第9章 ミッドナイト・ハーフ

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第9章 ミッドナイト・ハーフ

松岡祐二が働く八丁堀にある印刷屋は、印刷屋と言っても、印刷機や裁断機がない事務系の職場だった。 いわゆるブローカー業で、企画印刷を看板に掲げる零細企業。 得意先から印刷物の注文を受けると、洋紙店に印刷洋紙を発注して、裁断所で必要なサイズに裁断してもらう。 そして、印刷機を所有している町工場に紙を運搬し、印刷をしてもらう。 最後は、製本屋で仕上げて得意先に納品する流れだった。 社会人 祐二の仕事は、少額、少量規模の印刷物の取り扱いだった。 それでも、業務工程全般を担当した。 得意先の新規開拓の必要はないが、決められた得意先を回り、印刷物の注文をもらい、下請け工場で印刷や製本をするための業務指示などを行う仕事だ。 この仕事は、夜学の編入試験の当日に校内廊下に張り出されていた求人案内で知り、翌日に面接を受けた。人手不足のおり、即決で入社が決定した。 祐二に住まいがないと知った社長は、すぐに小岩に一間のアパートを借りてくれた。 家賃は祐二が支払うが、敷金などは会社負担で支払われた。 また、営業と業務運営の外回りを担当することから、専用のオートバイが用意された。 オートバイの使用は、ガソリンは会社負担で、特別の許可を受けて通学や通勤にも利用することも許された。 得意先との折衝では、平身低頭の営業トークを駆使しなければならない。 無口で大人しかった少年は、社会に出ると意外なことに、環境への順応が早く愛想も良く立ち回ることができた。 従順だった性格が誠実な人柄に映り、人当たりの良い営業マンに見えたようだった。 一代で資産を築き上げた、商家の祖父に似たのだろうか。 ともあれ祐二は、必要に迫られていたこともあったが、何の苦も無く実社会に溶け込んでいった。 ただその一方で、閉口したのが印刷工場に対する対応だった。 工場では、職工に直接指示をするのだが、職工には職人気質があった。 何かと気難しく、こちらがお得意様でもあるのに、職工にはそんな商売関係の職階は全く通じない。 活字の大きさや種類を言い間違えるものなら「そんな活字があったらお目にかかりたいなあ」、「うちにはそんな活字はないから、他でやってもらえ!」と、喧嘩腰の態度なのだ。 彼は、自分が年下でもあるので、怒らせないよう下手に出て、何があっても頭を下げて謝り何とか作業を進めた。 その実直で丁寧な対応の効果があったのか、勤めて半年も経過すると職工の人たちは、彼の低姿勢に気脈を通じさせてくれた。 職人の人達は、こんなにも本当は優しい人なのかと思うほど、人情味のある会話が交わせるようになった。 例えば、祐二の上司の指示とは異なる印刷方法を逆提案してくれるなど、専門家の新しい印刷技術の手解きを受けられるほどに可愛がられた。 彼らは上から目線の指示にはものすごく反発を示すが、その腕を期待するようにお願いすると、渾身を込めていい仕事をしてくれた。 顧客の難しいカラー色の注文には、職工の長年培った技術と勘が生かされる。 彼らは熱意をもって、祐二のこの難題をこなしてくれた。 こうして祐二は、印刷屋としてのノウハウを比較的短期間で積み上げ、1年もすると同業他社から、あるいは得意先からも、引き抜きの声がかかるぐらいに成長していった。 まだ高校生の学生の身分だったが、給料や賞与をもらうだけではなく、大人社会の中で、一定の信頼性を保つ人間関係を築けるようになっていた。 また、会話の中での僅かな言葉の端から、相手の心理を読み取れるような洞察力も兼ね備えていった。 六本木でボーイ 実社会に馴染んだ頃、祐二は深夜に六本木のサパークラブ『ポンギー』で、給仕のアルバイトも始めた。 サパークラブと言っても、三流のホストクラブ。 溜池から六本木通りの坂を登り、六本木の交差点の手前を左折した一角に店があった。 深夜でも人々が行き交う、裏通りの繁華街でもあった。 店の近くには、しゃぶしゃぶ料理で有名な『瀬里奈』や、現在はないが当時一世を風靡したディスコ・パブの『最後の20セント』もあった。 