぎて気まずいんだが。
「じゃ、行ってきますのちゅーを」
「っい、いいから早く行け!遅刻すんぞ!」
「え~……じゃあ、続きは夜に」
圭人が「じゃあね~」とひらひら手を振って出て行った直後、俺は一人頭を抱え悶絶した。
「あぁあ、もう、やばいって……!」
自分の置かれたこの状況について考えれば考えただけ、頭が爆発しそうだった。
キスして、抱き合って、同じベッドで寝て、朝お見送りなんかしちゃってるけど。
どう見ても側から見たら友情の域は超えてるのは理解してる。だけど、俺たちは友達だ。友達なんだ。
自分は圭人に対して、友情以上の感情はないと、そう断言できる、はずだった。
「俺が自分から圭人にキス……?いやいやいやありえないだろ……」
いや、絶対にないと、俺は自信を持って言い切れなかった。
なんだかんだいつも拒めないし、流される。
それに男同士なのに一度だって、気持ち悪いとも、嫌とも思ったことがないんだ。
考えないようにしてたけど、これって、やっぱりおかしいよ。
だって俺は圭人と、ずっと友達でいたい、って。
この関係が壊れなければって、ずっと続いて欲しいって。
今までも、そしてこれからもそう思っているはずだったのに。
「はぁ……」
授業前、ランチ時だけ出勤したバイト先でも、たった一人の親友との関係性の変化と崩壊のことで頭がいっぱいだった。
「おい。どーしたん、そんなクソでかため息ついて」
キッチンでただぼーっと立ち尽くしていると、バイト仲間の田中から突然声をかけられる。
意識外からの接触に、吃驚した体は一瞬びくんと反応してしまった。
「っあ、ごめ……オーダー入った?」
「ちげーって。珍しいじゃん、いつも働き者のるいっちが。まぁ、今日はそんなに忙しくないから良いけどな」
確かに、いつもお昼時は近くの会社員で賑わう店内も、今日は人がまばらだった。
こういう閑散とした日も、たまにはある。
少し水でも飲んで心を落ち着かせようかと思ったその時、入り口のベルがチリンチリン、と大きく鳴った。お客さんだ。
もう一人の同僚である八木が小走りで入り口に向かうと、女性の声が聞こえてきた。
「3人です」
「3名様ですね。ご案内します、こちらへどうぞ」
俺は、その女性の声に聞き覚えがあった。
キッチンから少し身を乗り出して店内を見渡すと、席に着いたのは間違いなく、以前圭人と一緒に来店したことのある美女三人だった。
今日は圭人は一緒ではないらしい。俺はその事実に無意識のうちに胸をなでおろしていた。
……――調理から提供までを済ませると、やがて店内は落ち着きを取り戻す。
キッチンで仕込みや片付けをしていても、客席の音が微かに聞こえるほどだった。
「ねぇ、それ本当?」
「いつのまにぃ?全然気づかなかったんだけど」
その時、甲高く熱量のこもった女性達の声が聞こえてきた。
見えなくても、すぐにわかる。この声は、圭人の同僚の美女たちのものだと。
「圭人くん、ガード硬いと思ってたのに」
「ねぇ、案外やるのね」
突如として耳に飛び込んできた親友の名前に、俺は思わず片付けをする手の動きを止めた。
盗み聞きなんて良くないとわかっているのに、バレないように近付き、聞き耳を立てる。
「ていうか、百合、あんたも付き合ってる時に言いなさいよ」
「いや~だって、ライバル多いし、下手に恨まれたくなかったし……それに付き合ってたって言って良いかわかんないし……」
「えぇ?どういうことよ」
女性の井戸端会議、とでも言うのだろうか。
思いがけず親友の恋愛事情を知ってしまった俺は、なんとも言えない気分になる。
(やっぱり、最近もいたんじゃんかよ。彼女)
ますます、俺で童貞を捨てたいなんて狂言があほらしく感じるのと同時に、安心したような、寂しいような複雑な気持ちになった。
ふと、仕事中に自分は何をしているのかと我に帰り、戻ろうと身を翻した。
だがその瞬間、女性の口から出た言葉が、どうしようもなく俺の心を揺さぶることとなった。
「あぁ~……1回だけエッチして、それで終わり」
……は?
今、なんて言った?と思わず会話に参加してしまいそうになるくらいには、俺はひどく動揺していた。
「えぇっ!ヤリ捨てってことぉ?」
「ちょっ、声が大きいって……!」
「圭人くんそっち系なの?結構ショックぅ」
その後も女性陣の熱気あふれる議論は続いていたが、もう、俺の耳にはほとんど届いていなかった。
ただ、同性の親友が、彼女を作って、セックスをしてたって。それだけのことなのに。
自分には、なんの関係もないことなのに。
呼吸が下手になるほどに狼狽えている自分が、理解できなかった。
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