第四話 玉屋の咲耶

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第四話 玉屋の咲耶

(これはもう別格だな……)  咲耶を初めて見たとき、男はただその美しさに圧倒されていた。  今、男は咲耶を前に別の意味で押し潰されそうな圧を感じていた。  咲耶は長く重いため息をつく。 「おまえが来るだけで、見世に波風が立つから協力するんだ」 「波風?」  男はようやく咲耶が口を開いたことにホッとしながら聞いた。 「自覚はあるんだろ? おまえのそのご自慢の容姿を利用して、見世の遊女たちから情報を集めるつもりだったじゃないのか?」  咲耶はうんざりした顔で言った。 「おまえはそれでいいかもしれないが、そういうやり方をされると見世の中が荒れるんだよ」 「ああ……そういうことか……」  惚れたどころか二度と来るなという話しらしいと、男は理解する。 「ところでおまえの名は?」 「ああ…叡正(えいせい)だ」 「一旦、十日後の夕刻にまたここに来られるか? おまえが来たらこの部屋にすぐ通すように伝えておく。一応私の間夫ってことにしてあるから、もう誰もおまえに声は掛けないと思うが」  おまえと連呼する咲耶を見て、名を教えても呼ぶ気がないのだと、叡正は静かに悟った。 「十日……そんな短い時間で何かわかるのか?」 「おそらくは……。ただ、何度も言うがあまり期待はするな……」  咲耶は静かに目を伏せた。 「ああ、わかった」  叡正が頷くのを確認すると、咲耶はにこやかな笑顔を浮かべた。 「さぁ、緑、お客様のお帰りだ。お見送り頼んだよ」  叡正が慌てて何か言いかけると、咲耶は再びにこやかに微笑んだ。 「なんだ? これ以上は金をもらうぞ。おまえが一生払えない額を取り立ててほしいのか?」  目を細めてそう言うと咲耶は立ち上がり、部屋の奥へ行ってしまった。  緑は立ち上がると、言いつけられたとおり叡正を促し二人で部屋を出た。  廊下に出て緑と二人になると叡正はずっと気になっていたことを緑に尋ねた。 「あの……すまない……。あまりの展開にいろいろついていけなかったんだが……、咲耶太夫は何か特別な力でもあるのか……?」  緑は叡正を見上げると一度微笑み、背を向けて出口まで促しながら口を開く。 「力……といえば、そうですね……。人の心が読めたり、過去が見えたりといったことではないようなんですが、見ただけで人よりも多くのことはわかるみたいです。すごいですよね……。育ってきた環境もあるのかもしれませんが……」 「環境?」 「花魁は生まれてすぐこの吉原に捨てられたらしくて、物心ついたときからずっと吉原にいるんです。玉屋の楼主様が引き取って育てたらしいんですが、遊女やそのお客をずっと見てきたからなのか、今では見ただけで人柄や家柄、財力なんかもわかるらしくて、玉屋がここまで健全に大見世としてやっていけるのは、花魁の目利きによるところが大きいんです。だから、玉屋の遊女はもちろん、遣り手婆も楼主様も花魁には頭が上がらないんですよ。みんな何かしら助けられてますから」 「それは、すごいな……」  緑は振り返ると、目を輝かせて笑う。 「はい! 私の花魁は世界一です!」  そこでちょうど見世の戸の前に着いたため、叡正は礼を言って見世を出ようとした。 「あ、あの……」  緑が少し言いづらそうに叡正を呼び留めた。  叡正が振り返ると、緑は意を決したように言った。 「恥を忍んでお伺いします……。あの……まぶってなんですか?」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  叡正と緑が出ていった後、咲耶は窓のへりに腰かけてぼんやりと外を見ていた。  叡正の妹を見つけることは、おそらくそれほど難しいことではないと咲耶は考えていた。  叡正の顔から考えれば、妹もきっと容姿は悪くない。  武家の出であれば教養もあり芸事にも長けている可能性が高い。  普通であれば、ある程度人気の遊女になっているはずなのだ。  そんな遊女を咲耶が知らない、心当たりがないというのが問題だった。  切見世の遊女であればわからないかもしれないが、武家出身の遊女を切見世に売ることなど、まずあり得ない。  武家出身というだけで話題にもなれば客もつく。  ほかの見世にいる武家出身の遊女自体は何人も知っているが、叡正と血のつながりのありそうなものはいなかった。  容姿が良く、芸事にも長けているのに人気の遊女になっていない。  どう考えても良い状況にいるとは思えなかった。 (どんな状態でも、生きて見つかればまだ良い方か……)  咲耶は何度目かわからないため息をついた。
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