亮子との再会とその後の結婚のためと、幼い義妹や義弟への仕送りの必要もあった。 より高い収入を求め、スポーツ新聞の広告で公募していた六本木のサパークラブに勤務することにした。週に2、3回の勤めだった。 店の早番の際には、級友に授業の代返を頼み、深夜勤務の時には学校の授業を終えてから、オートバイで六本木に向かった。 店ではホスト、ホステスのほかにオカマもいて、それらの従業員が歌ったり、踊ったりするショータイムもあった。祐二は、そこで下働きのボーイとして働いた。 「ポンギー」では、人気ナンバー・ワンのホステスで、祐二よりも一歳年上のハーフの美少女、沢村レミと親しくなった。 レミは、1メートル70センチを超える長身の元モデルで、そのスレンダーなボディに魅かれた。 未成年なのに、男のように豪快に酒をあびる。 その心意気にも、祐二の心は揺さぶられた。 ハーフ美女のレミは、秋になると長髪に赤いベレー帽をかぶり、胴を細めたミリタリージャケットに、スリムジーンズと革のロングブーツを履いて闊歩する。 冬になると、毛糸の帽子にウェストを細めた厚めのセーターを羽おり、モッズ・ファッションで流行の先端に立った服装で人目を引いていた。 見た目は、ほとんど外国人そのもの。ただ英語はできない。 整った<うりざね顔>の白い肌に映える青く美しい瞳。スタイルも抜群。 おまけに気質は男のようにきっぷがいい。 明るく大声で笑い、ステージでは蝶のように舞う。 さらに豪快に酒を飲み、煙草を吸うポーズも堂に入っている。 何をしても格好いい。 当然、店では並みいるホストよりも、指名が多い実力者であった。 支配人、ホスト、ホステスなどからも、一目置かれる女王のような存在。 祐二も給仕の仕事をしながら、どうしても彼女が動く方向に視線がいってしまう。 ただ、女優のように美しくモデルのようなプロポーション抜群の美少女が、何故六本木でも場末のこの店で、水商売の世界にどっぷりと浸かっているのか、彼には不思議に思えた。ヤクザの情婦でもしているのか、何か深い事情でもあるのかと、脳裏の片隅では疑問を持っていた。 クラッシュ・ボール 師走に入った早番のある夜。 祐二は、いつものように一番乗りで店に入った。 グラスや皿などの食器を洗い終わると、テーブルや椅子を整理して床の掃除にかかっていた。そこへ、いつも遅い出勤のはずのレミが入ってきた。 「おはよう!」 レミは大きな声で言い放つと、清掃している彼の横を大股の速足で駆け抜けた。 いつもの濃い香水の匂いは、しなかった。 かわりに、若い女の甘く柔らかそうな肌の匂いが、一瞬の空気に残った。 祐二はその美少女の匂いに魅かれて、下半身が小さく震えた。 その場で立ち尽くし、モップを動かしている手が止まってしまった。 レミは店の奥にあるカウンターの上に、大きなデイバッグをドッサと乱暴に置いた。 丸椅子が並ぶその一つにすばやく腰を乗せ、長い脚を組んで彼の方に体の正面を見せた。 ブロンドの髪は、後ろに髪留めで無造作に結ばれ、束ねられた長い髪が左肩から胸前に流れていた。 顔は素顔のままだ。 化粧をした顔よりも濃淡がないけれど、それはそれで天使のように清楚な感じ。 美しい。 冬だというのに、白いタンクトップにジーンズ、踵の高いサンダル履きの軽装。 湯上りと人目で分かった。その艶めかしい姿に目を奪われてしまった。 おそらく、店に近い麻布の銭湯にでも寄ってきたのだろう。 輸入たばこに火をつけて、大きく一服した彼女は、 「松岡ク~ン、クラッシュ・ボール作ってくれな~い」 祐二は、モップを持ったままレミに近づき 「クラッシュ・ボールですか?」と、聞き返した。 「クラッシュ・ボール作れる?」 彼は「作ったことはないけど、教えてくれれば作れるかも」と、答えた。 レミは微笑みながら、「簡単よ、氷にウィスキーを入れるだけよ」 「ロックですか?」 「ロックは普通の氷だけど、クラッシュ・ボールは、クラッシュ・アイスにウィスキーだよ」 「クラッシュ・アイスって?」 「かき氷だよ、ほらそこにあるから」 彼女は、カウンターの奥下にある冷蔵庫を指さした。 祐二は、モップを床においてカウンター奥のシンクに入って、冷蔵庫からかき氷を出してグラスに入れた。 