【第一章~山桜~】第一話 道中

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【第一章~山桜~】第一話 道中

咲耶太夫(さくやたゆう)、おね~り~」  男衆(おとこしゅう)の太く響く声とともに、江戸吉原一の大見世(おおみせ)である玉屋の戸が開かれた。  シャン、シャンと鳴る金棒(かなぼう)と太鼓の音を合図にお囃子(はやし)が始まる。  提灯や金棒引きの男衆、禿(かむろ)に続き、高下駄を履いた咲耶太夫が姿を現すと大きな歓声が上がった。  咲耶太夫の道中である。 「よ! 待ってました!」 「咲耶! 日本一!!」  吉原一との呼び声高い咲耶太夫をひと目見ようと、引手茶屋(ひきてちゃや)までの沿道には人が溢れていた。  花の咲く時期に合わせて植えられた桜の花びらが舞い散る中を進む花魁道中は、この世のものとは思えない幻想的な美しさを醸し出していた。  男衆の肩に手を添え、咲耶太夫は高下駄をゆっくりと動かし、外八文字(そとはちもんじ)で歩みを進める。  ただ一歩進むそのしぐさから滲む色気に観衆は皆、一様に顔を赤らめため息を漏らした。  艶やかな黒髪に雪のように白い肌、大きく切れ長の漆黒の瞳、ときどき伏せられる目を縁取る長いまつ毛、形の良い唇。  金の煌びやかな(かんざし)も赤い豪奢な着物も相当に美しかったが、それすらも所詮飾りでしかないと霞んでしまうほど、咲耶太夫は神々しい美しさだった。 「天女みたいだなぁ……」 「あぁ……ありゃ、この世のもんじゃねぇ……」  呆けたように呟く男二人に、隣にいた男が苦笑する。 「まぁ、どっちにしろ俺たちにとっちゃ雲の上の存在だな。咲耶太夫の客なんて大名や公家や豪商ばっかりだって噂だしな」 「まぁ、そうだよなぁ……。あの見た目で、男を立てる控えめで謙虚な女だって噂だし、金持ちも放っとかねぇよな……」男がうっとりと呟く。 「え?俺は無粋な客はどんな大物でも袖にする粋な女だって聞いたけど……」 「いやいや、ほかの遊女のために客と大立ち回りするような姉御肌な女だって聞いたぞ」  三人は顔を見合わせて、首を傾げた。 「まぁ、どっちにしろ雲の上の存在だよ……」  三人は同時にため息をついた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  花魁道中の最中、咲耶は一人の男に目を留めた。  道中を観ようと詰め掛けた観衆から少し離れ、建物に寄りかかるように一人の男が立っている。  (まげ)を結わず、薄茶色の髪を無造作に後ろで束ねた男は、腕を組み静かに咲耶を見ていた。  整った顔立ちだがそこに表情はなく、髪と同じ薄茶色の瞳は咲耶を捉えているものの何も映していないようだった。 (あぁ……、今日だったのか……)  咲耶は周囲に気取られないよう一度目を伏せてから、男に向かってかすかに微笑んだ。  観衆が咲耶の微笑みにどよめく中、男は表情を変えず背を向けると細い路地に消えていった。 (さて、それならちょっと気合いを入れていきますか)  咲耶は真っすぐに前を見つめ、ほんの少し首筋をそらした。  観衆に向けて流し目をして、薄っすらと微笑む。  流し目を受けた観衆からどよめきと歓声があがった。 (こんなものかな……)  咲耶は自分の一挙手一投足に観衆がどのように反応するのかよく理解していた。  舞い散る花びらの中、咲耶は祈るように静かに目を閉じた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「まったくこんなところに呼び出しやがって……」  恰幅の良い男は吉原の細い路地で一人悪態をついていた。  大見世の玉屋から引手茶屋までの沿道から少し離れたこの細い路地は、いつも以上にひっそりとしていた。  男のもとに差出人のわからない手紙が届いたのは今朝のことだった。 『お前のすべてを知っている』と書かれたその手紙には男の知られてはいけない過去が書き連ねられていた。  その下に『待っている』という言葉とともに、時間と場所が記されていたのだ。  どうせ金が目当てだろうと思ったが、男には取引に応じる気がまったくなかった。  手紙の差出人が現れた時点ですぐに消せるよう、護衛を三人潜ませていた。 「それにしても遅ぇなぁ」 (護衛を潜ませていることに気づかれたのか……)  男は舌打ちをした。  過去を知る人間を生かしておくことは、男にとって命とりになる。 (ヘタしたら俺が殺される)  苛立ち始めた男が護衛を一旦呼び戻そうと声をあげた。 「おい! 一旦引き上げ……」  男の声は不自然に途切れる。  喉元に冷たいものがあたっていた。  男が恐る恐る視線だけ動かせば、小刀の腹が自分の喉元にあてられていた。 (な!? 護衛は!? どうなっている……)  視線だけ動かして周囲を確認すると路地の角にはいつの間にか血だまりが広がっていた。 (やられた!?うちの中でも腕利きの三人だぞ……どうして……)  男が唾を飲むと、その拍子に喉元が切れたのかピリッとした痛みが走る。 「……何が目的だ? ……金か?」  男は体を動かさないように気をつけながら、視線を背後の人物に向けた。  姿はまったく見えないが、体格から男だということだけはわかる。 「腕……」  背後から低い声で男が呟く。 「……腕?」  背後にいた男は、戸惑う恰幅の良い男の着物の襟もとを掴み、左肩を露わにした。  そこには水墨画のような鬼の刺青があった。  背後にいた男はそれを確認すると、ゆっくりと恰幅の良い男を抱きしめるような形で引き寄せ、男の左肩の上から顔を出した。  恰幅の良い男は視線を動かし、すぐ横にある背後の男の顔を見る。  薄茶色の瞳が見開かれ妖しく輝いていた。 「……見つけた……!」  目を見開いたまま恍惚とした表情を浮かべる男に、恰幅の良い男は戦慄した。 (殺される!!)  悲鳴を上げようとしたその瞬間、男の意識は途切れた。  男がわずかに漏らした呻き声は、道中のお囃子と歓声にかき消され、誰にも届くことはなかった。
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