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第六話 僧侶
気がつくと屋敷は炎に包まれていた。
庭に飛び出した少年は茫然と燃える屋敷を見ていた。
木造の梁や柱が燃えてパチパチと弾ける音が響く。熱風で全身がひどく熱かった。
夜なのに昼間のように明るい屋敷の縁側を人影がゆっくりと動く。
「どうしてですが……? 父上……」
少年は人影に向かって呟いた。
縁側や破れた襖の向こうに無数の人が倒れているのが見える。
広がっている血だまりを見て、もう誰も生きていないのだと本能的に感じた。
「……こうするしか……、こうするしかなかったんだ……永世」
人影はゆっくりとこちらを見た。
暗くて表情はよく見えなかったが、父は泣いているようだった。
手にした刀だけが妖しく光り、その先から血が滴り落ちている。
父の足元には血まみれになった母の姿もあった。
「どう……して……」
少年は崩れ落ちた。
「すまない……」
父は絞り出すように呟く。
少年も口を開いたが、何も言葉が出なかった。
「兄様……」
声の方を振り返ると、そこには妹が立っていた。
顔にはすすがつき、裸足で茫然と屋敷を見ている。
「見るな!」
少年は妹を包み込むように抱きしめた。
妹を抱きしめたまま振り返ると、そこにはもう父の姿はなかった。
「大丈夫だ……おまえは絶対俺が守るから!絶対に……守るから!」
少年は目を閉じて、力いっぱい妹を抱きしめた。
すると、ふいに腕の中に感触がなくなる。
目を開けると、腕の中の妹はいなくなっていた。
振り返るとそこには屋敷もなく、青年はただ真っ暗な闇の中に立っていた。
「どうして?」
再び声が聞こえ振り返ると、すぐ目の前に妹の顔があった。
母によく似たその顔は血で真っ赤に染まっていた。
「どうして、助けてくれなかったの?」
「!??」
叡正は荒い息で布団から飛び起きた。
息を整えて、周りを見る。
いつもの見慣れた何もない部屋に朝日が差し込んでいた。
叡正は長く息を吐く。
「……最悪」
おびただしい汗で全身がぐっしょりと濡れていた。
顔に張りついた長い髪をかきあげながら、叡正は目を閉じた。
(またか……)
最近同じ夢ばかり見ていた。
何度見ても見慣れることのない昔の夢。
叡正はもう一度ゆっくりと息を吐いた。
「お~い、起きたのか?」
勢いよく部屋の襖が開いた。
「まだ寝てたのか~。今日はおまえ目当ての法要があるんだから、早く起きて、起きて」
住職である嗣水は坊主頭を撫でながら言った。
叡正は苦笑した。
「俺目当ての法要ってなんだよ……」
叡正は布団の上であぐらをかいた。
「おまえに会いたいって理由で、たいしてやらなくてもいい法要の依頼がい~っぱい入るからね。儲かってしょうがないよ」
嗣水はいやらしく笑う。
「たいしてやらなくてもいいって……坊さんの発言じゃねぇよ……」
こんな生臭坊主のあげる経で本当に極楽に行けるのか、叡正は甚だ疑問だった。
「まぁ、気持ちの問題だからさ! やりたかったらやればいいし~。法要なんて生きている人のためのもんだからね。……ほら、さっさと起きて」
「わかったよ……」叡正はしぶしぶ立ち上がる。
嗣水はそんな叡正の様子をじっと見つめていた。
「……またいつもの夢でも見たのか?」
布団を片付けていた叡正は動きを止める。
「忘れろとは言わない。でも、おまえもそろそろ生き直せ。出家して名も変わった。新しく生きてみたらどうだ? あの家の再興は難しいだろうが、還俗することはできる。少し考えてみろ」
叡正は何も答えられなかった。
「まぁ、おまえがいてくれれば、うちは儲かるからね~。いる分にはいつまでいてくれてもいいよ~」
嗣水はにんまりと笑う。
「じゃあ、さっさと支度しておいでよ~」
嗣水はそういうと部屋を出ていった。
「……生き直す……ね」
叡正はひとりになった部屋で呟いた。
布団を片付けた叡正は、法衣を纏い、長い髪を後ろでひとつに束ねた。
僧侶にも関わらず長い髪をそのままにしているのは、嗣水に「その方が客が来る」と頭を剃るのを止められたからだった。
法衣を着ていなければまったく僧侶に見えないと、叡正は自分でも思っていた。
だからこそ咲耶太夫に僧侶だと見抜かれたとき、叡正は驚きを隠せなかった。
出家してから七年、何も変わっていないと思っていたが、少しずつ環境に染まっていたのだと叡正自身が初めて知ったのだ。
「還俗ね……」
部屋から出て廊下を歩きながら呟く。
(還俗したところでもう何も返ってこない。帰りたい場所ももうない。還俗に何か意味なんてあるのか……)
叡正はため息をついた。
叡正が廊下の角を曲がると、法要のため寺にやってきた若い女性が二人が叡正の方に歩いてきていた。
すれ違いざまに叡正が微笑んで会釈すると、二人の顔が一気に赤く染まった。
「……今のが叡正様!? ……素敵!」
「でしょ!? ああ……振り返ってもう一度お顔を見せてくれないかしら…」
二人は声を潜めて話しているようだったが、その声は叡正の耳にしっかり届いていた。
叡正は苦笑する。
完全に厄介者だった叡正を面倒見て育ててくれた嗣水に、叡正は言葉で表せないほどの恩を感じていた。
(こんなことで少しでも何か返せるなら、俺のやれることをやるだけだ)
叡正は姿勢を正し、品の良い微笑みを浮かべて法要に向かった。
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