それを覗いていたレミは、「大きめのグラスにして頂戴」と、強めの口調で言い放った。 彼は、短く「はい」と即答した。 Lサイズのグラスにクラッシュ・アイスをたっぷり入れて、ウィスキーを流し込んだ。 どの位入れていいのか、分からないので少なめに入れてみた。 すると、「もっとウィスキー入れて、6分以上だよ、どうせ溶けるのだから」と言った。 内心驚いたが、指示どおりにウィスキーをさらに注ぎ足した。 「はい、どうぞ」 カウンター越しに、グラスを彼女に手渡した。 たばこをもみ消すと、彼女は顎を大きく上げて一気にそれを飲み干した。 まだウィスキーはそれほど氷に解けていないはずだから、ほとんど冷たいウィスキーをストレートで飲んでいるのに等しい。 「ああ~あ、うまい!・・・お代わり~、ウィスキーを足すだけでいいわ」と、一段と大きな声でお代わりの注文がきた。 「あっ、はい」 彼は言われるままにグラスを受け取り、再びウィスキーを注ぎ込んだ。 レミは立て続けに、豪快に2杯目のクラッシュ・ボールも一気に煽った。 (すごい!) 彼は、その豪快な飲みぷっりに驚いた。 さらに「お代わり!!」と嬉しそうに弾んだ声が静かな店内に響き渡った。 グラスをしぶしぶ受け取った彼は恐る恐る、 「ビールじゃないから、もう止めたら体に良くないよ」と咎める言葉を小声で言った。 「大丈夫よ、喉が渇いているのよ。早く頂戴!」 しかたなく3杯目のクラッシュ・ボールを、そっとカウンターの上に置いた。 その時、グラスを受け取る彼女の柔らかく長い指が、グラスとともに祐二の手に触れた。それは、偶然には思えなかった。僅かだが、意識的に触れられた気がした。 すると彼女は、グラスを手にして椅子から降り、すくっと立ち上がった。 そして、立ったまま3杯目を一気に飲み干した。 飲み終えると、グラスを叩くようにカウンターに置くと、スタスタとロッカーのある従業員の更衣室に消えていった。 これが、レミと初めて交わした会話だった。 店では名前で呼ばれることもなく、「ボーイさん」が給仕の呼称であった。 この美少女は、どうして自分の名字を知ったのだろうか。 店で松岡の名前を知っているのは支配人ぐらいなのに、小さな疑問だった。 だが、むしろ自分の名前を憶えてくれたことが、内心嬉しくもあった。 と言っても美少女に対する気持ちは、異性に対する思慕ではなく、美しく咲乱れる花に憧れる気持ちに似ていた。 二人だけの正月 祐二は、亮子のことを思わない日はなかった。 正直、寝ても覚めても瞼に浮かぶのは、素朴で一途な亮子の笑顔だった。 ただ、肉体関係を結んだ継母の順子、初恋の久美子、今も愛し続ける亮子にはない、不思議な魅力を放つレミに対して今は心が動いていた。 愛する亮子を裏切る時は、そう遠くはなかった。 暮れもさし迫り、ポンギーではその年の最後の営業日を迎えていた。 客の入りはクリスマスと比べると、明らかに少なかったが、従業員全員がせわしく働いていた。まだ閉店には間があった。 客たちが三々五々に消えていくと、ホストやホステスたちが一年最後の大清掃にかかっていた。 平常では、清掃は給仕の仕事だが、普段あまり手が入れられていない厨房、更衣室、倉庫などの掃除は全員で分担して行われた。 祐二はテーブルや椅子を整理すると、逆に手持無沙汰になってしまった。 そこで、レミの姿を見つけて手伝うことにした。 彼女は、更衣室でロッカーのほこりを雑巾でふき取っていた。 「手伝います!」 声をかけると、タオルを姉(あね)さん被りしていたレミが振り向いた。 「サンキュウ!雑巾はバケツの中にもう1枚あるから」 と、笑顔を返してくれた。 30分ほど、二人は手分けして雑巾がけをした。 しばらくして「もう終わりましょう」 と、彼女が作業終了を宣言して、二人の共同作業は終わった。 彼はバケツにきれいな水を汲んできて座って雑巾を絞ると、彼女も同じように屈んでバケツに手を入れてきた。 同じ姿勢で向き合った。 身長差で彼女の目線が上にあった。 祐二は、下からマジマジと相手の顔を凝視していた。 レミは手を動かしながら、「松岡クン、国はどこ?」と、聞いてきた。 「日本」と答えた。 