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3
「いらっしゃいませー!」
親友だと思っていた相手に襲われかけた日の翌日。
大学が休校の今日、俺は現実から逃れるようにバイトに打ち込んでいた。
一人でいると、圭人に触れられた熱、唇の感触、懇願するような眼差しを思い出して、心がかき乱され、息が止まりそうになるから。
あのあと?もちろん帰ったよ、朝食の食器洗ってすぐね。
鍵は、閉めるために仕方なく持ち出したけど、その後は家には行ってない。
だって覚悟ができたら、なんてそんな恐ろしい発言されて行けるわけがない。
なんか連絡来てたけど、それも怖くて見てない。
今の俺はただ、生活のために必死に働くだけだ。
――チリンチリン、と店の扉が開く音がした。
ごくごく普通のレストランの店員である俺は、バッシングの手を止め、爽やかな営業スマイルで店舗の入り口に視線を送った。
「いらっしゃいま……」
そして同時に、一瞬店員としての使命も忘れ、言葉を失った。
「4人でーす」
指を4の形にしてきゃぴっとした笑顔で俺に人数を知らせる、若く可愛い女性。
その隣には、俺の頭を悩ませる元凶である男の姿があった。
「よ、四名様ですね……こちらへ、どうぞ」
笑顔を引きつらせながらも、俺はともかくそのご一行を広いテーブル席へと誘導した。
三人の綺麗で可愛らしい女性たちと、一人の若いイケメン男性というなんとも羨ましい構成でやってきた彼らを横目に、ご案内を済ませた俺はそそくさとその場から立ち去ろうとした。
「ねぇ、店員さん。今日何時までっすか」
「は……っ?」
それを許さなかったのは、圭人だった。
突如、バイト中である俺に声をかけてきたのだ。
周りの三人は、「何、ナンパ?」となぜか愉快そうに囃し立てる。
「ああ、この子俺の同級生なんです」
「えぇ~!そうなのぉ?圭人くんとは随分タイプ違うんだね~」
同じ社員証を首からぶら下げた女性たちは、おそらく圭人の会社の同僚か先輩なんだろう。
悪かったすね、俺はそいつみたいにイケメンじゃないですよ。ふっつーの、平凡な男なのです。
「な~んか、癒し系ってか、優しい感じね」
「先輩、この子相手いるんでちょっかいかけたらだめっすよ」
「え~残念」
当たり障りない褒め言葉、ありがとございます。
てか、俺相手いませんが何勝手言ってくれちゃってんのあんたは。
俺抜きで展開されていく謎の茶番劇。
女性社員たちは圭人に入れ込んでいるのが雰囲気ですぐにわかった。
そんな状況で俺がいると邪魔だろうし、いたたまれないのだが……。
仮にも今は昼時で、店も忙しい。もう逃げるか。
「あはは、圭人がいつもお世話になってます。こんな綺麗な人たちと働けるなんて羨ましいな~」
「やだ、綺麗だって。嬉しい」
「じゃあ、あと決まったらまたボタンでお知らせください」
とりあえず挨拶がわりのお世辞の応酬を済ませた俺は、営業スマイルをキープしたままその場を離れた。
「あ、ちょっと。何時に終わるのってば」
少しだけ不機嫌そうな声が後ろから聞こえてきた。俺は振り返って、「店次第だ、わからん」と小声で返し、その場を去った。
(なんだよ、やっぱモテんじゃんかよ)
ますます圭人の童貞発言がきな臭くなってきた。
俺の知る限りでは彼女も歴代3人くらいはいたはず。
だけどあんまり圭人がそこらへんの話したがらないから、俺に彼女ができてもあいつに彼女ができてもお互いに深く話したことはなかった。
それに、相手ができても俺と会う回数は減ることもなく、極めていつも通りだったから。
ますます、昨日の出来事が謎を深めるばかりだった……。
「お疲れ様でした~」
夕方17時。俺は遅番と交代で退勤をした。
まだ外は明るい。明日は午前休講だから、久々に夜更かしでもするかな。
店の裏口から出て、自転車置き場へ向かう。
鍵をがちゃがちゃと外していると、突如、背後に気配を感じた。
「ぅわ……っ!?」
振り返ろうとした瞬間、後ろから右手首ををがちりとホールドされた。
不審者か、強盗か?と慌てて身をよじると、すぐ耳元で聞き覚えのある声が。
「早番おつかれっす」
「っな、おま……!なんで、」
そこにいたのは、昼間同様、スーツ姿の圭人だった。
そのまま俺に詰め寄ると、突拍子もなく抱きついてきた。
「レジの子にシフト教えてもらった」
「おいぃ、個人情報ダダ漏れかようちの店」
「俺たちの仲なんだし、いいじゃないっすか」
「どんな仲だよ!つうか、ここ外!離れろって」
いくら店の裏口とはいえ、誰が見ているかわからない。
俺は圭人の腕の中で暴れるも、案外力の強いこいつはビクともしなかった。
「え~、こんなことする仲」
「~~ッんン!」
あろうことか、圭人は場所もわきまえず無理やり俺の頬を引き寄せキスをした。
しかも、舌をがっつり絡ませるやつ。
おいおい、外だぞここ。笑えない笑えないって。
「っん、ん~ッ!」
ひとしきり俺の咥内をかき回した後、ぷは、と満足そうに唇が離れていった。
「っな、おま……っマジなにして……」
「だって塁さんが避けるから」
「さ、避けてるわけじゃ……普通に忙しかっただけだし」
「じゃあ、うちきてよ、これから」
依然として、俺の腕はガッチリと掴まれたまま。圭人は笑っているけど、目に光がなく、少し怖い。
「なんでだよ!やだよ!明日も学校だし帰るわ!」
「うちから通えばいいじゃん」
「なんでそーなる」
自分勝手な提案をする親友の腕をなんとか振りほどき、一歩距離をとった。
素面の状態で家になんか行ったら、今度こそ何をされるかわからない。
とりあえず昨日渡された合鍵をつき返そうと、急いでカバンの中を漁った。
すると、中でスマホが振動していることに気がついた。大学の友人から電話がきている。
俺は「ちょっとごめん」と一言告げ、その電話を取った。
「なに?どした?」
『あ、まだ寮帰ってきてない?』
「うん、今バイト終わったけど……」
『あー残念なお知らせなんだけど、改修工事で水道管破裂したから5日間くらいは水でないらしーぞ』
「はっ!?マジで言ってる?」
『俺は実家帰れない距離じゃないからいーけど、お前大丈夫か?あそこ近くに銭湯もねーし……』
同じ寮に住んでいる同級生の口から飛び出したのは、なんていう最悪なタイミングなんだと頭を抱えたくなるようなトラブルだった。
「とりあえず、どうにかするよ……」
『おぉ、まあ、なんかあったら言えよ。じゃな』
ブツ、と通話が切れた。
どうにかするとは言ったものの、割とピンチだ。
親の援助もほぼ無く、バイトでなんとか生活しているちょい金欠大学生の俺にとって、ホテルや満喫に泊まるお金を約一週間分工面するのも難しい。かと言って水が出なければ、家で何もできないと言っても過言ではない。
「終わった?」
一人絶望の淵に立っていると、すぐ隣で圭人が俺の顔を覗き込んだ。
なんでちょっと嬉しそうなんだよ……。
「で、うち来ますか?」
「……お邪魔、してもいいですか」
「好きなだけいてくださいな」
顎を高く上げて首を見せるように、満足そうな顔をして、圭人は軽い足取りで歩きだす。
俺は、返すはずだった合鍵を再度カバンの中に静かに仕舞うのだった。
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