第九話 間夫

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第九話 間夫

(本当だったのか……)  弥吉は今、信とともに咲耶の部屋にいた。  目の前には優雅に微笑む咲耶の姿がある。 (同じ人間じゃないみたいだ……)  弥吉は呆然と咲耶を見ていた。  玉屋の中に通されたところから、弥吉はもう現実が受け止められていなかった。  草を食べているような庶民が吉原の大見世に入れるはずがない。  ましてや吉原一の太夫など会えるわけもないはずだった。  信を見ると、いつも通りの無表情だった。 (どうして信さんが吉原の太夫と会えるんだ……?)  咲耶に目を向けると、相変わらず美しく微笑んでいる。 (信さんの言ったとおり、信さんの恩人だとしても咲耶太夫が信さんを気にかける義理はないはずだよな……。それとも見た目どおりで中身も女神みたいな人なのか……?)  弥吉は探るように咲耶を見る。  咲耶は弥吉の視線を受けて、柔らかく微笑んだ。 「今日は来てくれてありがとう。信から少しだけ話しは聞いている。信と一緒に住んでいるんだろう? 逆に私のことは何か聞いているか?」 「あ、はい……。といっても昨日の夜に、咲耶太夫に助けられたことがあるとだけ……。正直ここに来るまで信じてもいませんでしたし……」 「まぁ、そうだろうな。普通に暮らしていたら関わることはなかっただろうから」  咲耶は目を伏せて微笑んだ。 「信と初めて会ったのは一年くらい前なんだが、吉原を血だらけで歩いていたから保護して医者に診せたんだ。だから、助けたというほどじゃないな」 「血だらけですか……」 「ああ……。傷は治っても信はこの調子だから、いろいろ心配で定期的にここに来てもらっているんだ」  咲耶は少し困ったように笑った。  いろいろ心配という部分には弥吉もまったくもって同感だった。 (本当に良い人なのかもしれない……)  少なくとも咲耶が嘘をついているようには弥吉は感じられなかった。  弥吉の肩の力が少しだけ抜ける。 「ところで、文使いの話しは引き受けてもらえるだろうか? 無理にとは言わないが、条件としても悪い話ではないと思うが」  咲耶が本題に入る。 「あ、はい。俺で務まるのか少し心配だけど……任せてもらえるなら、ぜひお願いします。信さんに世話になってばっかりじゃダメだと思うんで」  咲耶はにこやかに微笑んだ。 「そうか……」  咲耶は信に視線を向ける。 「信、弥吉が来てくれて本当によかったな」 「ああ」  信は弥吉を見て頷いた。 「な、なんだよ! 気持ち悪いな!」  信の言葉に、弥吉は思わず顔を逸らした。  咲耶は二人の様子を見て微笑みながら口を開く。 「文使いの仕事についてはおそらく問題ないよ。思っていた以上に弥吉は優秀なようだから、お客にも可愛がってもらえるだろう。詳しい仕事内容は今いるうちの文使いから聞いて、あとは臨機応変に動いてくれればいいから」 「あ、はい。わかりました」 「じゃあ、早速明日から頼む」 「はい! よろしくお願いします」  明日の打ち合わせだけ簡単に済ませ、二人は咲耶の部屋を後にした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  咲耶は部屋にひとりになると満足気に微笑んだ。 (思った以上に良かったな。信にとっても、玉屋にとっても)  疑り深く、用心深く、慎重。そしておそらく勘もいい。  咲耶の弥吉への評価は、お世辞を抜きに高かった。  弥吉が信についてきたのも少し納得ができた。  信は言葉は少ないが、その言葉に嘘はない。  裏も表もなく、思ったことを口にして行動するだけで、そこには隠された意図や目的はない。  弥吉は慎重なだけに、耳馴染みのいい綺麗な言葉や無償の善意に溢れた行動に対して非常に警戒するようだった。  何か裏があるのではないか。咲耶に対してもそれを疑っているようだった。  そういう意味では信といるのはとてもラクなのだろう。  裏がないので読む必要はない。 (まぁ、ほかの面では相当大変だろうが……)  咲耶はひとり笑った。 「花魁、入ります」  襖ごしに緑の声が響いた。  咲耶が返事をすると、緑が部屋に入ってくる。 「お二人を出口までお送りしてきました」 「ああ、ありがとう」  咲耶が微笑む。 「それで……あの……」  緑がもじもじとしながら、上目遣いで咲耶を見る。 「どうした?」 「あの……えっと……」  緑は心を決めたように咲耶を見た。 「信様も、花魁の……ま、間夫なのですか!?」  咲耶は緑の勢いに少したじろぐ。 「え? ……あ、ああ、一応間夫ということにしてあるが……」  咲耶がそう答えると、緑の顔がみるみる赤く染まった。 「そ、そうなのですね……」  緑は赤くなった顔を両手で覆う。 (なんだか反応がおかしいな……) 「どうした? 誰かに何か言われたのか?」 「い、いえ……、叡正様にま、間夫について教えていただいただけです……」 (なぜ、やつに……?)  咲耶は舌打ちしたいのをなんとか堪えた。 「あいつはなんて言ったんだ?」 「お客様が遊女に惚れて遊郭に通うのに対して、間夫は遊女の方が惚れてる男のことで、遊郭に招かれるって。そのほかにも、その……いろいろと……」  緑の顔はますます赤くなった。 「へ〜……、私が惚れてる男ね……」  地を這うように低い声が咲耶から響く。 「ああ……、次会えるのが楽しみだよ……」  咲耶は鋭い眼差しで薄く笑った。
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