「バカッ、何を言っているのよ、生まれ、出身地よ」 「そうか、生まれは横浜だけど、東京、千葉を転々して、ジプシーのような生活で故郷がないの。ただ、親は千葉県に住んでいるけれど・・・」 「正月は、実家に帰るの?」 「いや、帰らない。というよりも帰れない事情があるの」 「へえ~っ、そうなの。チョット私と似ているね。私もこの正月は一人なのよ」 二人の会話は一気に弾んだ。 話の結末は、二人の正月の過ごし方に落ち着いていた。 「松岡クンの部屋に泊めてもらっていい?」 と、レミが単刀直入に切り出した。 「いいけど、狭くて汚いよ」 結果、二人は今日から正月の3日まで、共にすごすことに合意した。 彼女が正月に、実家や今の住まいに帰れない真因は、その時には分からなかった。 店の話ではレミは大阪出身でモデルをしていて、上京後はすぐにポンギーに勤め、水商売一筋になったと言われていた。 また、目黒区で彼氏と同棲しているらしい、との噂もあった。 祐二は、彼女の過去や例え彼氏の存在が事実であっても、そのことには関心がほとんどなかった。 それよりも、今日から一人で侘しい正月を迎えるところを、絶世のハーフ美女と二人だけの時間に包まれることの期待感に胸がいっぱいだった。 しかし、一つだけレミから約束を取り付けられた。 それは『レミのこと好きにならないで・・・絶対に本気で好きにならないと、約束してね』だった。 もうすでに、美少女に対して好意以上の気持ちになっていたが、祐二は理由も聞かずに黙って頷いて約束した。 セックスの拒否なのか?恋愛感情への発展を拒むものなのか? 瞬時に、いろいろな推測が脳裏を走った。 自分の心の中には、当然、亮子が不動の恋人として支配していた。 そのことから、彼にとってレミの存在は、それ以上になるとは思っていなかった。 従って、彼女の<本気で好きにならないで>と言う申し出は、自分でも心の底では十分納得していた。 冷たく白い肌 12月30日の早朝、六本木は深い霧に包まれていた。 ポンギーの、簡単な仕事納めのセレモニーが終わった。 その後、片付けを従業員全員で終わらせ、皆帰宅の途についた。 祐二は店の近くの墓地脇に停めていたオートバイに乗り、店の前で待つレミを迎えに走る。 霧の中に、背の高い黒い影がライトに映し出された。 その影の手前でブレーキをかけながら「お待たせ!乗って」と、落ち着いた声で言った。 レミは濃い緑色の毛糸の帽子に、とっくりのセーターとタイトな黒の革ジャン、ブルージーンズといういでたちに、デイバッグを背負っていた。 彼女が、後部席に跨るのをその重みで確認すると、 「レミちゃん、両手でしっかり摑まってよ」、 「オーケイ!」 少し遠慮がちに、祐二の胴の下に手を回してきた。 祐二は、自分の手を後ろに向けて彼女の手を掴んで、強く自分の腹前まで引っ張り彼女の両手を合わせさせた。 レミの両腕が、しっかりと祐二の胴を押さえ込んだ。 オートバイは、小岩の彼のアパートとは反対の渋谷方面に出て、六本木の交差点を右折し、青山通りに向かって疾走した。 上気した顔に突き刺さる、冷たい風がやけに気持ちいい。 二人は、青山通りにある昼夜営業のスーパーマーケットの前で降りた。 正月休みの間の、5日分の食料と飲料などを買った。 買い物はすべてレミが行い、会計も済ませてくれた。 買い物の間、祐二は彼女の横に並んで歩いた。 並んだというのは正確ではなく、やや後ろの横を連れて歩いた。 そう、真横に並ぶとあまりの身長差が目立ち、気が引けたのだった。 買い物したレジ袋を無理やり彼女のデイバッグに詰め込み、二人を乗せたオートバイは一路小岩に向かった。 小岩の祐二の部屋に入ると、万年床のふとんが敷いたままになっていた。 それを、すぐさま三つ折りにして部屋の隅に押しやった。 代わりに、隅にあった<ちゃぶ台>を中央に据え、小さな電気ストーブのスイッチを入れた。レミは真っ先に、小さな冷蔵庫に食料や飲み物を入れていた。 ちゃぶ台の前にあぐらをかいた祐二は、 「レミちゃん飲むでしょう?」と、彼女の背から声をかけた。 「飲みたくないの」 ぽつりと、珍しく小声で答えが返ってきた。 デイバッグの荷物整理が終わると、彼女は、 「眠くなった。寝るわ」 「布団一組だけど、一緒でいいの?」 初めて、レミのいつもの高笑いが出た。 笑いながら、 「一緒に寝て抱いてよ・・・温めて欲しいわ」と、言った。 そして、すくっと立ち上がると、小さな台所で洗面を始めた。 祐二はちゃぶ台を元の隅に置き、丸めたふとんを広げた。 洗面が終わったレミは、素顔になって、 「お先に~、松岡クンも洗ってきて」と、促した。 洗面しながら、背中で服を脱ぐ気配を聴いた祐二は、その音から彼女がすべてを脱いで全裸で布団に入ったと感じた。 窓辺から、うっすらともう朝の陽光が入っていた。 彼も服を脱ぎ捨てて、すぐにふとんに潜った。 小さなふとんなので、二人が入ると体の多くが触れる。 すぐに、裸身であることが確認できた。 レミの体温が低いのか、肉体の暖かさをあまり感じない。 むしろ冷たい肌だった。 彼女は、頭からすっぽりと布団をかぶっていた。 長い脚が、ふとんからはみ出しているのではないかと思った。 それを確かめるように、体を下に潜らせて自分の足を彼女の足に絡めた。 レミの脚は、ふとんギリギリで止まっていた。 その足先に十分ふとんがかかるように、頭までかけている掛けふとんを下にずらした。 僅かに射す陽光のまぶしさを、避けるようにレミは大きな瞳を閉じた。 祐二は左向きになり、彼女の上半身に体を寄せた。 唇をすぼめて、相手の唇の中心部分だけに触れるフレンチキスをした。 きちんと閉じられた唇は、薄くて清潔感があった。 ただ冷たい唇だった。 祐二は、改めて熱い口付けをした。 舌を絡めて強く吸い、自分の口に引っ張り込む。 そして舌を緩める。 二人の口から、ヨダレがあふれ流れた。 男が口を放して、ため息をついた。 女の両腕が伸びて男の頭を巻いた。 下から男の顔を自分の顔に引きつけ、自ら口を大きく開き鼻までも食べてしまう勢いで、男の唇全体を吸い込んだ。 男は女の両腕を上げさせ、その脇の下に舌を這わせた。 舌は連続技で、鎖骨を舐めながら胸元へと進んだ。 胸は、顔色よりもいっそう白く、血管も青白く透けて見える。 静けさと気品が漂い美しい。 この後、男は長い愛撫を丁寧に繰り返した。 「熱い、すごく熱い!」 女は突然叫んだ。 男は顔をあげて、口の中に唾液を溜めてキスをした。 唾液を女の口に移すと、女はそれを飲み込んだ。 ようやく女の体が温まったようだ。 男は、伏せる女の体に覆いかぶさっていった。激しくも長いセックスだった。 しばらくしてから、男は女にたずねた。 「イッタの?」 「もちイッタわ、痺れ放しだった、松岡クンうますぎる、こんなに続けて何回もイクの初めてダヨ」 「そうだったの、全然感じてないと思っていた」 「まだ体中が火照っているの、休ませて」 そう言うとレミは、うつ伏せの裸身まま、顔の下に腕を組んで目を閉じた。 その翌日、祐二は食器を洗う水音と料理の匂いに目が覚めた。 ふとんから起き上がると、シンクの前に立つレミの後ろ姿があった。 祐二の白いワイシャツを着て、その上を束ねられた長いブロンドの髪が流れていた。 ただ、祐二のSサイズのシャツなので、臀部は半分ほどしか隠れていない。 最も肉がついている臀部の下の部分と、それをつなぐ長い脚が色ぽっい。 祐二は起き上がり、レミに近づきながら声をかけた。 「何を作っているの?」 「シチュウよ、まだ時間がかかりそうだから、寝ていてもいいわよ」 と言って、いそいそと手を動かしていた。 その女らしい後ろ姿に、欲情してしまった。 そばに寄って、臀部と腿の裏を撫でた。 「ダメよ、食事をしてからにして頂戴!」 いつもの強い口調が戻っていた。 でも無視した。 男の両の手は、太腿に伸びて撫でていた。 「本当にダメだったら・・・」 その声は、少し甘くなっていたが、それでも懸命に料理にかかっていた。 男は、女の横に立って体を寄せた。 身長差が10センチ近くもあるので、男の顔は女の首あたりにある。 背伸びをして左頬にキスをした。 レミの美しい顔が微笑んだ。 「可愛いわね」と、言われた。 母親が子供に、キスをせがまれた気分だったのか。 祐二はその位置に立って、ワイシャツの中の背中に手を入れて、やさしく撫で始めた。 背中全体をゆっくりと撫でた。 そのあとは指を立てて、両方の肩甲骨を順番になぞった。 中央の背骨のラインも、上下になぞった。 「ダメ、料理できない!」 困ったような声を出していたが、急所の背中をいたぶられて体は疼き始めていた。 今度は背後に回り、シャツをまくり上げ全裸を晒すと、背中にキスの嵐を見舞った。 次に舌を出して、唾液を混ぜながら全体を舐めた。 いつの間にか、レミの手は止まっていた。 それもシンクの端に両手を支え、何とか立っているようだ。 レミが顔を後ろに向けて、 「キスして」と言った。 祐二は少しよじ登って、唇を近づけた。 舌を出したまま女は唇を求めた。 それに応じて祐二も舌を出した。 唇が触れ合う前に、空中で二人の舌が絡み合った。 初めに、女が自分の口の中に、裕二の舌を引っ張った。 むさぶるように舌を捏ねて、喉の奥まで飲み込む勢いだった。 舌を巻かれたままの、長いディープ・キスが続いた。 こうして、二人の愛欲の5日間はあっという間に終わった。 セックスして、寝て、起きて食事して、またセックスの繰り返しだった。 会話らしい、会話もなかった。 特にレミは、自分のプライバシーについては全く話さず、それらしい質問には遮り避けていた。 ただ、正月を二人ですごすことになった理由らしきことを、ぽつりと喋った。 同棲している彼氏が、神戸の実家に帰り独りになった、と言った。 その時の表情が悲しそうな目をしていたので、何か深い事情があるように思えた。 そして祐二との別れも、レミらしいものだった。 正月休みの最後の午後、彼が眠りから覚めると彼女の姿はすでになかった。 荷物がないので帰った、と判断した。 あいさつもなく消えるように去った。 ただ壁に『アリガトウ』と、ルージュで書き残されていた。 二度と彼女には会うことはなかった。 病魔 六本木のポンギーの仕事初めに行った日、レミは珍しく休んでいなかった。 さらに最初の一週間が過ぎても、レミは出勤してこなかった。 心配になった祐二は、支配人にレミの様子を聞いてみた。 すると支配人は、「がんの疑いで検査入院しているよ。もうすぐ出てくるよ。レミちゃんがいないと売り上げが減って、困るようなあ」と、答えてくれた。 しかし、1月が終わろうとしても、彼女は出てこなかった。 再び、祐二は支配人に尋ねた。 「困ったよ、レミちゃんは辞めたよ」 「何かあったのですか?」 「うん、大阪に戻って再入院だってさ、困ったものだ」 支配人は、レミの体の心配よりも店のことを心配していた。 その支配人は続けて、 「松岡君、キミ、ホストやってみないか。うちは銀座の夜の蝶が固定客だから、若い男はモテルよ。どうだ。給料は5倍ぐらいになるし、チップだって、お小遣いももらえるよ」と、誘われた。 祐二は、それよりもレミのことが心配だったので、 「考えておきます」と言って、話を終わらせた。 祐二は落胆した。 愛する亮子の存在があるものの、レミは彼の心の中にも、体の中にも刻まれていた。 悲しかった。 深夜帰宅するオートバイに、冷たい寒風が突き刺さった。 それは涙も誘った。 正月明け後、別れの言葉も残さずレミは大阪の実家に戻り、癌治療のために入院した。 六本木のサパークラブ「ポンギー」も辞めた。 二人は、二度と巡り会えることはなかった。 あの約束をさせられた際には、セックスの拒否か、恋愛感情への発展を拒んでいるのか、とその真意に首を傾げた。 しかし正月後、間もなく入院していることを考えると、すでに病魔に襲われていて、癌の予兆を自覚していたのではないか。 彼女を抱いたときの異常な低体温は、病が影響していたのではないだろうか。 そんな事情があって、祐二が本気でレミのことを好きになり、恋愛感情に繋がることを恐れて深い仲になることを避けたのだ。 そう結論付けると、彼女に対する哀れみの念とともに、愛おしい気持ちもこみ上げてくる。 しかし、祐二の心の中には、依然、中学校の同級生である小谷野亮子の存在が、慕い合う相思相愛の恋人として支配している。 それでも、短い期間の交わりにもかかわらず、レミとの出会いとその激しかった性愛の時間は彼の心と肉体に深く刻まれた。
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